第13話

「ば、馬鹿な……そんな、馬鹿な……そんなものは、何かのペテンだ!」

 アンジュの言った内容は、血異人のハルマにとってはかなり想定外だったらしい。あまりの衝撃に興奮した彼は、顔を紅潮させていた。

「うふふ……まだ、信じられないのかしら?」

 その様子に、アンジュはまた微笑む。

「でも、今のアナタみたいに顔を赤く染めるのも、流れる血が赤い血異人特有の現象なのよ? 血が黒いワタシたちは、怒ったり興奮したりしても顔が赤くなったりしないから。

出来ることなら、ワタシたちがここに来るまでに経験してきたことを本にして、アナタに読ませてあげたいくらいね。そうしたら、さすがに分かってもらえるでしょう? ワタシたちが今まで一度も、『頬を赤く染め』たり、『赤い血を流し』たりなんかしてない……むしろ、ずっと『黒い血を流してた』ってことがね」

「く……くそっ! くそがっ!」

 ハルマはこれまでの仰々しい態度からだいぶ離れた、小物キャラになっていた。



 しかし。


「ふっ……ふふ……ふははははーっ!」

 その表情はすぐに一変。彼は、また元の調子に開き直る。

「な、何を言いだすかと思えば……く、下らない! 下らないぞ⁉ き、貴様が気付いた僕……吾輩の能力の弱点というのは、そんなことか⁉ だとしたら、とんだ早とちりだな⁉ そ、そうだ、それがどうした⁉ ぼ……吾輩の能力は、確かに呪いではない! だが、それでこの状況が何か変わるか⁉」

「はあ?」

「き、貴様はきっと、ぼ、吾輩のスキルが呪いではないということを暴けば、それで僕が取り乱してしまって降参する、とでも思ったのだろう⁉ だ、だが、残念だったな⁉ そ、そうさ! 僕の本当のスキルは呪いではなく、『指定した症状を持った病気を与える』ことができるという……す、すなわち『疾病創造』! 呪いなんていう曖昧なものよりも、ずっと強力なのだーっ!」

 いや、やはり焦っているのだろう。もはや小物ですらないような、わけのわからないグダグダ雑魚キャラに成り下がっていた。


 そんなハルマが、ようやく準備が整ったらしく、目の前のマウシィに向けて手をかざして血異人のスキルを使った。

「呪いではないのだから、太陽や儀式だって本当は必要ないんだ! こ、今度こそ、お望み通り死を与えてやる! 血祭りだ! く、喰らうがいい! お前は……『絶対治らない死の病』にかかるぅっ!」

 その言葉と共に彼の手から紫のオーラが飛び出し、近づいていたマウシィに直撃する。

 その結果、彼女は、

「き、きひ、きひひ……」

 相変わらず、不気味な笑顔を浮かべていた。


「へ……? な、なんで? 僕は確かに今、スキルを使ったのに……」

 もはや取り繕う余裕もなく、すっかり「素」になっているハルマ。相当混乱しているらしい彼に、ため息混じりにアンジュが言った。

「はぁ。だからワタシ……さっきアナタに言ったのよ? アナタの能力の弱点は、とっくに分かってるって」

「な…………あ、あぁぁっ⁉」

 ハルマは、気づいた。

 自分のスキルで死を与えたはずのマウシィの耳を……体を重ねるようにくっついていたアンジュが、両手で塞いでいたことに。


「解釈次第で効果が変わる能力なら、そもそも、解釈できないようにしちゃえばいいのよ。最初からアナタの言葉を聞かなければ、何を言われても解釈なんかできっこないんだから、効果はない。それが、アナタの能力の弱点なのよ」

「そ、そんな……」

「ちなみに……ワタシって昨日、アナタから『呪い』をもらったのよね? えっとー……その出来事については、ちゃんと覚えているわよ? だけど実は、それがどういう内容だったのかは、もう忘れちゃったのよね。だから、今のワタシはアナタの『呪い』の影響は受けない。記憶に残っていないことも、やっぱり解釈なんてできないものね?」

 それが、アンジュがさっきからずっと太陽の下にいるのに、まったくダメージを受けていない理由だった。

 

 もちろん、そんなに都合よくピンポイントで記憶を失うことなんて、普通ならできるはずがないが。きっと、「少し変わったテイマーの友だち」にでも、協力してもらったのだろう。


 周囲を見れば、その「テイマーの友だち」の能力で「偽りの呪い」の効果を解除されたらしい町人たちが、教会の広場に続々と集まって来ていた。さっき捕まっていた宿屋の店主たちも解放され、その総勢はすでにニワトリ頭の教徒たちを超えている。

