第27話 進む計画
キャロルは、居酒屋レストに行く準備をしていた。冬用の厚手のワンピースの下には温かいインナーを着こみ、手袋とマフラーを身に着けて最後にフード付きのケープを羽織る。季節は寒い冬に移り変わっていた。
屋根裏部屋の部屋を出て、二階のおかみさんたちに声をかける。
「女将さん、旦那さん、いってきます」
「ああ、気を付けるんだよ」
女将さんから返事があり、キャロルは「はーい」と言うと階段を降りて一階の食堂へと降りていった。居酒屋で働き始めた当初は、女将さんたちにバレないように足音を消してこっそりと店を出ていた頃が懐かしい。今では、すっかり当たり前になって堂々と店を出ている。
食堂の裏口を出ると、吐く息が真っ白に染まる。カロリーナが暮らすテッドベリー国の冬は寒い。だから貴族たちも、冬になるとほとんど屋敷から出ることなく社交界も閑散となる。
来る次の社交シーズンに向けて貴婦人たちは準備をし、男たちは職に就いているものは職場と屋敷を行き来するのみ、領地運営のみの者は屋敷に籠って仕事をしているのが大半だ。
カロリーナも、寒いのは苦手で冬になると屋敷に籠ってドレスや宝石の商人を屋敷に来させ豪華で美しい新作の商品を作らせていた。
それに冬は時間もたくさんあるので、自分が中心となっている事業の進捗や成果をチェックしたりと、冬は冬なりの過ごし方をして楽しんでいた。
そんな贅沢な生活をしていたカロリーナだったが、今では昼間は食堂の給仕として働き夜は居酒屋の給仕として働く、下町では珍しくない働き者の少女だった。
王宮を追い出されてから、もう八か月が経過している。平民として暮らし始めたキャロルは、すっかり下町に溶け込みその美しい容貌から一躍街の人気者になっていた。
慣れない寒さに身を縮めながらも、夜の街を歩く。大通りまで出ると、街のシンボルである時計の下に見知った顔が佇んでいた。
「ヒュー、お待たせー」
キャロルは、右手を挙げてヒューに声をかけた。キャロルとヒューとの関係も当初のものとは変わり、ギスギスしていた関係から友好的なものに変化した。いつものお礼にと蝋燭のプレゼントをした時に、胸がざわめいてしまったこともあったけれど……。今では、頼りになる友人といったところ。第二王子の件があるから、真っ新な気持ちで付き合うことはできないけれど、それでもキャロルにとっては大切な友人だ。
「今日は、寒いな。ちゃんと温かくしてきたか?」
ヒューが、キャロルの服装をしげしげと見る。
「子供じゃないのよ? 私だって風邪なんか引きたくないんだから、ちゃんと温かい格好してきたわ」
「ならいいが」
キャロルは、ヒューの物言いが面白くなく不機嫌そうに返事する。なぜだがわからないけれど、ヒューとの友好が深まるほど彼は自分を何もできないと決めつけている節がある。
貴族令嬢であるカロリーナだと思っているからなのか……どうなのか……。もしそうだったとしても、こんなふうに気遣うものなのか疑問だ。だって、あれだけやりたい放題だった悪女のカロリーナだ。正体を知ったら、やはりいい気はしないと思う……。
「なんだ? 人の顔をじろじろ見て。行かなくていいのか?」
ヒューが、突然無言になってしまったキャロルを不思議に思ってか訊ねた。
「あっ、そうよね。悪かったわ、行きましょう」
キャロルは、ヒューを伴って歩き出す。夜歩きをヒューに見つかってしまったあの日から、ほぼ毎回ヒューはキャロルの送り迎えをしてくれる。彼が都合が悪い時は、同僚のビルが変わってくれる。
彼らがこんなに面倒見がいいと思わなかったキャロルは、今では二人に頭が上がらない。第二王子の監視だったとしても、むしろ二人を付けてくれてありがとうとこっそり感謝しているくらいだ。
「なー、冬も続けると思わなかった」
ヒューが、後ろからボソッとそう言った。
「あら? どうして?」
キャロルは、足を止めることなく返事をする。
「冬は寒いし、夜に外に出るなんて億劫だろ」
「そんな贅沢なこと言っていたら、下町でなんて暮らしていけないじゃない」
「そうだな。……だから無理だと思ったんだ」
ヒューが、ぼそぼそと後ろで呟く。後の方の言葉が小さすぎて聞こえない。
「えっ? 何て言ったのかしら?」
キャロルが後ろを振り返って聞いた。
「いや、よく頑張っていると思っただけだ」
「なによ、褒めても何も出ないんだから」
刺々しい態度が抜けたといっても、キャロルのことを褒めるなんてそうないヒューが自分のことを褒めた。突然のことに、キャロルの心が跳ねる。
(ちょっと褒められたからって、嬉しくなんてないんだから!)
