瞳ちゃんと秘密のマッさん
縁代まと
瞳ちゃんと秘密のマッさん
――
そんな噂が広まったのは春のことだった。
隼瀬瞳は俺、
そんな彼女を探して俺は校内を早足で進んでいた。
隼瀬とは話したことがない。
しかし俺はオカルト研究部の部員としてやるべきことがある。
そう、隼瀬が飼っているというおかしな生き物について話を聞くのだ。
俺はUMAの類ではないかと考えている。
なにせその生き物の目撃証言が「凄く小さいけど二足歩行だった」「なんかピカピカしてたよ」「目にもとまらない速さで動いてた!」なのだ。
正直言って自分と接点のなかった女子に話しかけるのは恥ずかしいし緊張するが、それを上回る使命感が背中を押してくれた。
オカルトは何が起こるかわからないのが面白い。
そのためなら勇気のひとつやふたつ出そう。
そうしてようやく見つけた隼瀬は中庭の端で本を読んでおり、目線はわからないがこちらには気がついていない様子だった。
さあ声をかけよう、と一歩前進したところで風が吹く。
この中庭は校舎と校舎に挟まれる形になっているため、少しの風でも思っていたより強く吹きつける場所として生徒の間では有名だった。
だからこそ休憩時間でも通り道として以外に使われることがないのだ。
――そう、隼瀬を除いて。
「あっ!」
本に挟んでいたんだろう、腰掛けたベンチに置いてあった栞が風に飛ばされる。
俺は思わず手を伸ばしたが、しかしその手より先に栞を掴んだのは小さいマッチョだった。
小さいマッチョだった。
マジで小さいマッチョだった。
重量級のボディビルダーのように鍛え抜かれた肉体が太陽光を反射してピカピカと輝いている。
どこからどう見てもマッチョなおっさんだが、大きさは12cmほどしかない。
まるで生きていると錯覚するほど精密な出来のフィギュアのようだ。
……そうするとちょっと趣味がアレなフィギュアだが。
小さいマッチョなおっさんは栞をキャッチすると空中でくるりと一回転し、見事な身のこなしで俺の足元に着地した。艶やかな黒い短髪がふわりと遅れて降りてくる。
そして、そのまま俺を見上げた。
歯が白くて綺麗だった。
いくらオカルト研究部でもこの展開には呆然とするしかない。
無言のまま小さいマッチョなおっさんから視線を引き剥がし、隼瀬を見ると――この時だけは、驚いた彼女と『目が合った』とハッキリわかった。
***
隼瀬曰く、この小さいマッチョなおっさんはひと月ほど前から飼っているらしい。
初めは皆にバレると大ごとになるため部屋で留守番してもらっていたが、トレーニングの音と声がなかなかにド派手で今度は家族にバレる可能性が出てきた。
だから学校に連れて来たのだという。
中庭は人が少ないことを知っていたので、たまにここで読書をしつつおっさんにもトレーニングをしてもらっていた。そこへ運悪く俺が来たというわけだ。
隼瀬は情けない顔をしながら言う。
「竹内くん、お願い! このことは黙っといて……!」
「い、いいけど、もう結構噂になってるぞ」
「嘘ぉ!? え、もしかして教室でコッソリとお弁当をわけてあげた時に見られたんかな……それともロッカールームで蛾を追い払ってくれた時……?」
「わりとボロ出てるな」
あああ、と頭を抱える隼瀬をよそに、小さいマッチョなおっさんは輝く笑顔で俺を見上げていた。
じつに堂々としている。
そして予想外の低く響く良い声を発した。
「驚かせてすまないね! 瞳には猫に襲われ疲弊していたところを救われたんだ!」
「ぅわ喋った!」
「私は小さいマッチョなおっさん、略してマッさんと呼んでくれ!」
「気さく!」
「うちと出会った時に思わず小さいマッチョなおっさんやなぁって言ったら気に入られてな、そのまま愛称になったんよ」
なんとか復活したらしい隼瀬がそう説明する。
これは……その、都市伝説の『小さいおっさん』の亜種みたいなものだろうか。
想像していたものとは異なるがじつに興味深い。
俺は隼瀬と小さいマッチョなおっさん――マッさんを交互に見てから言った。
「この件は秘密にしておく。これから存在を隠すのも手伝う。噂なんてすぐ消えるから大丈夫だ。代わりに……」
「ス、スケベなことさせてくれ?」
「隼瀬……お前、思ってたより頭の中ピンク色なんだな」
