第37話 父と母 sideアルベルト

 陛下は、母親のことを思い出しながらポツリポツリと話してくれた。


 平民だった母親は、メイドとして王宮で働いていた。最初はメイドの中でも辛いとされるランドリーメイドに配属されていたが、彼女の仕事ぶりを見てメイド長が気に入り、段々と仕事の幅を広くしていた。

 アルベルトの母は、誰相手にも態度を変えず余計なことを言わない誠実な働きぶりを評価され、ついに陛下のプライベートルームの掃除を任されるまでになる。


 そうは言っても、平民であるメイドが陛下に姿を見せることがあってはならない。だから、お互い存在は感じてはいたが姿を見ることはなかった。それでも陛下は、自室を掃除してくれるメイドが変わったのはその仕事ぶりでなんとなく把握していた。

 とても丁寧な仕事ぶりだったし、そこかしこに工夫が見て取れたから。部屋の主が快適に過ごしてもらえるようにと常に意識されていた。


 窓辺には毎日違う花が生けられ、主張する訳でもなく可愛い小さな花がそっと置かれている。寒い日には、適度な温かさに部屋が保たれベッドはいつもフカフカで温かく枕元には安眠に良いとされるポプリが置かれていた。いつしか、飾られる花を楽しみにするようになっていた。


 ある日、陛下が自室を出て朝食に向かった時だった。王宮の廊下を歩いていたのだが、思っていたよりも寒く上着を羽織って来るべきだったと後悔する。まだ、部屋を出て間もなかったこともあり踵を返して部屋に戻った。


 自室の扉を開けると、クリーム色のメイド服を着た女性がベッドのシーツに手をかけようとしていた。


 お互い、顔を見合わせて驚く。


「もっ、申し訳ありません」


 メイド服の女性は、頭を下げて小刻みに震えている。部屋の主に姿を見せてはいけないと口を酸っぱく言われているからだろう、きっと叱責されるのを恐れたのだ。


「いや、忘れ物を取りにきたのだ。驚かせてしまいすまない」

「いえ、めっそうもないことです」


 メイドは、顔を上げることをせずひたすら恐縮している。黒いまっすぐな髪を一つに結んでいる。この部屋を掃除している娘が、どんな顔をしているのか興味が沸いた。


「顔を上げてくれないか?」


 陛下が、優しく声をかけると娘は恐る恐る顔を上げた。王の目に写った娘は、快活で生命力溢れる女性に見えた。


「あのっ。何をお忘れになったのでしょうか?」


 娘は、控えめな声で訊ねてくる。王は、自分の目的を忘れ部屋に佇む娘に目を奪われていた。


「ああ、今日は思ったよりも寒いから上着を羽織って行こうと思って」

「えっと、こちらでしょうか?」


 娘は、ベッドに無造作に置かれた白い上着を取ってくれた。


「ああ、それだ」


 王がそう答えると、娘は上着を持ってこちらに歩いてくる。


「あの、これ……」

「ああ。あと、いつも居心地がよくて助かっている」

「えっ?」


 娘は、何を言われたのか理解していないのか、ポカンとした顔で言われた意味を考えている。


「あー、君が担当になってから部屋の心地が良い」


 陛下は、コホンと一つ咳をした。


「あっ、ありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです。これからも頑張らせていただきます」


 姿勢を正してそう言うと、バッと勢いよく頭を下げた。陛下は、思った通り誠実そうな娘で感心する。自分を見ても、こびへつらうことなく真っすぐで純朴だった。


「手を止めさせて悪かった。ではな」


 陛下は、それだけ言うと踵を返して部屋を出た。それがアルベルトの母エリーとの出会いだった。


 それからも、意図せずに何度か顔を合わせるようになり段々と言葉を交わすようになった。もちろんエリーから陛下に近づくことはなかったし、彼女はきちんと自分との距離をとっていた。会って話をするうちに、彼女のひたむきな態度や仕事にどんどん惹かれていった。やがてそれまでの距離で我慢できなくなった陛下が、彼女に迫ったのだ。


 エリーは、最後まで頑なに陛下のことを拒んでいたが、好きだと言われることにあらがえなくなっていき最後には陛下を受け入れた。


「私にとって唯一、ホッとできる存在だった」


 陛下は、在りし日の自分を思い出しているのか懐かしそうに目を細める。


「王妃様とは、上手くいってなかったのですか?」


 アルベルトは、率直なことを訊ねた。一介の平民に過ぎない娘に、心を寄せる陛下が信じられなかったのだ。


「王妃のことは、好きでも嫌いでもない。父親に決められた王の結婚だ。それ以上でもそれ以下でもないんだ。王として結婚するのは、彼女じゃなければいけなかったそれだけだ」


 陛下は、母親のことを話すのとは違って淡々とした口調だ。それだけでも、自分の母親がこの人にとってどれだけ大切だったのか窺える。それを知れただけで、もう充分だった。


「だからある意味、ディルクは俺の悪いところが似てしまったのだろうな……。でもだからこそ、一線は越えてはいけなかった。大人しくカロリーナと結婚するべきだった」


 哀れみなのか、後悔なのか、アルベルトでは陛下の胸中を察することはできない。


「お前は、母親には会ったのか?」


 陛下が、思ってもいないことを聞いてくる。


「はい……。7歳になった年にこっそり会いに行きました」

「そうか。よく居場所がわかったな」

「乳母が、字が読めるようになったら渡してくれと母親に頼まれていたそうです」

「エリーのやつ、そんな物を残していたのか……。お前が羨ましいな」


 王が、アルベルトを見て悔しそうな顔を忍ばせる。


「なぜ、自分の傍に置かなかったんですか?」


 聞くつもりはなかったのだけど、自然と言葉が零れていた。


「ずっとそばにいて欲しかった。側妃として召し上げるつもりだった。だが、王妃が許さなかったのだ……。エリーの命の危機をさっして、仕方がなく手放した。生きていて欲しかったから……。だが、お前を連れていかせることだけはできなかった。お前にも、エリーにも本当にすまなかったと思っている」


 今までずっと抱えていたのだろう自責の念に、陛下の目は熱を帯びていた。泣くまいとギリギリを保っているように見える。


「いえ、それを聞いてすべてに納得しました。母を死なせずに守ってくれてありがとうございました」


 アルベルトは、息子としてに陛下に頭を下げた。これで初めてのこの人との対話は終わる。


「お前は、きっとエリーに似たのだだろう。俺よりもいい王になりそうだ。後のことは俺がやる。お前は、お前のやるべきことをしろ」


「はい」


 親子は、目を逸らさずにお互いを真っすぐに見据える。もう、何も言葉は必要なかった。

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