水着網タイツは人魚のなごり
最近
1.クラスのギャルは兄の恋人
テストで満点を取るのは当たり前で、それが死ぬほど嫌いだった。
学校でテストが返却されるたび、自分を全否定されている気分になるから。
「よーしお前ら、揃ってるなー? 授業始めるから席に着けー」
教師の声が響いて、ざわめきが徐々に小さくなる。
いつもの教室。いつもの喧騒。いつもの恐怖。
この時間がいつも嫌だった。
学校で楽しい時間なんて、元からあまりないけれど。
「まず正統史のテスト結果を返却する。呼ばれたら順番に取りに来るように」
憂鬱な点、その一。このクラスには、あ行で始まる名前の生徒がいない。
「まず最初。
「はい」
ショウはやや強めに声を出してから後悔して、眉根を寄せながら立ち上がった。
没個性な生徒だ。地味な黒髪はマッシュルームベースのショート。全体的にやや重めで、額が少し隠れる程度。特別なセットはせず、清潔感はあるが地味。
制服はきっちり着ている。指定のブレザー、シャツ、ネクタイ。隣の席の生徒のように髪を整髪料でツンツン尖らせたりはしないし、後ろの席の生徒のように学ランベースの改造制服なんてもってのほか。ショウはそういう真面目で堅実な生徒だった。
言い換えると、『つまらない』という評価になるらしい。
「あ~、飯田橋。なんと言っていいのかわからんが、今回も100点満点だ」
気まずそうに太い眉を寄せて告げる教師は、強面だが生徒たちに優しい善人だ。小指が無くて、顔に深い傷跡があって隻眼というだけ。
その証拠に、くすくすと笑う声が教室に響くとすぐに注意してくれた。
「えーお前ら、笑うんじゃない。こんなもん、世界観偏差チェックの一方式でしかないんだからな。飯田橋も悲観せずにがんばりなさい。ピーターパントレーニングは続けてるんだろう? 大丈夫だ。お前は大器晩成型ってだけさ」
小さく「ありがとうございます」と呟いて答案用紙を受け取る。
丁寧に埋められた解答欄。中心線を意識した整った文字。全問正解。
それに比べて、他の生徒たちのテスト結果と言えば。
「ほら次ぃー、宇崎信長」
「うっす」
「お前は24点だ。悪くはないがもうちょい頑張れ。二組の信長さんは宇宙敦盛カリバー抜いて百億人の信長と競い合ってるぞ」
「っす。がんばりまーす」
ちらりと見えたクラスメイトの回答は、ショウにはよくわからない内容ばかりだった。そもそも漢字に混じっているアルファベットに似た独自言語が読めない。怪獣の落書きのような絵が見えたような気もする。
それでもクラスメイトの表情は満足げだ。
自分の席に戻った男子生徒が、隣の席の女子生徒にからかわれている。
「言われてんじゃん。ざーこ。ざこのぶなが~」
「は、うっせーぞ光秀、今度リンクしたら憶えとけよ」
「生意気なんですけど~。本能寺するぞ~」
「是非に及ばずだコラ」
不良のノブナガくんと隣の席から彼をからかうミツヒデさんのいちゃつきを近くで見せつけられるのはちょっとした拷問だった。
『リンク』しているということは、きっと世界が繋がってる。
二人は、もうとっくにキスをする関係だということ。
(どんな感じなんだろう、他人の心。異世界って、どんな所だろう)
ショウは童貞だった。
ただ未経験というだけではない。
異世界に転移したことがない、異世界童貞だ。
高校生にもなって正統史が百点満点。恥ずかしい以上に、屈辱だった。
このクラスどころか、世界中を見渡してもこんな奴はどこにもいない。
ざわつくクラスの喧騒の中で、密やかに埋没してしまいたかった。
「あ~、ソ連とロシアがごっちゃになる~。こっちにあるのがロシア?」「いや、こないだ改変あったから今あるのはモンゴル帝国」「そっち? 俺の世界ユーラシア大陸が滅んでるからぜんぜんわかんね」「ポストアポカリプス系は大変だねえ」「俺の世界なんてアルファニア大陸と日本が融合しちゃっててさあ」「オリ大陸知らねえ~」
人は誰しも心に本を持っている。
自分だけの物語、それは誰にも侵されない聖域。
全人類が異世界に行けるようになって随分と経った。
基礎となる書架世界の形は、無数の異世界から影響を受けることで絶えず変わり続ける。正統史の年号を暗記したって、異世界中心の現代では大して評価されない。
評価されるのは、たとえばこういう生徒だ。
「よし次。
「はい」
クリアな声が響くと、教室の空気が変わる。
立ち上がったのはいわゆる『ギャル』だ。明るめの金髪セミロングの毛先は巻かず、前髪は目にかからない程度に分けている。軽めのメイクとくっきりとした目元、気の強そうな顔立ち。少し気だるげだが、凛とした雰囲気もある美しい少女だ。
オーバーサイズのシャツのボタンは止めず、インナーにクロップド丈のTシャツを着ている。腰のスカート丈はやや短めだったが、腰に巻いたカーディガンの印象がそれを上書きしていた。