また頭を抱えてジタバタし始めた隼瀬に俺は続ける。
「オカ研として興味があるんだ。マッさんを観察させてくれ!」
「よし、毎日私の肉体美を見せつけてあげよう! とくとご覧あれ!」
「そっちから許可が出た! あー、隼瀬は……」
はっとした隼瀬は一瞬なにかを考えていたようだったが、すぐに「え、ええよ!」と頷くとやけに力強く俺の手を握った。
***
一言で言うならマッさんは『いい奴』だった。
……が、とにかくトラブルメーカーだった。
まず最初に「仲間が増えた歓迎のマッスルポーズだ!」と背筋を見せつけるポーズをした瞬間、さっきの風とは比べ物にならないほど激しい謎の圧が発生して俺は見事に吹き飛ばされた。
なんでも筋肉にタイミング良く力を込めるとこうなるらしい。
オイ、なんでわかっててやった。
この時についた擦り傷に隼瀬が絆創膏を貼ってくれたが、その絆創膏は手羽先柄だった。謎のセンスだ。
……が、女子にこんなことをしてもらったのは人生初の出来事なので、翌朝まで剥がさなかったのは秘密である。
そんなマッさんは授業中でも思い立てば体を動かしたがった。
黒板の内容をノートに書き取っている真っ最中、静かな教室でマッさんのスクワットの音がカバンの中から聞こえてきた時は俺も隼瀬も肝を冷やした。肝が冷凍されたんじゃないかと思うくらいに。
幸いにも先生はスマホの音だと思ったのか「授業中は電源切っとけよー」という軽い注意だけで済んだが、今後のためにも対策が必要だ。
あとは昼飯の時も大変だった。
なにせ周りに見つからないようにマッさんにも弁当をわける必要があるのだ。
俺も隼瀬も一緒に飯を食う友達がいる。
その中でおかずをソッとカバンの中に差し入れる、というのは意外と難しい。
隼瀬が目撃されたのも仕方のないことだと思えてしまう。
少し昼飯の時間をズラせないのかマッさんに訊いてみたが、マッさんは「食事は決まった時間に食べねば!」と頑として譲らない。
あと鶏むね肉を所望された。どさくさにまぎれてリクエストすんな。
やっぱり対策が必要だ。
そう結論付けた結果――俺は作戦会議という名目で隼瀬の部屋を訪れていた。
……その、道中は大丈夫だったんだ。
しかし部屋に一歩足を踏み入れた瞬間「あれ? これって要するにクラスの女子の部屋に遊びにきたことになるんじゃね?」と思い至って一気に緊張してしまった。
「お、お邪魔しま……」
「よく来た! 竹内少年!!」
「……」
ただし、その緊張も長続きはしなかった。
部屋には小さいマッチョなおっさんという特大のノイズが存在するのだから。
隼瀬は俺を部屋に招き入れるとお茶を振る舞ってくれたので、若干残念な気分も少し持ち直した。
お茶菓子は土産として俺が持ってきたチョコチップクッキーだ。
その横でマッさんがボトルキャップでプロテインを一気飲みしている。
対策についてはいくつか考えてきた。
まずマッさんに手ずから昼飯を与える必要はないのではないか、という確認から。
この通り、多少偏ってはいるがマッさんには人間と同等の知能がある。喋って意思疎通できるくらいなんだから当たり前といえば当たり前だな。
なら彼用の弁当を作り、カバンの中で食べてもらえばいいのだ。
もちろんそんな小さな弁当箱はないが、小さな体に見合わないパワーを持っているマッさんなら固めの蓋でも大丈夫、つまりタッパーでも問題ない。
試しに手の平サイズのタッパーを渡してみると簡単に開けてみせた。
「小さい箸も用意しないとな、例えばミニチュアとか応用して――」
「いや、マッさんはいつも手づかみやから大丈夫やよ」
「ワイルド!」
でも似合ってるな……。
ひとまず昼飯に関してはこの方向で行くことにして、あとは授業中のトレーニングの問題だ。隼瀬も対策を考えていたのか何案か出し合って相談を進める。
俺の家で預かるのは隣室で兄貴がリモートワークをしているので危ない。
カバンの内側に防音材を貼るのは現実的ではなく、マッさん専用のしっかりとした防音ケースを作るのも却下。さすがに目立つ。
弁当持参が可能になったから日中はどこか目立たない場所に隠れていてもらう手もあるが、それでもし人に見つかったり再び猫に襲われたら大変だ。
――今更だが、人間を吹っ飛ばすような存在に対して優勢だったなんて、その猫スゴいな?
