【池上樹ver】シュートは任せて
「ちょっと前の自分に、これから放課後の体育館に通う羽目になるよ、って言ったとして」
タン、タン、とリズミカルにバスケットボールを弾ませながら樹先輩がお喋りしている。背が高い分、そして腰の位置が高い分、バウンドさせる距離が私よりもあるはずで、それなのにこの安定感はどういう事だろう。まるで手の平に吸いつくように弾んだボールが戻っていく。
「たぶん、鼻で笑っちゃう」
あれほど離れがたいように見えたバスケットボールは、樹先輩の手からあっさり飛び出して、鮮やかなシュートになる。まさに意のまま。よく出来た手品を見ているみたいだ。
「凄いです。樹先輩はボールに愛されているんですね」
だからそんなコメントが出た訳だけど、先輩は少し沈黙した後に細くした目でこちらを見た。射るような視線、とはこのこと。
「ねぇ、聞いてた?」
「あ、えっと、あの……」
聞いてませんでした。とか言って良い場面ではない事は分かります。
「……見とれて、ました」
捻り出した解答は樹先輩のお気に召したものなのかどうか。「カウンターじゃん……」と呟きながら頭を抱えてしまったその表情は伺うことが出来なくて。それで仕方なく、私は先程のシュートによって転がったバスケットボールを拾いに足を向ける。
お昼の校内ラジオの中で、植村先輩からちょっとびっくりするような話題が出たのはその週の半ば頃だった。
「月並みな話題なんですけどね、先日俺の友達から恋愛相談をされまして」
え。そんな話題出すなんて、事前のミーティングに無かった、と思う。
私は驚いて本日の台本を見て、それから植村先輩の顔を見る。植村先輩は更にニカリと口角をあげると言葉を続けた。
「そいつは大変おモテになるんですけど、どうやら今回はじめての片想いを経験しているらしいんですよ。うーん、なんでも相手の子がなかなかこう、天然と言うか、まぁ、鈍い。でも脈がないわけでもない。ただ“お付き合いしましょう”みたいな雰囲気にならない、と。あはは、悪い、ちょっとだけ笑っちゃった」
大変おモテになる植村先輩のお友達と、脈がなくは無いお相手。何となく、こう。思うところが出てくるものの……自意識過剰かな。でも。でも、なぁ。
「まぁ、俺は友達なんでね。そいつの良いトコなんかたくさん知ってますし、可愛いトコも存じてますし、すっごく良い奴なんでね、ぜひとも背中をどーんと押してやりたいと思います! そんな彼に贈るのはこの曲だっ!」
まるで予定調和のノリでトークから曲の紹介へと移る。流れ始めたイントロは歌詞がとても切ないと評判の片想いの曲で、何だか力が抜けたような気分になった。
マイクをミュートにした状態で植村先輩が「樹さぁ、」とブースの外には漏れない音量で呟く。
「アイツがあんな顔するの、俺初めて見たよ」
植村先輩の言う「アイツ」は樹先輩のことに違いなくて、さっきの話題の続きなのだというのも分かる。分かるんだけど。ちょうど良い返事が浮かばないまま黙り込んだ私はいまどんな表情をしているんだろう。
曲が終盤を迎え、次に読む原稿の入ったタブレットを自分の前に引き寄せる。液晶画面に映る自分の顔はむっつりと黙り込んで、全然可愛いと思えない。こんなのが樹先輩の隣に並んで良いのだろうか。
西側の扉が開け放たれたままの体育館は、そこから強い西陽が差し込んでいる。空気が生温くて、夏の気配がする。
ディープスローが決まったら樹先輩と上手くいく。そんな根拠のない噂に興味を惹かれて始めた練習だった。やり出してすぐに、ディープスローなんて夢のまた夢だとわかった。何しろ私には腕力がない。そんな遠くまでボールを放れるようには出来ていないのだ。
それで、思い直してスリーポイントシュートが入ったら告白しようと決めていた。でもそれも、今は気持ちが揺らいでいる。
いつの間にか床に落ちたオレンジ色の光に目を奪われていると、そこに影がさした。
「練習は順調?」
戸口にもたれた姿勢の樹先輩が言って、組んだ腕を解きながらこちらへと歩き出す。正直なところ、私はこの人の隣に立つ自信がなくて、それなのにこの練習の時間をやめられないでいる。
「亮太は来ないって」
「そうですか」
「て言うか……むしろ来なくていいって僕が言った」
植村先輩の熱心な指導の甲斐あってか、私のスリーポイントラインからのシュートは半分くらいは入るようになっていた。そろそろ卒業でしょう、などと軽口を叩かれたのも一度や二度ではない。
「……迷惑だった?」
「そんなことは、ない、です」
でも、の言葉を飲み込むと、樹先輩が後を請け負うみたいに笑って、それから足元のボールをひとつ拾いあげて私にゆるいパスをする。
「シュート、してみてよ」
歩いてゴールの側に立った先輩は少しだけ眩しそうな顔をした。それに呼応するようにスリーポイントラインに立って、放ったバスケットボールはゴールリングの上をヨロヨロとなぞり、ネットの外へと傾く。
ああ、ダメか。
そう思った時、キュッと床を蹴る音が響いた。ゴール下から駆けた樹先輩がリバウンドを取ったのだと気が付いたのは先輩が着地してからで、ボールは鮮やかにネットを揺らし、そのまま床に弾んでいる。
「ねぇ、もう待てないんだけど」
樹先輩はそう言って少し頬を膨らませた。そんな表情するだなんて、聞いてないんですけど。ドキリと跳ねた心臓を思わず両手で押さえる。
「好きなんだよ、君のこと。僕にここまで言わせておいて、今さら断るとかないよね?」
ゆっくりと歩いて真横まで来た樹先輩が私の前髪に手を触れる。その時初めて、先輩の手が震えていることに気が付いて。だから私は、あんまり可愛くないかも知れないとは思いつつも、自然と笑みを浮かべてしまうのだった。
【マルチエンディング】ボールの行方について考えてみた 野村絽麻子 @an_and_coffee
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