しるべのおう - 3
……
ミミはその時を思い出さずにはいられなかった。人の死を、しかも何人もの生々しい光景に立ち会ったのは、あの村の惨劇が初めてだった。血に染まった大地、そして村人たちの絶叫。目を閉じても、耳を塞いでも、その光景が目の前に広がってくる。
恐怖と嫌悪感が入り混じった感情が心を支配する。しかし、ある部分でそれに慣れている自分がいることも事実だった。気持ち悪さはあるはずなのに、今はそれすら感じない。感情が鈍くなってしまっているのかもしれない。
頭を切りかえよう。
今はそれを考える時ではない。サラが走り去った方向に目を向け、ミミは決意を新たにした。目的は一つ、あの人物を追いかけることだ。
……すぐに目的の人物は見つかった。足音を忍ばせ、距離を縮める。
ミミは木の影で足を止めて様子を伺うことにした。追いかけてきたことをバレては話が進まないかもしれないからと思ったための行動だ。
「あんたに、力を貸して欲しいことがあるんだ」
風に乗って聞こえたその声は細く震えていた。
「俺、前の記憶がなくて。全然思い出せないんだ」
ミミはそっと木の陰で身をひそめ、彼女の声に耳を傾ける。気配を殺して動くことは得意だ。家の敷地内で動物を観察することが多かったから、それが自然にできる。
言葉が続くたびに、サラの背中は小さく震えている。彼が抱えている不安が、ミミにも伝わってきた。
「どうやってこの世界に来たのか、願い事はなんだったのか。どうしたら思い出せるようになるのか、分かんなくて」
その言葉が、ミミの胸をわずかに締めつける。先程までの冷徹な態度とは裏腹に、サラは今、どこか幼さを感じさせるような表情をしていた。
【……思い出そうと意識しても、思い出せないことは多いものだよ】
それは、とても言いにくそうに聞こえた。真っ当な意見だからこそ、現実に直面させるのは酷だと感じたミミだからそのような感覚を覚えたのかもしれない。
「わかってる。でも、思い出したいんだ。もし、あんたにそういう力があったら……」
それ以上言葉が続かなかったのか、言葉が尻すぼみに途切れた。
【君の記憶、復元することできる】
その言葉を聞いて、ミミは驚いた。なんと。どうやらしきちゃんは万能らしい。どんな力を持っているのか分からないが、不思議な存在だ。
「じゃあ、」
【何故思い出したいの?】
どこか理解できないような、違和感を覚える声だった。その問いに、サラはすぐには答えられなかった。
【そこの君】
はじめ、ミミは自分のことを呼んでいることに気が付かなかった。だって、向こうはこちらを見ていなかったし、なにより自身は隠れられていると自信があったのだから。
【隠れていないで話をしよう、ミミ】
名前を呼ばれ、飛び上がった。がさりと木の葉が擦れる音が鳴る。
どうやら、サラもミミの存在に気づいていたようだった。特に文句を言う訳ではなく、ひと睨みされただけで済んだ。
【君は幼い頃の記憶をすぐに思い出せるかい?】
その問いに、ミミは答えられない。自分の両親との記憶が、すぐに浮かぶのは確かだ。しかし、それは思い出したくないことでもあった。
【例えば、君の両親と言葉を交わした日々】
ミミは、ぎゅ、と心臓が掴まれた感覚を覚えた。思い出すのが怖い。忘れたかった。
それなのに、全部思い出したいか、だって?
その言葉のままを受け取るのであれば、
「……全部は」
断片的に情景が脳裏に浮かんだ。沢山の花束の中で泣き叫ぶ幼いスミレと、彼女を抱きしめる自分。
忘れかけていた記憶が掘り起こされそうになって、拳を握りしめて耐える。
【思い出したいと思うかい?】
「……できれば、思い出したいと思うけど」
それが精一杯の答えだった。自分でも、何を言っているのか分からなくなるくらい、感情の海におぼれそうになるのを耐えるのに必死だった。
【出来れば、か】
想像以上のトゲのある言葉にミミは口を噤んだ。
「こいつと一緒にするな。俺は、そんな適当な気持ちじゃねぇ」
あまりの剣幕に怯んだミミから再び識の王へと視線を向けるサラ。
「思い出してぇんだ。だから、あんたと話がしたくて探してた」
その言葉には、本気の気持ちが込められていた。
【残念だけど、使えない】
その言葉に、サラの顔に絶望が広がる。彼の表情が一瞬で変わり、目に涙を浮かべるのが見えた。彼は本気で助けを求めていたのだ。
【自然に思い出すまで待つと良い】
その言葉は冷たい響きがした。
「それは、いつ来るんだ」
サラの問いに、識の王はしばらく黙っていた後、ようやく答える。
【……分からない】
その短い言葉の後、再び沈黙が訪れた。
「あなたは、何者なの?」
聞こうかどうか悩んだ末の質問だった。
【私は識の王】
「いや、そうなんだけど。そうじゃないんですよ」
伸ばした手がしきちゃんに触れかけたとき、嫌がるように飛び退かれてしまった。
【話は終わり?】
「待って。もう一つあるんだ」
サラの顔には涙が浮かんでいた。
「俺のことを、知っている人がいるんだ」
その言葉には、必死さが感じられた。
「思い出せなくてもいい。それなら、その人がどこにいるのか知りてぇんだ」
【その人の特徴は?】
鋭く凍った声に圧されたのか、サラははしばらく言葉を詰まらせた。
けれど、唇をぐっと噛みしめて識ちゃんに向き直る。
「瞳が、その……綺麗」
その言葉を絞り出すように発したサラの声は震えていた。
【瞳の色は?】
「……一瞬だったから、分かんねぇ」
【顔は?】
「……」
ミミも聞いたけれど想像出来ない。そもそもわかる特徴がないのだから。その人が男なのか女なのかも分からない。
【そのいきものを、私も探そうか】
「ほんとうか!?」
絶望的な表情をしていたけれど、識の王の言葉に、ぱぁあ、と晴れていく。
【この世界のことならなんでも知っている】
感極まっているのか安心しているのか瞳をうるませながらたどたどしく伝えているその姿は、先程までのつっけんどんな態度とは想像つかない。
【あとは何かある?】
まだ何か言いたげだが、首を振った。
【わかった。また会うときにでも】
今度こそ消えてしまった。
「なんか、不思議な人だね」
ミミがぽつりと呟くと、サラは振り返り、冷たく言った。先ほどの年相応の態度は一瞬で隠れてしまっていた。
「少なくとも、生き物ではねーだろうな」
その言葉には、確かな思いが込められていた。
「どこいくの?」
「ついてくんな」
サラの声には、もう怒りや悲しみは感じられない。
「君のこと、任されたんだから!」
ミミは胸を張って言うと、サラは不審そうな顔で振り向いた。
「誰から」
「……え、えーと……それは、内緒」
ミミは誤魔化しながら歩みを進める。ため息が返ってきた。けれど、もう、気にしない。
二人は次の目的地へと向かう。金の国へ。
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