ショウは少し見惚れた。いつだって彼女は綺麗だったから。
そう思ったのは、彼だけではない。誰もがそうだ。
「さすがだな。この調子で頑張ってくれよ、我が校のエース! つーわけで0点!」
教師が大きな声で点数を発表した途端、大いに湧き上がる教室。
「うおおお!!」「すっげ!」「神永やべ」「お貴族様はちげーわ」
ミズキと呼ばれた少女は多くの生徒に囲まれて友人たちと言葉を交わしている。
「まーね」とか「ノー勉だし楽勝」とかいう言葉が聞こえた。
全人類が異世界に行ける現代社会では、誰もが特別で、誰もが主人公。
そういう常識の中でも、やはり特別な存在というのはいる。
それは抜きんでた生徒だったり、逆に落ちこぼれだったりするけれど。
惨めなテストの返却が終わり、よくわからない授業が始まる。
ショウにとって学校生活は困惑ばかりの試練だった。
それなのに、他の皆はそんな世界に適応している。
世界の情報量に、ショウはまるでついていけていなかった。
「次って文活?」「文明活動ってほぼ初期の正統史と原始的な工作だよな。文明感なさすぎる」「ナマセンの真似。『おまえらー、ここー、異世界で出るぞー』」「似てる似てる!」「ねえ私のとこまだロングボウに魔法付与してる段階なんだけど!」「火縄とか燧石式まではいいんだけどさ、そっから先が急にハードル上がるよね」「結局三圃制でいいんだっけ?」「ハーバーボッシュ法までスキップしちゃえばさあ」「うちは雷魔法ぶん回して窒素固定してる」「脳筋じゃねーか!」
誰も彼もが速すぎて、ショウはいつも置いていかれる。
教科書を持って立ち上がった。次は移動教室だ。
その時、悪意に満ちた声が後ろから響いた。
「だっせ。まだ異世界行ってねえガキがいるじゃん。どうちまちた~? ここは幼稚園じゃないでちゅよ~?」
「やめてやれって、かわいそーだろ」
「つーか『ガイセ』じゃね? 手帳発行してやれよ」
「お前それきっつ」
良識ある者なら眉を顰めてしまうような差別用語。
ずきずきと胸が痛んだ。
げらげらと笑う声よりも、このやりとりを周囲に知られる方が怖かった。
自分が弱者だという事実を思い知らされてしまうから。
「あんたらさあ」
ほらきた。
ショウはその流れを予想していたからこそ余計に惨めになった。
それは混じりけのない善意なのに、素直に感謝もできない自分が嫌になる。
「それマジでだせーから。簡単に使っていい言葉じゃないってわかんない?」
『自分のいるクラスでいじめなんて許さない』とでも言いたげに、ひとりの少女がショウをかばう。鋭い語気と眼光に、ガラの悪い男子生徒たちが気圧された。
自分があって、強気で、理不尽を見過ごさない、誰に対しても優しいギャル。
それがミズキだ。
あっさりと悪玉を退けてしまった善玉に、クラスの大半が拍手喝采を送る。
「かっけえ」「神永さんってオタクに優しいギャル四段なんだって」「マジ? うちのガッコのギャル部エースが二段とかって聞いたけど」「ミズキやさしー」
100点のショウと、0点のミズキ。
世界レベルの落ちこぼれと、学校随一の天才異世界転移者。
並んで立つと劣等感のあまり縮こまりたくなる。
そういう時、いつだってミズキは励ましてくれたけど。
クラスから生徒たちが移動する中、近づいてきたミズキがそっと囁く。
「ごめんなさい、ショウくん。ここのところ、少し忙しくて時間がとれなかったんです。今日なんですけど、あとでお家に寄ってもいいですか?」
丁寧な口調だった。
恋人など親しい人の前だけで見せるしおらしいよそ行きモード。
ショウは身内判定らしく、未だにこの口調で話しかけてくる。
丁寧語のギャル。変な感じがしてむず痒い。
「わかった」
ぶっきらぼうに答えると、反抗期の弟を見守るような表情になるミズキ。
こういう態度がいつも嫌だった。誕生日はショウより遅いくせに。
嫌なのは自分もだ。子供っぽい態度しか取れない自分が恥ずかしい。
本当は、もっと胸を張って生きていきたい。
ミズキのように。
そしてなにより、ミズキの隣にいた人のように。
(けど、それはもう無理なんだ)
ショウには目標とする人がいた。
ミズキには愛する恋人がいた。
過去形だ。
彼女は私物を取りにショウの家に来るだけ。
半同棲のように恋人の家に入り浸っていたミズキは、大切な人を失ったばかりだ。
兄を失ったばかりの、ショウと同じように。
二人は同じ傷を共有している。
ショウは兄を失い、ミズキは恋人を失った。
大切な人の死が、二人を他人にした。
今となっては、ショウとミズキはただのクラスメイトだ。
それが、現時点での二人の距離だった。
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