つきうさぎ

 青年に願われ、人形は小さな世界に

 色がある。

 音がある。

 なにかが、触れている。


 ――すべてが、はじめてだった。


 まぶしくて、うるさくて、くすぐったくて。

 こわいのに、目をそらせない。


「……キミ、もしかして、オレが作った子?」


 声。

 それが“声”だと、なぜか分かる。

 そちらへ顔を向けると、ひとりの青年がいた。

 泣き出しそうな顔で、こちらを見ている。

「これは、つきうさぎ。初めて作った人形で……この世界に来たときに持ってたんだ」

 差し出されたのは、繋ぎ目は剥がれ、ところどころ綿が零れているうさぎの人形。


 ――それを、知っている気がした。


「オレは、これが君だって分かる」

 分からない。

 分からないのに、その言葉は、すとんと胸の奥に落ちた。

 腕を持ち上げる。

 ぎこちない動きの先、小さな白い手が、うさぎに触れた。

 ざらり、とした感触。

 押せば、やわらかく沈んで、すぐに押し返してくる。

「つ――……き」

 音がこぼれる。

 喉がひりついて、うまく形にならない。

「そう。ツキ。つきうさぎのツキ」

 ツキ。

 それが、自分。

「キミのことだよ」

 もう片方の腕も動かす。

 たどたどしく、それを抱き寄せると、胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。


 ――安心する。


 理由は分からない。

 けれど、ずっと前から、こうしたかった気がした。

「小さい頃に作ったキミに、また会えるなんてな」

 青年が笑う。

 その顔はまぶしくて、見ているだけで、胸の奥がほどけていく。


 ――もっと、見たい。


「オレのことは、スピルって呼んで」

 呼ぶ。声を。出す。

 どうやってそれをするのか分からない。

「あ……う……」

 意味のない音だけが、こぼれ落ちる。

 それでもスピルは、楽しそうに頷いた。

「キミの体、人形みたいだし……それに」

 一瞬、視線が下がる。

 つられて、自分の体を見る。

 なにもまとっておらず、つるりとした肌色が映っている。関節部分は丸く、このお陰でぎこちなくも手を動かせるのだと理解した。

「……服がいるよな」

 スピルはひとつ息を吸って、ぐっと拳を握りしめた。

「よし。探しに行こう。近くに人がいるかもしれないし」

 その笑顔は、光みたいだった。

 まぶしくて、あたたかくて。


 ――目が、離せなかった。







「――ツキッ」


 ぼやけていた世界が晴れる。

 ツキは、壁を背に倒れていた。

 息……は、苦しくて咳き込んでしまった。

 痛い。お腹が、腕が、背中が……鈍く痛む。

「無理するなっ」

 発砲音。

 銃弾が、一直線にツキへ向かう。


 ――来る。


 だが、その直前、空気がわずかに歪んだ。

 弾丸は見えない壁に弾かれ、乾いた音を立てて床に落ちる。

「……スピル」

 視線の先。

 風が、揺れていた。

 ツキにも力はある。

 “闇”だ。

 閉じ込めることも、潜むこともできる。

 けれど――、

(わからない)

 どう使えばいいのか。

 どうすれば、守れるのか。

 もっとこの力に対する理解を深め、意のままに操ることだって出来る。……今しがた、"風"の力しか使えないスピルが空気の壁を作って銃弾を防いだように。

「いい加減、あの腐敗を止める方法を教えてくれないか」

 スピルはミカゲへ問う。

「……言うと思う?」

 ミカゲが目を細めたその瞬間――、


 弾の中から、蔓が噴き出した。

 太い。ツキの腕ほどもあるそれが、一直線に迫る。

 避けきれない。

 脇腹に衝撃。

 身体が宙に浮き、床を転がった。

「――っ!」

 追いすがる蔓。

 だが、そのすべてが途中で断ち切られた。

 風だ。見えない刃が、まとめて引き裂いていく。

「……っくそ」

 スピルが低く吐き捨てる。

 狙いは明確だった。

(ツキ)

