ハニートーストバニラアイス

碧月 葉

背徳の味

 兄が暴走している。


 一斤千円以上する高級食パンを半分にカットして、予熱したトースターに入れ、カリッと焼いて、たっぷりバターとたっぷり蜂蜜をかけて……。

 仕上げにはバニラアイスを乗せ、その上に追い蜂蜜をとろーり……。


 香ばしくて甘い、なんともそそる香りが部屋いっぱいに広がっている。

 しかし、匂いの発生源である黄金色のハニートーストの前に座っているのは、この世の終わりのような表情を浮かべた精気のない男。


「お兄ちゃん、ちょっと待った! ダイエットしてるんじゃないの?」


 私は勉強の手を止めて声をかけた。


知沙ちさ……いいんだ、もう……」


 返ってきた声は激暗だ。もしや……


「まさか、振られちゃったの?」


 兄は額に手を当てて力のないため息を吐いた。


「はぁ……浮気されたんだ。最悪だろ? 俺、情けなくて……」


 浮気か、確かに最悪だ。

 文乃ちゃん、そんな感じに見えなかったんだけどなぁ。

 でも、大人の世界って色々あるらしく、人は見かけによらないって聞くしね。

 ともかく、兄がデブまっしぐらになるのは止めておかなくては。

 

「お兄ちゃん勿体ないよ。せっかく雰囲気イケメンっぽくなったのに」


「構わないさ。あんなにキャベツばっかムシャムシャ食べて……ほんと、ダイエットなんて馬鹿みたいだ。全部無駄だった、どうせ俺なんか……」


 あららら、随分凹んでるなぁ。


「うーん、今は辛いかもしれないけどね、絶対に無駄になんかならないよ。お兄ちゃん、確実にレベルアップしていると思う。この経験は、次の恋でもきっと活きるよ」


「知沙ぁぁ……」


 情けない声をあげ、涙も鼻水も垂れ流しそうな兄に、私はティッシュ箱を差し出した。

 

 あんなに頑張って大学デビューに成功したのに、このままぽっちゃりに逆戻りしちゃうのは惜しい。

 ルッキズムは好きじゃないけれど、こと恋愛において外見の魅力というのは否定できない。清潔で健康に見える・・・かは第一関門だろう。


 兄は、いい奴だ。

 約束は守り、嘘はつかない誠実さがある。勉強でも部活でもコツコツと努力をしてちゃんと結果を残してきた。任されたことはきちんとやり遂げる責任感もある。

 何より、人の気持ちを尊重して寄り添える優しさを持っている。

 外見で不当な評価をされるのは、妹としても耐え難い。

 

 現実は残酷で、人柄や能力よりも見た目に左右される。

 だから、大学入学にあたって兄の改造計画を立てて実行したのだ。

 食事内容の見直しと筋トレで体を絞り、髪型や眉を整え、サイズの合うシンプルで清潔感のある服を揃えることを勧めた。 

 元々の素材はそんなに悪くないのだ、兄は見事私の友人たちにも「ちーのお兄さん格好良くなったね」と無事イケメン認定されるに至った。

 そして、人生初の彼女もできた。

 慣れない事に一喜一憂しながらも、日々楽しそうに過ごす兄の姿を見て私も一安心していたのだが……。

 

 信頼できない相手と恋人関係を継続させるのは難しいに違いない。辛いだろうが、この恋は過去にするのがいい。

 

「それにしても、お兄ちゃん、よく浮気に気づいたね」


「見たんだ、現場を」


「……しんどかったね」


「ああ。とても楽しそうに食事をしてたんだ……」


 えっ?


「……食事?」


「爽やかなイケメンと笑顔でカツ丼食べてた」


 それだけ? 

 浮気の境界線に正解なんてないだろうけれど、異性と食事は即アウトとはいえないんじゃないのかな?


「お兄ちゃん、相手が誰かって文乃ちゃんに確認はしたの?」


「まさか、怖くて聞けないよ」


 おっと、これは文乃ちゃん、グレーどころかシロの可能性も出てきたぞ。


「お兄ちゃん、真実の確認もしないで 一人で悲劇してたら幸せになんてなれないよ」

 

「だって、俺より断然イイ男で……勝ち目なんてない……」


 これは……嫉妬の末に自爆の可能性アリ。


「もう、自信を持ちな。その男の人だって、ただの友達や兄弟って可能性も十分あると思うよ。訊かなきゃ駄目だって。なんなら、正直に『嫉妬しちゃった』って言ってもいい。勝手に思い込んですれ違ったりしたら、後悔してもしきれないじゃない」


「確かに、文乃ちゃん、お兄さんも弟もいるって言ってた」


「ほら!」


 ちょうどその瞬間、兄のスマホがテーブルの上で唸った。

 画面には文乃ちゃんの名前。

 不安そうに私の目をみる兄に、私は微笑んで頷いた。


 兄は携帯を手に素早く席を立った。


 取り残されたハニートーストは、アイスがほとんど溶けサクッと感を失っていた。

 味見をすると、じゅわぁとろーんとして、油分と糖分と炭水化物が魅せる最高のコラボレーション……兄には食べさせられない背徳感たっぷりの味がした。


 ベランダの方に目をやると魂を取り戻した兄の顔が見えた。

 

 文乃ちゃんが、黒かグレーかはたまた白かはまだ分からない、今後も注意深く見極める必要があるだろう。

 世話の焼ける兄だが、恋愛レベルがもう少し上がるまでは見守ってあげなくちゃね。


 さて、本格的におやつにしようかな。

 私は算数の宿題をランドセルにしまって、紅茶を淹れた。

 

                                                                        【了】

 

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ハニートーストバニラアイス 碧月 葉 @momobeko

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