そう考えていると隼瀬が「せや!」と手を叩いた。
「休憩時間に目いっぱい運動して、授業中はクールタイムにしてもらお!」
「それは俺も考えたけど、そもそもマッさんが動きたい時間は決まってるから難しくないか?」
「そこで考えがあるねん」
マッさん、と隼瀬はマッさんに呼びかける。
「休憩時間にうちらのコーチになってくれへん? それでな、元気満々なマッさんに教えてもらいたいから、それ以外の時間は体力回復に充ててほしいんやけど……」
「え、隼瀬、なに言っ……」
「なるほど! そういうことなら良いだろう! みっちりと教えてあげよう!」
「快諾した!」
口元を引き攣らせる俺とは反対に隼瀬は「やった!」と拳を握ったが、この溌剌とした笑顔を見るにデメリットには気がついていないらしい。
俺はおずおずとそれを指摘する。
「隼瀬、あのな」
「え? どしたん?」
「休憩時間のたび俺たちがトレーニングすることになるけど大丈夫なのか?」
「……」
マジでそこまで思い至っていなかったのか、隼瀬はぱかっと口を開くと頭を抱えて唸った。
……大変な日課が増えた気がするが、交代で頑張ろうな、隼瀬。
***
それから季節は移り替わり、春が終わって梅雨が来た。
梅雨はマッさんの全身からキノコが生えてひと悶着あり、梅雨の終わりに今度は別種のキノコが股間から生えてきて更にひと悶着あった。
そこはセンシティブすぎるだろ。
本格的な夏に入ると隼瀬の夏服が眩しく――ついでに太陽光を反射したマッさんも普段の二倍くらい眩しかった。
これ、光を自分で増幅して放ってないか?
そして、夏休みに入る前に隼瀬から海へ行くお誘いを受けた。
なんでも叔父の経営している海の家へ「友達と一緒に遊びにおいで」と言われたらしい。
なら隼瀬の友達を誘えばいいんだが、俺が海でのマッさんの様子も観察もしたいだろうと気を利かせてくれたみたいだ。
俺は二つ返事でOKしたが、ここで条件がひとつ。
「あ、あっちにおる間だけでええんやけど、うちのこと隼瀬やなくて瞳ちゃんって呼んでくれへん?」
「なんで!?」
「男友達ひとりやって言ったらめちゃくちゃ警戒されてもうて……でも小さい頃から何年も友達しとるんやよって誤魔化してん。で、それやのに隼瀬はおかしいやろ?」
「そこまでおかしくは……」
「お か し い や ろ ?」
マッさんの筋肉くらい圧がある。
とりあえず……気恥ずかしいが、俺のために気を利かせてくれた結果だ。
だからこれくらいは協力しよう。わかったと頷くと隼瀬はまるで天国にでも来たかのように喜んでいた。
その翌週。
俺と隼瀬――ひ、瞳ちゃん、とマッさんは青々とした海の美しい街へと片道二時間かけて旅立ち、俺は旅行客向けの安い宿、瞳ちゃんたちは叔父さんの家に泊まることになった。
マッさんの存在がバレないか心配だったが、瞳ちゃんは誤魔化しきったみたいだ。
それでも旅行は二泊三日。
俺としては海を泳ぐマッさんを観察できて良かったが、帰るまで気は抜けない。
……とわかっていたのに海水浴中にマッさんがクラゲの毒で痺れて沈んだり、そのあと貝に挟まれたりと散々だった。主に救助に向かった俺が。
しかもトラブルを起こしたのはマッさんだけじゃない。
瞳ちゃんも足が攣って溺れかけ、なんとか俺が助けたが水着が流されて俺は目隠し代わりに謎の海藻を顔面に巻かれた。
うん、飼い主とペットって似るんだな。
そんなハチャメチャな旅行だったからだろうか、帰りの電車が最寄り駅に着いた後もうっかり「瞳ちゃん」と呼んでしまった。
「――あっ、すまん、もう偽る必要ないのに呼んじゃったな」
「や、そのままでええよ」
「でも」
「ええて」
「……もう結構仲の良い友達だと思ってくれてるってことか?」
そう問うと瞳ちゃんはもごもごと口を動かし、顔を背けつつも「せや」と頷く。
照れているらしいことは俺にもよく伝わってきた。
でも変にアタフタしないってことはそこまで気にしていないんだろうか。
それなら。
「俺のことも下の名前で呼んでくれよ、悟流くんって。だって向こうでこっちの名前を呼ばないように巧みに気をつけてたろ?」
「!」
それが気になってさ、と言うと、瞳ちゃんは盛大にアタフタして駅の自販機に片手をぶつけた後、痛みからか震えた声で「え、ええよ」と承諾した。
***
事件が起こったのは夏休みが終わり学校が始まった頃だった。
