はいじょ

―――



 水の中。


 心地よい冷たさが全身を包んでいる。


『起きて。早く』

 精霊の声に、ゆっくりと目を開ける。

 湖の底に体を沈め、己の体を癒すのに注力していた。

 だから、はじめ、水面に誰かがいるのに気が付かなかった。

 水面に顔を出すと、

「良かった」

 ほっと肩の力を抜くサラが目に入った。

 己の体の状態を確認すると、傷の治りが想像以上に早いことに気づいた。常にあった全身の痛みも和らいでいる。

 湖から上がり、身にまとっていた服を乾かす。

「……ありがとう」

 おそらく、サラが傷を治してくれたのだろう。

 精霊達も、そう言っているから。

 サラは虚をつかれたように頬を染めたが、誤魔化すようにソウから目を逸らして立ち上がった。

 また、世界に意識を集中させる。


 ……まずい。意識を飛ばしてしまっていた。


 魔法陣は。侵略者は。この世界は無事か。

『空の隙間から、たくさん侵略者が入ってくる』

 ソウは空に両手を翳し、意識を集中させる。

 精霊の言う通り、世界を守る結界に細かい軋みがいくつもある。

 つい先程綺麗に塞いだのに。

 ソウは、空全体を覆い尽くす複雑な幾何学模様が歪んでいる箇所を修復していく。


 ミミは、己の力がある程度は自動的に守ってくれる。

 この世界に住まう生き物は、なんとか侵略者達を追い払えてるようだ。

 問題はその他の人間だ。

 特に、今まで積極的に侵略者と戦ってこなかった彼らは、確実に数を減らしていく。

 "しきちゃん"を手伝わせているが、数が多すぎて全て処理するのに時間がかかりそうだ。

「っ!?」

 突然、腕を引かれて悲鳴を上げた。

「乗れ」

 何を言われたのか理解が追いつかない。

「早く背中に乗れ。あいつと合流する」

 素早く流れる人間の言葉は、識の力を使っていないソウには聞き取りづらい。

 風に背中を押されるがまま、サラの背中にくっつくと、両足を抱えられる。


 サラは、勢いよく走り出した。




―――



 ミミと合流し、また別れた頃。


「また少しだけ、思い出したんだ」

 侵略者を燃やしながら、サラは呟く。

「たまに声のような意志が、聞こえてきていた」

 ソウは、そういえば随分かみさまと話をしていないことを思い出す。

「かみさま、こえ」

 ソウの説明に、サラは大して興味を示さなかった。

「かみさまとやらがいんなら、そいつが世界を守ってくれりゃあ良いのにな」

「?」

 きょとんとするソウの様子に、サラは上手く伝わっていないときづいたようだ。

「……だから」

 サラは、極力ゆっくりと言葉を選んで伝えてくれた。


 かみさまが世界を守ればいいだろう、と。


 その言葉に、ソウは瞬きを繰り返した。

 思考が晴れるような心地がしたのだ。

(どうしてかみさまが来てくれないのか、だなんて。考えたことがなかった)

「だから、あんたが代わりに守ってくれていた。そうだろ」

 サラはそう言って、空を見上げる。

「この地にやってくる侵略者なんてごく一部だ。あんたがいなかったら、もうこの世界は壊れてただろうな」

 ソウが生まれる前は、神さまがこの世界を守っていた。

『神さま』

 識の精霊はそう言って嬉しそうに飛び回る。

『違うよ。俺は神さまじゃない』

『合ってるよ。神さまの心が割れて2つになったけど、今は君の中でひとつになってる』

 ソウは首を傾げる。

 いまいち、ピンと来ていないから。

『まだ力が戻ってない。人間は信用出来ない。だから、気づかれたくない』

「……そういう事情か」

 精霊、余計なことを。

「それなら、顔は見られんなよ」

『相手がサラだからって何でも話すのは良くないよ』

『気をつける』

 ソウの注意に精霊はしゅんとする。

『いつも話を聞いてくれてありがとう』

 ソウはお礼を伝えて、大きなフードを口元まで引き下げた。



 少女が倒れる。


 胸から溢れる、血。


 あっという間に体から失われる命。


『アイ、ないない』

 精霊の言葉に、サラは動きを止めた。

【サラは、アイという人間と知り合いだったね】

 サラの表情はこちらからは見えないが、

「……別に。そんなんじゃねーよ」

 声は震えを抑えているように感じた。

(侵略者の中に、種……?)

