第1話(後編) 異世界へ
再び目を覚ましたのは、傾きかけていた日が完全に落ち、辺りが闇に包まれている時だった。布団から身を起こすと、部屋には誰もおらず、机の上の蝋燭が微かに灯っているだけだった。
「すっかり暗くなっちゃった」
早く帰らなければ、と思いつつも、不愛想だけど親切なあの男にお礼は言わなければならないため、蝋燭を拝借して、男を探すため夜の村へと繰り出した。
昼間の反省を踏まえて、裏路地ではなく、すぐに表の通りを通ることにした。建物の明りは所々ついているが、街灯がないので、すごい不気味だ。だけど、昼間のように、服装のことで怪しく見られることもないので、堂々と歩くことが出来た。
結構な時間歩いたと思うが、すれ違った人はたったの2、3人で、あの男らしき人は全くもって見当たらない。
暫くして、大人しく家で待っていた方が良いなと、ようやく思い至り、来た道を引き返すことにした。が、急に横から強風が吹いてきて、手元の蝋燭が消えてしまった。
(今まで消えないように頑張って歩いてきたのに……)
辺りが真っ暗なのは変わらないが、足元が全く見えなくなってしまった。
「これは倍の時間かかるな……」
溜息をついて、ゆっくりと慎重に歩き出す。と、風が吹いてきた方から、何か音がする。それに、人の声も微かに聞こえる。じっと目を凝らして、そちらの方向を見る。目が暗さに慣れてきて、だんだんと風上にいる人影が、顕わになってきた。
あの男だった。
(こんな夜中に何をしているんだろう……?)
家に戻って待つ必要も無くなったので、喜んでいそいそと近づいていく。
だが、男の見ている方向にふと目をやると足が止まってしまった。それは昼間見た、黒い影のような、不気味な化け物だった。思わず物陰に身を隠してしまった。
隠れていた月が雲の間から出てきて辺りを照らす。瞬間、男が腰から刀を抜いて、化け物に振りかぶった。そして一切りで、化け物を倒してしまった。倒したというより、どちらかというと消えたに近い。そして化け物が先程までいた場所へいくと地面にある何かに刀を突きさした。
あまりにも一瞬のことすぎて、開いた口が塞がらない。紬は自分が何をしに来たのかをすっかり忘れてしまっていた。
「体調は大丈夫なのか」
最初は男が私に話しかけているのだと気が付かなかった。
「そこにいるんだろう?」
慌てて、物陰から顔を出す。
「はい。大丈夫です」
「そうか。それは良かった。」
そう言うと、刀を鞘にしまい、こちらに近づいてきた。
「見ていたのか。説明する手間が少し省けたな」
微塵も笑わずに、今どのような感情を持っているのかは分からない顔で男が言う。
何となくの不安は抱えていたものの、不思議なことにこの男に対する恐怖心は何故か無かった。
「そうですね」
そう言って、一緒に歩いて家に帰った。
🕯 🕯 🕯
男の名は
昼間の影や、先ほどの化け物は、
そんな世界もあるもんなんだな。頭が混乱しすぎて、逆に妙に納得がいってしまった紬は、そんなことよりも、と思った。どうやって家に帰れば良いのだろうか。私の猫はどこへ行ったのだろうか。
「なあ」
不意に漣が尋ねてきた。
「お前はどこから来たんだ。普通の奴ならこの村の結界を超えることはできない。見たところ、祓い人の力は持っていなさそうだ」
「私は、ただ猫を追ってきただけなので……。あ、森の方から抜けてきました」
そう言うと漣は目を見開いた。
「森の方からだと?まさか、そんなはずは……」
独り言のように、ぼそぼそとつぶやく。やがて、私の方を見て言った。
「向こうの森は、
何を言っているのか、正直よく分からなかった。けれども、確かに迷いはしたけれど森は通ってきたし、間違いなく森の向こうには、これから私が暮らすはずの町がある。
「どうしてそんなことを言っているのかは分かりませんが、森の向こうには私の暮らす町があります。もう一度通れば、絶対に戻れるはずです」
「……あの森を通る?俺が思うに、お前には無理だと思うのだがな。まあ、物は試しだ。もう一度、境の森に行ってみることとするか」
「はい」
ということで、急ではあるが漣と一緒に境の森へと向かうことになった。外に出ると空が少し明るくなってきていた。漣とは話すことも無いので、漣の少し後を付いていく形で歩を進めた。
そして、完全に日が昇りきるころにやっと、私が迷い込んだ森にたどり着いた。
だが、様子が数時間前と違った。森は薄暗く、濃い霧がかかっていた。これには早朝だからという理由が付けられるかもしれない。しかし問題はそこではない。何というか、全体的に禍々しい空気が漂っていた。
とてもではないが、入っていけるような雰囲気ではない。漣の方を見ると「ほら見ろ」と言わんばかりの顔でこちらを見てきた。
「お前、これからどうするんだ」
「どうするって言われても。この状況じゃ、どうしようも……」
「昼間まで待っても無駄だぞ。境の森はずっとこの調子だ」
「……」
「……」
紬は少しの間、考えた。帰るはずの家に急に無くなってしまったのだ。この村での知り合いは今のところ、横にいる漣しかいない。初対面の相手を頼るわけにはいかない。だが、この村で一人でやっていける自信がない。答えは一つだ。
紬は意を決して、漣の方を向いて言った。
「あの、家に帰れるまでの暫くの間、お世話になっても良いですか」
「……は?」
「もちろん、ただでお願いしているわけではないです。ちゃんと漣さんのお店で働きます。」
漣は短く沈黙したまま紬を見た。何か言いかけて、やめる。小さく息を吐いてから、ぽつりと口を開いた。
「……それ、俺に言えばどうにかなると思ったのか」
「……いえ。でも、他に頼れる人がいなくて……」
「……そうか」
「……あの、それでも……ダメですか?」
「……勝手にしろ。ただし――」
「?」
「俺に借りを作ったこと、忘れるなよ。かなり重い借りだ」
「はい!」
そう言うと、いつも無表情な漣が初めてにやりと不敵な笑みを浮かべた。
祓い屋の追憶 雪路 @snowing
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