朝から狼狽える瞳ちゃんに開口一番「マッさんが攫われた!」と伝えられたのだ。
なんでも朝起きるといつの間にか部屋の窓が開いており、マッさんの姿がなかったのだという。しかも猫の足跡まで残っていたそうだ。
だがあのマッさんのことだ。
なにかあっても返り討ちにしているんじゃないだろうか、と思ったものの……かつて彼が負けたという化け物じみた猫が相手だとどうなるかわからない。
ひとまず俺たちは放課後になるまで待ち、そこからふたりで探し回った。
さすがにポスターを作るわけにもいかないし人海戦術も使えないが、幸いにもマッさんには高い知能がある。
確実に味方である俺たちの姿が見えれば自分から出てきてくれるかもしれない。
それに賭けて様々なところを走り回ったが――結局、その方法では見つけることができなかった。
暗くなった公園でベンチに腰掛け、疲れた様子で項垂れる瞳ちゃんにお茶のペットボトルを差し出すと、彼女は落ち込んだ様子のままそれを受け取った。
「ありがとう……ごめんな、巻き込んだ上にここまでしてもらって」
「俺も当事者だろ、そんな言い方するなよ」
「……うん、……」
瞳ちゃんは自分の足元をじっと見つめながら考え込む。
そのままなにかを決意した様子だったが、それでも上手く言葉にできないのか何度も声を詰まらせ――そして、しばらく経ってからようやくおずおずと口を開く。
「悟流くんは友達や。それやのに……うち、ずっと秘密にしとったことがあるんよ。今日はそのバチが当たったのかもしれへん」
「秘密なんて誰でもあるだろ」
「うちな、悟流くんのことが入学した頃から好きやってん」
さっきそれを再確認した、と瞳ちゃんは泣きながら笑った。
瞳ちゃんが?
俺を好き?
矢継ぎ早に色々と質問したくなったのをグッと堪える。こういうことは根掘り葉掘り聞かず、相手が言いたいところだけ言うべきだ。
そう自制しながら拒絶をしていないことを示すべく隣に座る。
すると瞳ちゃんは少しホッとした様子で少しずつ話してくれた。
瞳ちゃんは俺とどうにかして仲良くなりたいとマッさんに相談していたそうだ。
それを伏せてマッさんをダシに距離を縮めようとした罰だと瞳ちゃんは言う。
――いや、いやいやいや、そんなことで罰を与える神様なんていないだろ。
べつにマッさんを騙して道具にしてたわけじゃないし。
それでも瞳ちゃんにとっては大ごとらしく、前髪の下から流れてくる涙は止まらない。どれだけ思い詰めていたんだろうか。
俺はこんな時、どんな言葉をかければいいかわからなかった。
だから考えてみる。もし自分が瞳ちゃんと同じ立場だったらどうするだろう、と。
すると仄かながらも実感が伴い、悲しんでいる彼女にかけるべき言葉の輪郭が浮かび上がってくる。
「――告白ってさ、相手に嫌われるかもしれない、相手との関係が壊れてしまうかもしれないって思うと足が竦むだろ。今もそうだったんじゃないか?」
「……う、ん」
「それでも口に出来たってことは、瞳ちゃんはその恐ろしさより強く後悔してて、苦しい気持ちだったってことだ」
成就させたくて口にした告白じゃなかったんじゃないかな。
俺はそう感じた。どさくさに紛れて告白したって感じじゃなくて、本気で自分の想いのためにマッさんを利用したことと、俺にそれを黙っていたことを悔いているように見えたんだ。
だからあれは告白じゃなくて、どちらかといえば懺悔だ。
俺は人の心を読む力はないし、瞳ちゃんが実際にどう考えているかはわからない。
しかしこれまで接してきた中で、見聞きしてきた中で、彼女ならそうだろうという確信めいたものを得ていた。
あともうひとつ確信していることがある。
「……で、半分くらい考えなし」
「うぐっ」
懺悔とはいえ勢いで言ったところもあるんだろうな。
口にしてから途中で顔色が青かったり赤かったりと忙しかったし。
俺は笑いながら瞳ちゃんの肩を叩く。
こんな形でも彼女が気持ちを言葉という形にしてくれたなら、俺も自分の感情に名前を付けてきちんと瞳ちゃんに伝えよう。
今日に至るまでの間に沢山目にしてきた、明るくドジで時々むっつりで憎めない姿を思い浮かべながら。
「そんな瞳ちゃんが俺も好きだよ」
前髪の向こうで瞳ちゃんが目を見開いたのが伝わってきた。
そして口元を手で覆って小さく震える。
「さ、さ、悟流く……」
「ちゃんとマッさんを見つけたらさ、その、お互い気持ちに応えて――」
「悟流くん、上! 上!」
上?