 弱い方から潰す。

 それだけの話だ。

 ノノカが、くすくすと笑う。

 今すぐ彼女らを切り刻むことは出来るが、目的は穢れというやつを止める方法を聞くこと。

 彼女らを拷問して聞き出すなんてスピルの性格上選択肢になかった。

 ここはツキの心を読む力を頼りたいところだが、あれは特定の人間の心を読みたいと願って読めるものではない。

 ツキのの上に成り立っている力だから、興味のないいきものの心を読めることは出来ない。

「スピルって不思議だよねー」

 ノノカの持っていた鞭が、しなる。

 空気が裂ける音。


 次の瞬間、衝撃が走った。


「――ぐっ!」

 肩口が裂ける。

 熱が遅れて追いついてくる。

「この世界、携帯もないし、SNSもない。お菓子もない。美味しいご飯もない」

 軽い口調のまま、二撃、三撃。

 スピルは風の壁を張るが、簡単に裂かれる。

(厄介だ……)

 防げない以上、避けるしかない。

「うちの知らないにんげんのいる世界に来れたと思ったのに、娯楽無さすぎ。退屈すぎて死んじゃうよ」

 そう言ってノノカは重たいため息を吐く。

 彼女の持つ鞭の長さはおおよそ10m。長ければ長いほど作られる衝撃波が強いらしい。

 発生時間はその分伸びてしまうが、その間にを撃ち込まれたら注意が散漫になってしまう。

「前の世界の方がなんだかんだ良かったのに。スピルは結局、そのお人形さんと離れたくないからここに居たいだけでしょ」

 スピルの思考が、冷える。

 撤退。

 その二文字が浮かびかけた、そのとき。


【こんにちは】


 不意に、知らないいきものがスピルの視界に現れた。

 ツキの傍にも同様に現れる。

 手のひらサイズほどの、光を吸収するくらい黒い姿。目は白い縦長の円が2つならんでおり、鼻口は存在しない。

 なにより、この音。頭に直接響く言葉は初めての経験だ。

 男なのか女なのか分からない……不可思議な力。

【リーダーと会えた。薬も手に入った。でも、この建物は崩れるかもしれないから中にいるのは危険】

「……は?」

 思わず、スピルの口から間の抜けた声が出る。

「誰だ、アンタ」

【死にたくなかったら、外へ】

 それだけ言って、不思議な存在は消えた。

 ツッコミどころが多すぎる。

 誰か分からないが、唯一わかるのは敵では無さそうだということだ。

「なに……!?」

 その時、地面が大きく揺れた。立っていられず、スピルは床に手をつく。

 迷っている暇はない。

「ツキ!」

 スピルが何を言いたいのかいち早く理解したツキは、壁に黒い靄をまとわりつかせる。

 特定のいきものを、壁を無視して移動させる道だ。

 地面の上は走れない。

 スピルは空気を足場にツキの元へ走った。

 

 ……轟音。


 意識がわずかにぶれる。

 何事かと思ったその時、天井から瓦礫達が、ちょうど二人との間に落ちた。

 衝撃にスピルは腕で顔を隠し、耐えた。

 白い埃が舞う。

「……」

 壁ができてしまった。声は届かないだろう。

「スピル」

 スピルは悩んだ。

 共に逃げるよう行動に移すか、ツキと共に逃げるか。

 決して仲がいい間柄では無かったが、知り合いが逃げられなくなるのは後悔が残るだろう。

「スピル上ッ!」

 ツキの叫び声が、スピルを反射的に天井を見上げさせた。

 上から大きな瓦礫。

(瓦礫を防ぐ? いや、無理だ)

(瓦礫を切る? いや、分厚すぎる)

「……っ」

 スピルはツキを抱え、避けるように暗い闇へ飛び込んだ。

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