 状況に混乱していたニワトリ頭たちは、武装した彼らによって次々と制圧されていた。


「アナタの『呪い』は、本当の呪いじゃない。そしてもちろん、呪いフェチのマウシィが、それに気づいていなかったはずがない。そこまで分かったときに、ワタシは昨日のマウシィの行動の本当の意味に、気づくことができたの。ワタシを拒絶した彼女が、本当はワタシのことを気遣ってくれていたこと……ワタシがこれ以上傷つかなくていいように、わざと拒絶してた、ってことに……。

それが分かったときのワタシは、嬉しさで、血が沸き立つような思いだったわ……なんてね」

「きゅふっ」

「うふふ……」

 また、視線を合わせるアンジュとマウシィ。お互いに、徐々にうっとりとした表情に変わっていく。二人の間を、また湿度の高い空気が流れる。


「さて、と」

 しかし、アンジュは今度はすぐにその視線を戻した。

「そろそろ、こんな茶番は終わりにしましょうか? ね、マウシィ?」

「はひぃぃ」

 それを合図にするように、マウシィが動く。無防備となったハルマに、またゆっくりと近づいていく。



「わ、私……呪いについてはちょっとだけ、人より詳しいのでぇ……。あなたの能力が本当の呪いじゃないってことは、すぐに気付いちゃいましたぁ……」

「ちょ、ま……待って……」

「それに気付いた瞬間の……ひ、ひひ……血の涙を流すような、私の絶望……偽物の呪いに騙されたふりをしていたときのバカバカしさが、あなたに、分かりますかぁ……?」

「ち、ちが、ごめ……ごめんなさ……」

「よくも、そんな能力で、呪いなんて言えましたよねぇ? こぉんな簡単に無効化できてしまうような、弱くて、曖昧な力でぇ」


 ゆらり……ゆらり……ゆら…………ガシィッ。

 ハルマの目の前に到着したマウシィが、まるで呪われた人形が人を絞め殺すときのように、彼の首に両手をかける。今の彼女の表情には、怒りはない。あるのは、顔に張り付いてしまったかのような、現実感のない不気味な笑顔だ。

 見ている方が痛々しく感じるほどに、ざっくりと釣り上がった口角。その三日月型になった口からは、獣のうなり声のような音と、細かく泡立ったヨダレがこぼれ出ている。充血しきった瞳は、血が黒いためか黒目の部分が広がって見え、瞳全体が真っ黒になっているかのようだ。

 それは人間らしさを完全に超越していて、もはや相手に対する純粋な恨みの想いの表出……つまり、呪いそのものだった。


「だ、だって……だってぇ……」

 か細い少女の手に首を掴まれているだけなのに、今にも泣き出しそうなハルマ。

 無理もないだろう。そこにいるのは、もはや怪しい宗教団体の主導者ではなく、ただの気弱な「オタク少年」でしかなかったのだから。

「だ、だ、だってぇぇ……び、病気より呪いって言ったほうが、カ、カカカ、カッコいいと、思ったんですよぉーっ! ぶ、ぶひぃー!」

「ぶひ?」

 その一瞬、マウシィは何かを思い出したような気がして首を傾げたが。

「ぎゅふ、ぎゅふふふ」

 すぐに調子を戻して、ハルマの首にかけていた両手に、力を込めていった。


 ギシ……ギシ……ギシ……。

 

 マウシィの力は、決して強くはない。だが、それが貧弱だったからこそ、ハルマは意識をすぐに失うこともできなかった。意識を保ったまま、ゆっくりと、じっくりと、まさに真綿で首を絞めるかのように。少しずつ息苦しさが増していく。得体のしれない物への恐怖に、心が侵食されていく。

「ひ、ひぃぃ……」

 すでに、まともに声を出すこともできない。声を使う自分のスキルはもちろん、悲鳴を上げることさえできない。

 逃げ出したいのに。彼女の手を外して、その呪縛から逃れたいのに。

 眼の前にあるマウシィへの恐ろしさのせいで、体が動かない。自分の首を締めながら、快感にひたっているような彼女の恍惚の表情が……怖い。


「こ、これが……本当の呪い、デスよぉ? あなたがやっていた、偽物の、出来損ないの、『呪いもどき』なんかじゃなく……本当に本当の、強くて、暗くて、陰湿な……の・ろ・い…………ひひっ。ちゃぁんとあなたの体で、覚えてくださぁいねぇぇぇぇーっ!」

「あ、ぁぁ…………ぁ……ぅ」



 結局。

 血異人スキル以外はただの高校生に過ぎないハルマは、マウシィの恐ろしさに耐えることができなかったようだ。断末魔のうめき声とともに、気を失ってしまうのだった。

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