カーレン・ファーデン編

愛、選ばれることが全てであり、それは不公平で不可解な基準による理不尽なものである。

仕事でヘトヘトに疲れきって家に帰ったら、絶世の美少女のようで空っぽな人形でしかない存在の、極上の微笑みで迎えられたい。

球体関節の肢体を抱きしめながら、柔らかな髪を梳かして、虚無と空虚に愛も憎悪も不安も疲労も余すことなく呑み干して一層美しく笑いかけてくれるなら、身代を持ち崩すほどの大金だって用意しよう。

おれは、おれだけの人形が欲しい。

中学生の頃、不登校だったおれは薄暗い部屋でパソコンを使ってネットサーフィンをすることが日課だった。


サラダ味とは名ばかりの野菜なんて欠片も入っていない不健康なしょっぱいスナック菓子を貪り食いながら、アニメや漫画について考察している匿名掲示板のまとめサイトをひたすらに徘徊する毎日。

あの時期の記憶はほとんどないけれど、時間の流れがやけにゆっくりだったことは覚えている。

カラフルなフォントの、どこの誰が書いたかも分からない発言がマウスホイールを転がす度にひたすら流れていく。

別に悲しいことがあったわけじゃないけれど、おれに生きてる価値が無くて、この世は苦痛に満ちていて、おれはおれという存在が耐えられない。


現実から目を背けたい一心で、他のまとめサイトに飛べるリンクタイトルをクリックした途端、軽快にスクロールしていた画面をとめた。

画面に並んでいたのは、等身大の自動人形の写真。

淡々と美しく、黙して語らず、極上の笑顔だけを返す硝子玉の瞳と陶磁器の肌、そこに在り続ける不変の存在、無機の美としての至高の少女。

誰にも犯されない、汚されない存在への安堵、一体どれほどの人間が理解できるのだろうか。

透き通るような瞳を持つ彼女達の写真を一枚、一枚と見るうちにおれは泣いていた。

この世で一番優しい存在だ。

感情の読めないひたすらにうつくしい微笑みは、この世の何よりも重かった。


視界が歪んで何も見えない。

涙を拭って、まとめページのタイトルを見返す。

「蜘蛛印のドール」という簡潔なタイトルが表示されていた。

それからというものの、おれは嫌で嫌で仕方がなかったメンタルクリニックへとサボらず行くようになり、飲み忘れが多かった精神薬を毎日飲み始め、頓服薬をかじりながら学校に行き、受験のプレッシャーに負けそうになる度に誰が持ち主かも分からない蜘蛛印のドールの写真を眺める。

凡人なりに勉学に励み、それなりの学歴を作って、そこそこの給料の貰える職場に就職した。

仕事を頑張った理由は、おれだけの蜘蛛印のドールをお迎えしたかったからだ。


しかし、蜘蛛印のドールは謎が多い。

製作者がカーレン・ファーデンという名前なことしか分かっておらず、販売店の場所は不明。

何年もインターネットを徘徊するうちに、ネットオークションで出品されていたらしき形跡をいくつか発見することは出来たが、非常に高額な入札があったであろうに、全てが落札者なしと表示されていた。

出品者の評価を見るに、どいつもこいつも一度は見捨てようとした人形がやっぱり手放しがたくなって出品の取り消しをしているのだろう。

ずるい、くやしい、どうしておれの元には来てくれないの。

他のドールでは意味がない。

おれが共に生きたいと焦がれてやまない少女は、他でもない蜘蛛印のドールだった。


分厚い雲のせいで月が出ていなくて正確な時間はわからないが、夜の裏路地をおれは歩いていた。

どうしてここまで来たのかは覚えていない。

最後の記憶は、会社のオフィスでただ一人残業をしていた事だ。

寝不足でグラグラする視界のまま、靄のかかった思考で歩を進める。

ふらふらと揺れながら歩くおれの目の前に、オレンジの灯が差し込む。

突然の光が視界に刺さり、クラクラする。

身じろぎしながらよく見てみれば、それはレンガ造りの建物であった。

表札に記された名前を見た瞬間、おれは光に魅了されて誘われる蛾のように覚束無い足取りで扉に近づいた。

ドキドキと心臓が騒ぎ立てる。


右側の柱に設置されたレトロなドアベルの紐を揺らせば、カランコロンと鈴の音が鳴り響く。

やがて扉がゆっくりと開き、中から一人の女性が現れた。

「……あら、こんな真夜中に。お客様?」

目元の左右対称な位置にそれぞれ一つずつホクロがあり、小ぶりな顔は白く整っていて、リボンのように結んだ紫色の髪を腰まで垂らしている。

少女のようなあどけない容姿とは裏腹に、ひどく落ち着いた声色は成熟しきった女性のものだ。

「あなたも、私の人形が必要なのかしら」

目線をおれから逸らさずに、中指のフィンガーナイフを弄りながら彼女が言う。

そのまま導かれるように、おれは彼女……憧れの人形師であるカーレン・ファーデンの店の中に案内された。


店内には様々な種類の蜘蛛が這っているが、かび臭さや埃っぽさはまるでなく、清潔が保たれている。

ガラスケースの中には、夢にまで見た大量の自動人形達が並んでいて、気持ちがはやる。

彼女はアールグレイを淹れて、おれの目の前に置く。

繊細な装飾が掘られたガラスのティーカップは、気安く触れていいものかと躊躇してしまう。

「うちの子達はみんな良い子だけど。その分、高価よ。所詮は物と言う方もいらっしゃるけど、作り手としてはあの子達の尊厳を守ってくれる人間の元にしか送り出したくない。お迎えは生半可な気持ちでして欲しくないの」

「は、はいっ!存じております!」


急に話しかけられて背筋が伸びる。

「そう……ごめんなさいね。試すようなことを言ってしまって。この場所に辿り着けた時点で、あなたがそんな人間じゃないのは理解しているつもりよ。そういう風にできているから、そう、創ったから」

「あの……?」

「なんでもないの。こっちの話」

「わ、わかりましたっ!お、おれっ!あなたの人形の、彼女達のファンなんです!彼女達は女神様なんです、ずっと。至高の少女なんです。その気高い硝子の心臓と生きることが許されるなら、おれは破産するくらいわけないです!」


本心を捲し立てるおれに対して、彼女はしばらくきょとんとした後、肩を揺らしながら笑った。

「ふっ、ふふ」

「……あ、すみません、急に」

怒られるかと思って身が縮こまるおれに、彼女は目を細める。

小さくきらめく夜空の星を見るようで、孤独を見透かして全てを許すかのような、慈愛に満ちた眼差しであった。

「人形には抗いがたい魅力があるからね。この子達はオーナーを見返りのない心で愛してくれるもの」


▼ E N D

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