そう空を見上げると、凄まじい勢いでジャンプしてきたマッさんが一回転して落下してくるところだった。
縦回転だ。つまり眩しい笑顔と鍛え抜かれた大殿筋が交互に見える。
そして俺の顔面へと見事に着地した。
剛速球並みの衝撃が真上から俺の体を貫き、ベンチに突き刺さったような錯覚を起こす。……錯覚だよな?
ついでに俺からのアングルだと下から見たマッさんの臀部とムキムキな太ももが視界の半分を占めていた。
ついさっきまで可愛い瞳ちゃんを見ていた俺の目は大混乱である。
……このタイミングで上を向くような注意喚起は、その。
色んな意味で悪手だったな、瞳ちゃん。
でもまあ、そういうところも好きなので良しとしよう。
***
なんと、この行方不明事件もマッさんの『秘策』だったらしい。
つまりマッさんは猫の足跡を描き、自分で窓から出ていったのだ。
これを機に俺たちの距離が縮まればいいと思ったのだという。
探し回っている最中も忍者の如く様々な物陰からこちらの様子を窺っており、ついに両想いになったのを確認して喜びのあまり飛び出してきたらしい。
そんなマッさんの秘策に俺たちは見事に翻弄されてしまったわけである。
……少し悔しい。
とはいえ無謀な策だったし、善意とはいえ人に心配をかけるのは宜しくない。
そしてめちゃくちゃマッさんのことを心配した。
生きててくれて嬉しいけど同じことを繰り返したらマズい。
そんなわけで瞳ちゃんはマッさんの善意にお礼を言いつつもお説教をして叱りに叱った後、俺に頭を下げて謝ってきた。
「ほんまごめん! ほんまごめん! 完全に嘘偽りなくうちが秘密にしとったお願いのせいやった……!」
「いや、まあ、瞳ちゃんも巻き込まれたんだからおあいこだろ」
だから大丈夫、という俺の言葉に瞳ちゃんが納得したかどうかは微妙なところだったが、一緒に帰ろうと手を引くとはにかみつつも頷いてくれた。
辺りはもう真っ暗だ。
遠い街灯の光でも何故か何倍にも増幅して反射するマッさんをライト代わりに夜道を歩いていく。これもうむしろ自力で発光してないか?
人に見られても趣味のぶっ飛んだライトってことにしよう。
これだけ眩しいんだし大丈夫だろう。
そんな時、瞳ちゃんが隣でもじもじとしながら口を開いた。
「あんな、その、うちと悟流くん、両想いってことでええんよね?」
「あっ……あー……うん」
「なら、こっ……恋人、なる?」
さっき同じことを切り出そうとしてマッさんに邪魔をされたわけだが、まだ今後どういう関係になるか話し合っていなかった。海外じゃあの時点で成立したも同然なんだろうが、俺としてはちゃんと意思確認をしておきたい。
……が、結局瞳ちゃんに先に言わせてしまったのは少し情けないな。
だからここからはキチンと俺が言おう。
「瞳ちゃん。俺も君が好きだ。恋人になってくれるか?」
「……! う、うん!」
これからも宜しくな、と少し照れつつ言うと、瞳ちゃんは俺の何倍も照れながら首を縦に振った。この勢いで前髪が捲れないんだから鉄壁だ。
こうして凄まじい馴れ初めとなったが、俺と瞳ちゃんはマッさんが見つかったことで正式に付き合うことになったわけだ。
オカルト以外に興味はなかったが、今は瞳ちゃんへの興味が尽きない。
もちろんマッさんもな。
そうしみじみとしていると瞳ちゃんがちらりとこちらを見る気配がした。
「……じつは、その、隠してたわけやないんやけどもう一個秘密があって」
「もう一個?」
「黙っとったことが多くてごめんな。悟流くんには全部話すわ」
関係が進んだことで話せる秘密はすべて打ち明けよう、というのは良い考えだ。
もちろん話したくないことは無理に話さなくていい。
秘密の共有だけが親密さの証じゃないからな。念のためそう伝えたが、瞳ちゃんはそれでも伝えてくれるという。
耳を傾けていると瞳ちゃんはマッさんをそっと指した。
「マッさん、本当は『小さいおっさん』じゃないねん」
「えっ!? じゃあ一体なに――」
「シェイプシフター。この姿には私が頼んで変身してもらったんよ」
シェイプシフター。
ゲームや漫画で見たことがある。様々な姿に変身する妖怪だ。
なんでもマッさんはまだ幼体で、小さなものにしか化けられないらしい。
しかも初めはイメージする力がなくて強いものに変身もできなかった。変身するには細部にわたってイメージする想像力が必須なんだそうだ。
そんな時に猫に襲われてしまい、手負いだったところを瞳ちゃんが助け、今の強さに溢れる筋骨隆々な姿を教えたらしい。
ああ、だからあんなに強いのに猫に勝てなかったのか。ムキムキなマッさんに勝つくらいヤバい猫はいなかったんだな、良かった。
そう納得したのも束の間、次の疑問が湧いてくる。
単に『強いもの』なら色々とある。
剣士、格闘家、力士、ファンタジーな職業、無機物なら戦車とか戦闘機とか……。
あと、猫に対する意趣返しなら虎とかライオンとかな。幼体のマッさんじゃ小さいだろうから見た目は普通の猫みたいになりそうだけど。
とりあえず選択肢は沢山ある。
なのにどうしてこのマッチョなボディビルダーっぽい姿を選んだんだろう。
たしかに強そうだけど――マッさんがこの姿を瞳ちゃんから教えられたのなら、これは彼女の思う『強いもの』の姿なんだろうか?
それを問うと瞳ちゃんは恥じらいながら答えた。
「……誰にも言わんとってな」
「も、もちろん」
「うち、じつは――めっちゃムキムキな男の人が好きなんよ! 悟流くんは別枠やけどっ……! で、強い姿と聞いて憧れのボディビルダーの姿を教えたんやけど、なんかマッさんがアレンジして頼り甲斐を足したみたいでな……!」
なぜか実際のその人より年を重ねた姿になっていたと瞳ちゃんは言う。
だから初めて変身した姿を見た時につい「小さいマッチョなおっさんやなぁ」と言ってしまい、マッさんの命名に繋がったわけだ。
……。
続けて憧れのボディビルダーを語り、恥じらっている瞳ちゃんは可愛らしい。
それと同時に負けられないなという闘争心が湧き上がってきた。
今まで感じたことのない出来たてホヤホヤな感情だ。
ああ、俺にも秘密ができたらしい。
そんな実感を得つつ、俺は頭の中で今より更に体を鍛える計画を組み立て始めたのだった。
瞳ちゃんは別枠だと言ってくれているが、それでも。
打ち倒すべき敵は強大で、恐らく何年かかっても足元にも及ばないだろうが――まあ、凄腕のトレーナーがこんなにも近くにいるんだからきっと大丈夫だろう。
そう思いながら瞳ちゃんの肩に乗るマッさんを見遣ると、初めて会った時と同じくらい眩しい笑みが返ってきた。
「竹内少年! 君も私のような健康的で筋肉質で眩い肉体を目指すんだぞ!」
君ならきっとなれる! などとマッさんは言う。
うん、そうだな。
そんなに眩く光るのは無理だと思うが――これからの目標には加えておこう。
オカルトも人生も、何が起こるかわからないのが面白いんだから。
瞳ちゃんと秘密のマッさん 縁代まと @enishiromato
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