 木の幹に埋め込まれた黒い粒は、花の種らしい。

 ミミが解き明かしてくれた。

『ミミがあの人を追いかけたよ』

『ミミ、泣いてた』

『ミミ、怒ってる。恐いよ』

「なにか言ったか?」

 サラには届いていなかったようで、疑問が返ってくる。

「……サラ、おろして」


 ミミを止めないと。


 片割れが感情に飲まれ、力を暴走させた光景が脳裏をよぎる。

 同じことを繰り返してはいけない。

【サラは、残りの侵略者を】

「……いや、でも」

【侵略者の排除が最優先だ】

 ぐ、とサラは息をつまらせた。

【ミミ達はすぐにサラと合流するよう伝えるから】

 ソウは自分の顔に手のひらを翳すと、仮面が貼り付いた。

 まるで、等身大のしきちゃんのように。


「ソウ!」

 ソウは、サラの制止を待たずに駆け出した。


 木々を抜け、風を切り裂き、前へ進む。


【ミミ】


 ミミの前に、立ち塞がるように降り立つ。

「……しきちゃん」

 ミミの顔は憔悴していた。

「あっキミ。いつかの!」

 指さして叫ぶスピルを一瞥した後、

【どうしたの】

「アイさんが……し、」

 ミミは耐えきれず、涙を一筋零す。

【侵略者の退治が優先だ】

 ミミの顔が焦燥に変わる。

【あの人間は、しきちゃんに任せて】

「待って!」

 ミミは高い声で制止した。

 ミミの瞳には、怒りや恨みがありありと見える。


 いつかの、アスカのように。


【君は、同胞の命を狩らない方がいい】

 ミミがアースにトドメを刺そうとした時のことを思い出す。

 結局、ミミの撃った銃弾はあらぬ方向へと向かったのだ。


 ミミはその言葉に目を開き、それから耐えるように目をぎゅっと閉じる。

「……しきちゃん」

 どうしたら良いのか分からないと訴える顔だ。

【あの人間は、しきちゃんに任せて】

「……っ」

【君達は、サラと共に侵略者を全て退治して】

 ミミの表情が崩れた。

 抱えていた感情が、涙になって零れる。

「しきちゃん、あたし……っ!」

【分かってる】

 伝わっている。悔しさ、歯がゆさが。


 ミミはすぐに袖口で涙を雑に拭う。


 ……もう、涙は止まっていた。


「しきちゃん」

 決意の声。

「無事に、帰ってきてね」

 ミミは、祈りのように願いを口にした。

【もちろん】

 そう返し、ソウは地面を蹴った。


 意識の先にいる、人間を追いかける。


 ……人間がこちらの言葉を受け入れてくれたのなんて、何度目だろうか。


 ソウの口元が僅かに緩む。


 ……嬉しい。安心する。

 こんな感情、いつぶりだろうか。


『人間がきづいたよ』


 精霊の言葉に気持ちを引き締める。

 集中しよう。今度は油断しない。


 ソウは、木の王――アスカ――の前に降り立つ。

 アスカは嫌悪感を隠さずにこちらを睨みつけてくる。

【君は、取り返しのつかないことをした】

「……何のこと?」

【全部知ってる】

 アスカの表情が変わった。

「全部……?」

 それは、軽蔑した顔だった。

「人間でもないアンタが、何を知ってるって言うの……!」

 激情に呼応して、強い風が吹く。

 ああ、やはり。変わらないか。

『君たち、あの人間に協力するのをやめて』

 精霊に呼びかけると、

『分かった』

『嫌だったんだよねーあの人間に力を貸すのは』

 精霊達はそう言って了承してくれた。

『バイバイ人間』

「……は?」

 アスカにも最後の声が聞こえたのだろう。

「ちょっと待ってよ!」

【彼らの声は聞かないのに、力を貸せだなんて身勝手だ】

 アスカは悔しげだ。

「アンタ、何をしたの!」

 まさか、力を取り上げられるとまでは思って居なかったらしい。

 声を荒らげて精神的優位を取ってこようとする性格は、もう対策している。

【君の、今までの行動が返ってきているだけだ】

「っ!」

 アスカは何かに気づいたが、すぐにまたソウを鋭い眼光で睨みつける。

「精霊の力を借りなくてもッ」

 アスカは叫び、ソウに向けて手のひらを向ける。

 彼女の意思に呼応するように、背後から侵略者が勢いよく飛び出した。

 ソウの足元の地面が、ひとつ、小さく盛り上がる。

 そこから勢いよく伸びたのは、ソウの腕ほどの太さの蔓。表面は細かいトゲが毛のように生えていた。

 そんな緑色の蔓は、侵略者にまっすぐ飛び、そのまま巻きつく。

 侵略者は、空中で勢いを失った。

【侵略者を操る、木の力の理解が深まるよ】

 無数のトゲから紫色の液体が染み出した。

 それに触れた侵略者は、苦しそうに暴れ出す。


 不意に、ぶちりと何かが切れる音がした。


 侵略者の背から伸びる透明な糸が切れたのだ。

 その先を目線で辿ると、アスカの指に巻きついているのが見えた。


 ……侵略者は、溶けるように消えていく。


「バカにしないで!」

 アスカが手を横に広げると、地面から毒々しい花が一輪芽吹く。

【無理矢理力を引き出そうとすると、体が壊れるよ】

 アスカの頬に黒いヒビが走っているのを見て、ソウは伝える。

 相当な激痛に蝕まれているはずなのに、アスカの表情は憎悪から変わらない。

「どうせ、従ったところでアタシを殺すつもりでしょう」

 それはアスカ次第だと伝えようとして、やめた。


 伝えたところで、この人間が世界を汚すことはやめないだろう。


【最後に質問。どうして、金の王を殺したの?】

 アスカは、はっ、と息を吐き出して笑う。

「あいつのことを、一番慕っていたからよ」

 結局、アヤネは、アスカの実験台にされたのだ。

 侵略者を操れるのかどうか。

 その相手に彼女を選んだのは、アスカの恨みから。


 ……なんて、身勝手なのだろう。


(もう、この人間から聞き出したいことはない)


 ――かみさまの命に従って、


【アスカ。君を排除する】


 この人間を逃がさないように、周りを炎の壁で取り囲んだ。

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