キャロルは、ドキドキする心を押し込めて居酒屋レストへの道を急ぐ。頬に当たる空気は冷たくて痛いくらいなのに、ほっぺたにじんわりと熱を持つ。これは寒さのせいだと自分に言い聞かせた。
居酒屋レストに到着すると、「じゃーな」と言い捨ててヒューは元来た道を戻って行った。「ありがとう」とその背に、心の中でお礼を言う。
今日のレストも、寒い日にも関わらず大勢のお客さんで賑わっていた。みな、キャロルに会いたくて通う常連ばかり。キャロルが来るまえは、ヘルマンの奥さんであるイライザ目当てのお客さんが多かったようだ。イライザには、キャロルが働きだして暫くした後に無事に元気な男の子が生まれたのだと、ヘルマンから聞いた。その時のヘルマンが、顔に似合わずに感極まってちょっぴり涙目になっていたのが印象的だった。二人が愛し合っているのがひしひしと伝わり、キャロルまで幸せな気持ちになった。
イライザが戻ってくるまでは、しっかり自分が働こうと改めて気持ちが引き締まった。そのお陰もあってか、居酒屋レストでのキャロル人気は上々だ。健気で頑張りやな少女を演じきっているため、とても人気がある。
「こんなに真面目で頑張り屋のキャロルを首にするなんて、本当に信じらんねーよ」
「だよなー。新しい王太子の婚約者って、悪女カロリーナよりも悪女なんじゃね?」
「まさにそれ! 王太子って女見る目ねー。残念な男だな」
「それに、王太子って全然仕事できないやつなんだろ? 新しく王になって大丈夫なのかね?」
「俺たちにしわ寄せがくるのだけは勘弁だわー」
テーブル席で友人と楽しそうに酒を飲んでいる二人組は、せわしなく動くキャロルの働きっぷりを見て楽しそうに喋っている。
二人が喋っている内容は、この店の常連なら誰もが知る話。キャロルが少しずつ少しずつ、客と話を交わしながら王太子の無能っぷりと婚約者ララの悪評を植え付けてきたのだ。
そもそも、下町の人々にとって王太子やその婚約者は雲の上の存在だ。王太子が突然、婚約者を変更したことだって下町の連中にしてみたらどうでもいいこと。なぜなら、自分たちが気にしたところでどうにかなる事柄ではないから。
そんな、天上の人々の生活を知るキャロルの話は、居酒屋で語るにはうってつけだった。王宮で仕えるメイドは、下働きが中心になるので平民が大半だ。だけど、王宮で働くので身元のしっかりしている平民が登用される。しかも、王宮で働くくらいなので給金がいい。よほどのことが無い限り、仕事を辞めることはない。だから、王宮で働いたことがある平民が下町で暮らしていることが珍しいのだ。
普段聞くことのできない話は、酒の肴になる。だからキャロルは、王太子とララについての悪評を彼らに吹き込み、この国の未来を憂いたのだ。
その計画は、面白いくらいに嵌り居酒屋レストで話を聞いた男たちは自分の妻や彼女、家族に話をするのでじわじわと下町全体に尾ひれをつけながら広まりを見せた。
今、広まっているのは次の内容だ。
ある働き者の娘が、王宮でメイドとして働いていた。その娘は、王太子の新しい婚約者の部屋付きとして配属されたが、性格の悪い婚約者の令嬢にいじめられてしまう。
何でも、平民にしては見目がいいと娘に嫉妬し頬に傷まで付ける始末。最後には、王宮で働くには学が足りないと追い出された。
そんな令嬢を、なだめもせずに言いなりになる王太子。なぜそんなことになっているかと言うと、この国の王太子は王としての器が足りず有力貴族から不安視され自分に自信がない。
今回、公に公表されている婚約者を変更した理由は、悪女として有名な女性では王太子妃にふさわしくないということだ。しかし婚約者を変更した本当の事情は、自分よりも有能な侯爵令嬢であるカロリーナに王子が嫉妬した。自分を下に見るカロリーナよりも、可愛くて庇護欲をそそり王子を立ててくれる子爵令嬢に依存してしまった。こんな内容が、街のあちらこちらで話されている。
キャロルの思惑以上に、第一王子ディルクと子爵令嬢ララの悪評が広まっている。客たちの話を聞いていると、可笑しくて笑いが込み上げてくる。
特に、ララが自分の頬を傷つけたくだりなど笑いを堪えるのが必死だ。
その話は、ララの話をした時にわざと頬の傷に手を当てて悲しそうな表情を作ったのだ。その仕草とララの悪評を聞いた客が、カロリーナの頬の傷はララの仕業だと勝手に誤解し同情してくれた。あれは、自分でも上手くやったとにんまりする。
「おーい、キャロル。今日も洗い物だけ頼むわー」
店主のヘルマンが、客の間をぬって空いたグラスを下げているキャロルに声をかける。
「はーい。わかりました」
「えー、もうキャロルちゃん帰る時間かよー」
「ごめんなさいね。また明日もいますから」
「しょうがないから、明日もきちゃうー」
キャロルは、にっこり作り笑いを浮かべて客の元を去る。心の中では、次のステップに進まなければと悪いことを考えていた。
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