神様が壊れました。

K.night

第1話

「神様が壊れたとしか言いようがありません。」


そんな声が聞こえてきて、薄っすらと目を開ける。目の前にTVがある。どうやら布団で寝ているようだ。体が思うように動かない。TVで小学校低学年くらいの女の子がニュースを続ける。女の子はニュースキャスターの五木政信であること。無料の伝言板ができていること。SNSのログインを開放したことなど。五木政信は夜のニュースを担当していた50歳後半の名物キャスターで、確かにこの現象を「神様が壊れた」と表現するあたり本人なのだろう。


よく放送ができたなと感動する。でもよかった。今日は日本人のようだ。この現象が起こって、1日目はおそらくイタリア人の男性になり泣きはらして寝た。2日目はたぶんモンゴルで、教科書で見た「ゲル」というテントの中の少女として目覚めた。老若男女7人くらいが一緒に住んでいて、全員違う国の人々が入っていた。テントの中に赤ちゃんがおり、どうしてあげればいいのか、何をしたらいいのか慣れない英語で話しながら食事を考えたり、お手洗いの方法を模索したり、クタクタになって気づいたら寝ていた。今日が3日目だ。ここが日本ならせめてインターネットが使えるのではないだろうか。誰か、とにかく知っている人とコンタクトがとりたい。


私は赤月瑞樹という17歳の日本人女性だ。2025年の7月5日まではその体に間違いなく「私」は入っていた。大学受験の為にその日も朝から塾に行き、帰ってからも真面目に勉強していた。お母さんが夜食を作ってきてくれて、深夜1時くらいに寝たように思う。


目が覚めたら、全然違う体に「私」は入っていた。手は太くて毛むくじゃらで、顎を触ってみればひげの感触があった。見知らぬ窓からは色々な言葉の悲鳴が聞こえ、尿意を感じた股間からは今まで感じたことのない感覚があった。魂と体が変わるのだ。恐らく全人類が。


3日目で分かったことは、「寝る」という行為が魂と体が変わるトリガーだということくらいだ。とにかく今は、どういう体に「私」が入ったのか確認しないといけない。目の前に置かれた小さなTV。カップラーメンの殻が重なっていて、虫が何匹か飛んでいる。随分と体が重い。動かす手の皺がかなりの高齢なことを物語っている。年を取るとこんなにも体が重いのか。横向きになっている体を左手で起こそうとするだけで、腰が痛みそうだ。なんとかうつ伏せになって、両腕で起き上がる。痛い。違う。この体は腰が痛んでいるんだ。それだけではなく、圧倒的に体を動かす原動力が足りない感じがする。視界もぼやけている。目も悪いのだろう。ただ見る限り、ワンルームの部屋でゴミなのかわからないものに囲まれている。


使い勝手がわからない体を四つん這いで移動させて、なんとかミニキッチンのシンクにしがみつく。コップはあった。蛇口を捻ると水が出た。ありがたい。水を飲むと喉が鳴った。これが足りなかったと体がいっている。3杯、いや4杯飲んだ。ようやく落ち着いた体で改めて部屋を見渡してみる。ゴミだらけだと思ったけれど、そうではなく、この狭い部屋で必要なものを固めているのだ。できるだけ体を動かさないようにしていたのだろう。スマートフォンがないか探してみたが、見当たらない。代わりに電話機が新聞の間にあった。お母さんやお父さんの携帯番号など覚えていない。試しに自分の携帯電話にかけてみた。すぐに誰かが出た。


「(ここはどこ?これはだれ?お願い、このスマートフォンのパスワードを教えて!)」


英語だった。本当に、ちゃんと英語を勉強していて心からよかった。そして、ちょっと印象は違うけれど私の声だった。後ろで別の言葉が聞こえる。母の声だった。スマートフォンは私が記憶していたパスワードで開いた。涙が出た。私の「赤月瑞樹」の体はちゃんと存在していた。記憶も間違いなかった。今日、私の体に入った人はジェニファーという27歳のアメリカのオハイオ州の女性だそうだ。結婚していて、どうにか夫と連絡を取るためにインターネットに接続したかったのだと。パソコンのパスワードも伝えた。


「(本当にありがとう。もし、貴方の家族から連絡があれば、貴方のこと伝えるから。この体、大切に扱うからね!お互い頑張りましょう!)」


「(ありがとうございます。本当にありがとう。)」


そういって泣きながら電話を切った。電話を切った後、しばし茫然とした。後から後からふわふわと願望のような望みがでてくるけれど、ふんわり自分の内側で出てきた声は、「この体を大切にするね。」という言葉だった。


細いこの体の腕をなぞった。そうか。この体、借り物なんだ。大切にしなければならないと思った。窓を開けた。初夏の風が心地よく吹いた。少し、腰を曲げれば動くとわかった。出しっぱなしになったカップラーメンの殻を片付けた。少しお腹が減ったような気がする。カップラーメンが二つ、残っていた。冷蔵庫を開けてみたが、カップ酒が1つと食べられるのかよくわからない干からびた梅干ししかなかった。探してみるとカバンと財布が見つかった。免許証があった。この体は「猿渡 寛」さん、だとわかった。昭和10年8月10日生まれ。


「嘘でしょう!」


思わず声がでたけれど、痰が絡んで咳こんだ。腰に響く。もう90歳近いんだ、この体。より一層大切に扱わねば。お金も少し残っていたけれど、使っていいのかわからない。何より外に出たところで、店が営業しているとは思えない。せめて、とカップラーメンを鍋で煮て、干からびた梅干しを入れてみた。おいしい。おいしいなぁ。ある意味3日ぶりのまともな食事だった。少し、汗をかいた。拭いてあげたい。けれど、これだけで随分と疲れてしまった。窓から吹く風が気持ちいい。布団、干してあげたいな。そう思いながら柔らかくやってきた眠気に体を預けた。

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