第5話
侍は目だけが異様に輝いている。
両袖は千切れ、肩から血を流していた。
「偽物の賊が、この輿を襲う真似事をするのだとわたくしは――」
「我ら三人も」
侍は骸となった警護役の男たちを見た。
「我ら三人も、そう聞いていたのです。偽物の賊が来ると。
その偽物の賊に、姫をお渡ししろと。
我らは輿の中にいる姫が偽物とは知らなかった。
そしてやって来たのは、本物の賊でした。いや、本物といっても、野盗の類ではありません」
「それはどういうこと……」
嫌な予感がした。
偽物の賊に逃してもらえると聞いたとき、はるは柴田様に訊いた。放たれたあとは、どこへ向かえばよいかと。
だが、あのとき、柴田様は答えてくれなかった。
もしや。
「この黒装束の男たちは、剣の使い手だ」
侍はしゃがみこむと、絶命した黒装束の体に覆いかぶさり、その顔の頭巾を剥がした。
「やはり」
侍は悔しそうに、呟いた。
「この男は、
「高堂様?」
名前だけは耳にした憶えがあった。家老の
顔は見たこともない。
その高堂様の手の者が、なぜ自分を殺めようとしたのか。
「そなたに身代わりになるよう命じたのは、柴田殿ではありませんか」
はるは目を見張って、
「やはり、そうでしたか」
「わたくしを
侍は頷く。
「わけを教えてください。なぜ、柴田様はわたくしを殺めなくてはならないのか。わたくしは柴田様に命ぜられ、身代わりになったのです!」
にわかには信じ難かった。こんな面倒な手はずを整え、自分が殺められる理由が知りたい。
「今、この山野には、いくつもの小さな勢力がひしめき合っています。美濃から信濃、その向こうに甲斐の国。土地と民を奪い合ってしのぎを削っている」
はるは
村にいても、戦国の世のすさまじさは伝わってくる。
「我が城は、東の
だが、このままでは、お互いの潰し合いになる。
そう遠くない将来、甲斐の国で大きな戦が起これば、利賀や丹野、そして我が城などひとたまりもないでしょう。
そこで、ご家老の
「それが、てる姫の輿入れなのですね」
侍は頷く。
「利賀方と結んで、丹野勢に対抗する。
それが、楠根様方の考えです。
楠根様は
だが、お城は、一枚岩ではない。
楠根様に対抗するご家老の高堂様は、別の考えをお持ちだった」
「というと」
「利賀方と結ぶのではなく、高堂様は丹野方と結ぼうと考えたのです。そのために、てる姫を奪う必要があった」
ふうと、侍はここで大きく息を吐いた。
「奪うといっても、城内で事を起こすわけにもいきません。
それで、輿入れの道中、てる姫の略奪が企てられたのです。
嫁ぎ先の利賀方への手前、略奪を知られるわけにはいきません。知られれば、
そのため、偽物が仕立てられた。その裏で、本物のてる姫は
偽物を仕立てた意味は、わかった。
だが――。
「では、なぜ、わたくしを殺そうと」
「偽物がいつまでも生きていては困るからですよ。
てる姫が我が城とは関係のない賊に奪われたのであれば、後で事実を知った利賀方も納得するでしょうが、我が城の内部の者の策略で奪われたとなっては、利賀方は黙ってはいまい。
すぐに攻め込んでくるでしょう」
「では、はじめから、わたくしは殺されるために」
「そうです。我ら数人の警護の者、小者たち、人足たちも殺される運命だった」
「わたくしは、柴田様やせい殿に諮られたのですね」
「そうなります」
「我らがそれと知らず、身代わりの姫を警護させられたのは、
侍はさびしい目になった。
「捨石だったのですよ、そなたも、我らも」
「捨石⋯⋯」
城を救う大切なお役目なのだ。そう言った柴田様の目が蘇る。
大切なお役目とは、ただ無残に切られることだったのだ。そのために、自分は御供衆に選ばれた。
御供衆に決まったときの、おとうやおかあの喜ぶ顔が浮かんだ。
そして八吉の笑顔も。
悔しい。
はるの目に涙が滲んだ。
自分など、野の草の間で生きる虫と同じだ。
そう思っている。
だが、野の虫にも、心はある。
この悔しさは飲み込めない。
はるの心の底で、火打石が小さな火花を上げなた。
血しぶきと泥で汚れ、なんという惨めな姿だ。
いや、惨めなのは、あのときの自分だ。
真っ白い小袖を着たとき、自分はどれだけ嬉しかっただろう。こんな幸せ者はいないと、仏様に感謝したいほどだった。
はるを見つめる侍の瞳にも、うっすら涙が浮かんだ気がした。
城で見かけた憶えはないが、それなりのお役をもらっていた者なのだろう。
もしかすると、悔しさははるよりもずっと大きいかもしれない。
「さて、どうしたものか」
意外なほど渇いた声で、侍が言った。
「今更城へは戻れない。浪人となるしかありません。わたしが生きて帰っては高堂様にとっても不都合でしょうから」
それなら、自分も同じだとはるは思った。
もう、村で生きていくことなどできないのだ。
そのとき、地を轟かす馬の蹄の音が響いてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます