第3章 第2話
気づけば町の端まで来ていた。国道沿いを歩いていると、横に広い公園があらわれる。私たちのよく知る公園だった。『
犬を散歩しているひとやランニング中のひとと通り過ぎながら、園内の通りを進む。このまま奥に行けば、中学生までよく利用していたあの高台につく。高台の頂上は円形になっていて、その中心に大きな噴水が設置されている。いまも変わっていなければその周りには整備された花壇があるはずだ。
林の先から噴水の音が聞こえ出して、心臓が一瞬だけ跳ねた。牧がそこで足を止めて、近くのベンチに腰かける。それ以上は高台のほうに近づかないつもりのようだった。ほっとした自分に、少し嫌悪する。
「水」
「はい?」
「喉乾いた。水。あそこに自販機ある」
「ええぇ……自分で買ってこいよぉ」
うめきながら、逆らえない理由が少なくとも三つは思い浮かんだので、しぶしぶ立ち上がる。
公衆トイレ横に設置された自販機に向かい、水を買って戻ってくると、牧があの小瓶を取り出していた。お腹でも痛いんですか、とは茶化せない。
水を差し出しても、牧はすぐに瓶を開けなかった。横に座って一分ほど経ってから、牧がようやく口を開いた。
「わたしはあんたほど猫に溺愛してるわけじゃない」
「うん」
「猫のことは嫌いじゃないけど、自分の命と天秤にかけられたら、間違いなく自分のほうを選ぶ」
「……私も結局、そうすると思う」
「可哀そうだとは思うけど、悪いとは思わない。必要なことだから。別に冷酷だって思われたっていい。これで嫌われたってどうでもいい」
「思わないよ」
そして嫌ったりもしない。
そう答える前に牧は瓶を開けて、素早く一錠をだして飲みこんだ。
通りを挟んだ先にある芝生のスペースで、親子がバトミントンをし始める。それを眺めながら、私は牧が水を飲む音を黙って聞いていた。
***
宮体神社で神様パワー入りの正露丸をもらった翌日、生水さんからメッセージが一通送られてきた。
《飲み始めは、白猫さんが表に出てきたときに抵抗して暴れる可能性がありますので、何か対策をしておいたほうがいいと思います。》
とのことだった。新しく覚えた日本舞踊の振り付け自撮り動画も送られてきたが、そちらは無視した。
昨日の神社では、牧の手のひらに肉球があらわれている。次にやってくるのは意識の強奪だ。早急に対策を考えなければいけない。私にできるのは、そのための道具をつくることだろう。
思いついたアイデアを実行に移すために、日曜日をフルに使って材料を集めた。猫に関連したものを集めるのであれば、この商店街以外にふさわしい場所はない。
手芸用品店とペット用品店をおもに回っていると、商店街のあちこちに同じポスターが貼ってあるのを見つけた。何かのイベントのようで、近づくと文字が飛び込んでくる。
『なりきり猫ウィーク オリジナルの猫に仮装して商店街をめぐろう!』
毎年ゴールデンウィークに合わせて行われる、恒例のイベントだった。ゴールデンウィーク期間中の約一週間、商店街で猫の仮装をして歩いても良いというイベント。仮装をすると値引きをしてくれる店もある。観光スポットでもあるこの町が、特に人の出入りで賑やかになる期間の一つだ。
「牧が歩いたら仮装いらずだなぁ」
笑いながら、チラシを一枚持っていくことにする。帰宅して部屋につくころにはチラシはどこかに消えていたが、いまはそれよりも大事なことがあった。暴れる(予定の)白猫ちゃん対策だ。どんな生き物にも苦手なものはある。そして猫のことなら、私はある程度熟知している。
猫を癒したり楽しませたりするグッズは色々つくってきたけど、その逆のことをする道具をつくるのは初めてだった。抵抗があるかと思ったけど、意外なほど手が進んだ。たぶん、こうやって猫について考えながら手を動かすこと自体が、好きなのだろう。もちろん使わないで済むことに越したことはない。
道具作りに熱中して、結局夜中の三時まで手を動かし続けた。ひとつのことに取りかかると止められない性格だ。母からの遺伝だと思う。その母は父とゴールデンウィーク期間中に行く旅行先の計画を立てるのに熱中していた。私は期間中に学校が二日間挟まってしまうので、行けない。
翌朝は七時半に電話で起こされた。生水さんかと思って出ると、牧だった。
「早く来て! 急いでっ」
「え、何があったの?」
「説明が難しいから来て!」
あまりにもせっぱつまった口調だったので、急いで準備して家を出た。つくりおえたばかりの対策グッズもカバンに入れる。いったい何があったのか。
自転車を飛ばして牧のマンションにつく。エントランスで部屋番号と合鍵を回し、なかにはいる。何かあったときのために、とこの前から合鍵を預かっていた。お気に入りの猫のストラップでもつけようと思っていたのに、まさかこんな早々に使う日がくるとは思っていなかったので、見た目はさびしいままである。
部屋がある五階につき、ドアの前のインターホンを押す。いくら待っても牧は出てこない。鍵がかかっていたので勝手に開けて、なかにはいる。
「牧?」
「こっち! 早く!」
声が聞こえたのはリビング奥の寝室からだった。電話で耳にする以上に、ただならぬ気配を感じる。靴を脱がず、とっさに土足のまま廊下を駆ける。
リビング奥のふすまを勢いよく開けて、飛び込む。
「牧っ いったい何が――」
広がる光景を見て、とたんに絶句する。
両手を手錠で縛られてベッドに寝ている牧が、そこにいた。
汗をかき、顔を真っ赤にしている。シーツが乱れていて、すでに長く暴れたのだとわかる形跡があった。
ベッドから少し離れた床に、鍵の入った透明なプラスチックのケースが落ちている。見覚えのないものだったが、手錠を解除するためのものだと直感で理解した。縛られたのではなく、自分で縛ったのだ。
「…………あー、えっと、新しいプレイ?」
「違うわバカっ」
牧が吠える。
「寝てる間に白猫になって暴れないように、自分で縛っておいたの。そしたら案の定、入れ替わってたみたいで、起きたら鍵が飛んでた。届かないからそこにある鍵を取って」
「いくら見られると余計に興奮できるからって、徹夜明けの私をわざわざ呼び出さないでほしかったな」
「聞けよ話を!」
事情は理解した。白猫が暴れるかもしれないことを、生水さんは当然、本人である牧にも伝えていたのだろう。牧なりに対策をほどこしていたということだ。猫は鍵を開けられない。私の知る限り、せいぜい鍵のかかっていない窓を開けられるくらいだ。手錠で自分を縛るというのは、確かに割と有効だと思う。鍵が自分の届かない場所まで吹き飛ぶこと以外は問題がない。
「早くこれ解いて」
「あ、ちょっと待って動かないで」
「おいなにスマホだしてるっ」
「動かないでってば。ブレるから。生水さんに報告するために撮るんだよ。ほら、気にかけてくれてるし」
「遊んでるだけだろ! あとで眺めて笑うためだろ!」
違うアングルからそれぞれ一枚ずつ撮っていった。完璧だった。今度私の部屋に牧が来たとき、現像して壁に貼っておこう。
がちゃがちゃがちゃ、と激しくベッドのフレームと鎖をぶつけて、牧が抗議してくる。うるさかったので、たまらずケースを拾って鍵を出す。
「そんな慌てなくていいじゃん」
「慌ててるんだよ、いろいろと!」
「なんで?」
尋ねるが、急に答えなくなる。目を合わせようとすると素早くそらされた。絶対に何か隠していた。
シーツのこすれる音がして、視線を下にずらすと、足をもぞもぞと動かしている。唇を噛んで何かに耐えている様子だった。それでようやく理解した。
「あ、トイレだ。だからこんな朝早く連絡してきたのか」
「わかったなら早く解いて」
「乙女の危機だもんね。というか人間としての危機だもんね。高校生にもなってベッドでおねしょなんてしたら終わるもんね、色々と。それなら仕方ない。あれ、鍵穴に上手く刺さらないなぁ」
「あんたわざとやってるだろ!」
「いやいやそんなことないよ。手先は割と器用なほうだけど徹夜明けだからちょっと視界がぼやけててさ。鍵の回し方もなんか忘れちゃって。あと鍵は一本ずつしかないんだし、万が一に折れでもしたら大変だからね。ここは慎重に回さないと。あれ、回らないなぁ。左右の手と逆かなこれ」
「な、何が望みなの……」
くねくねと下半身を動かしながら、必死の形相で訴えてくる。よし、やっと引き出せた言葉だ。
「これまで猫になった部分を触ったセクハラ、全部許してくれる? あと針千本飲むとかいう、割りと本気で実行されようとしてるペナルティも帳消しにしてくれる?」
「お前ここぞとばかりに……」
「ああ急に眠くなってきた。リビングのソファで仮眠取らせてもらおうかな」
「する! 許す! だから行くな! いますぐ外してっ」
リビングに向かっていた足を方向転換させて、ベッドに戻る。
それからとつぜん鍵の回し方を思い出し、左右どちらの手錠の鍵穴に鍵を刺すかも急に分かり、そして折れない強度で適切に鍵をまわした。手錠が解除されると同時に、私を押しのけて牧が寝室を飛び出していく。トイレのドアが勢いよく閉まる音がして、それからしばしの静寂が訪れる。どうやら無事に間に合ったらしい。
ちょっといたずらし過ぎたかもしれない。急に怖くなってきた。回復して戻ってきた牧に殺される前に部屋を出ておこうか。鍵がどこかに飛んで行かないよう、結びつけたブレスレットみたいなものでもつくってあげれば、許してくれるだろうか。
ベッドに寝ころびながら呑気に考えているうち、本当に睡魔が襲ってきた。眺めている天井に徐々にモヤがかかっていく。意識が途切れるのと覚醒するのを繰り返し、その間隔が徐々に狭まっていく。
あともう一度、目をつぶれば完全に眠れるかというそのとき、手首に冷たいものがあたった。
「うえ?」
我に返って右手首を見ると、手錠でつながれていた。抵抗するよりも先に牧が私の空いた左手を素早くおさえつけて、二つめの手錠をかけてきた。血の気が引く。うわまずい。
「あー、祭原さん? あはは、私ちょっとこれから用事があって帰らないと……」
「そんなこと言わずゆっくりしていきなよ。そうだね、たっぷり一二時間くらい」
笑顔が怖い。
「あんた昔からくすぐり弱かったよね。いまもそうなのか試していい?」
「待ってごめんなさい調子に乗りましたもうしません写真も消しますだからお願いしますいますぐこの手錠をいいひいいいいやあああああああああ!」
結局、声が枯れるまで叫ばされた。
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