祖母の戦中体験とその後

まする555号

祖母の戦中体験とその後

 これは今は亡き祖母から聞いた話だ。


 祖母は大正の初め頃、江戸時代は武家だったという少し堅苦しい家に産まれた。そして女学校卒業後に祖父とお見合いをして結婚をしたそうだ。


 祖母は学校の成績が良かったそうで、女子高等師範学校に進学してさらに勉強を続けたかったらしい。

 祖母の父は郵便局に勤めていたそうだけど、そこまで裕福では無かったらしく、祖母の兄は師範学校に進学したけれど、祖母は通わせて貰えなかったそうだ。

 それを孫である僕に何度も愚痴るほど悔しかったようだ。


 お見合い相手の祖父は、産まれながらに心臓に欠陥を抱えていた。徴兵検査というもので丙種合格で、実質的に兵隊として不適格という烙印を押さるような虚弱な人だったそうだ。

 ただし頭が良かったらしく銀行に勤めていて、パリッとした服をお洒落に着こなしていて、祖母はお見合いですぐにいい人だと思ったらしく結婚を承諾そたそうだ。


 結婚後すぐに子宝に恵まれ、伯母2人と僕の父が産まれ、5人家族で幸せに暮らしていたらしい。


 昭和十六年に太平洋戦争が勃発し、その後の戦局の悪化により周囲の大人たちの多くが徴兵され戦地に向かっていったそうだ。

 そんな中で、祖父は戦地にいかずに暮らしている事にとても心を痛めていたそうだ。そして、それが原因なのか心臓の具合がどんどん悪化していったらしい。

 ただ、強く日本の勝利を信じ、男手の減ってしまった町内で防火訓練など主導的に行っていたそうだ。


 昭和二十年六月中旬に当時祖母が住んでいた街で大規模な空襲があったそうだ。

 元々昭和十九年頃から街には何度も空襲はあったそうだけど、軍需工場とその近くに爆弾が投下されるだけで、街はそこまで破壊されて居なかったらしい。

 その街にある軍需工場は、四月頃に投下された爆弾によって破壊され、稼働は止まっていたそうだけど、工場を再開させないよう周辺住民のを焼いてしまおうと、沢山のB‐29が焼夷弾を満載してやって来たそうだ。


 空襲の前に、何度か飛行機が通過したため、警報が鳴ったり解除されたりしていたらしく、状況が良く分からなかったそうだ。

 通過するたびに高射砲による迎撃が行われていたけど、弾はB‐29のはるか下側で弾けているだけで、悠々と飛んでいたそうだ。


 空襲は深夜から始まったそうだけど、祖父は最初の空襲警報の発令と共に祖母に3人の子供との避難を託して急いで家を飛び出してかえって来ておらず、祖母は警報が止んだ時に防空壕から1度家に戻り家で休んでいたそうだ。

 その時に、引き返して来た飛行機が襲来し、再度警報が鳴り響き、まだまともに歩けなかった僕の父を背負って、まだ小さかった娘2人の手を再び引き、灯火管制されていて真っ暗な街を防空壕に向かっていったらしい。


 しかし飛行機達が祖母の頭上を通過する方が早く、はるか上空から火の付いた焼夷弾が雨の様に降り注ぎ始めたそうだ。

 祖母は曰く「ザー」っという音のあとに、焼夷弾が瓦屋根を突き破った音が周囲で聞こえたと表現していた。


 焼夷弾は筒状で、地面に落ちても爆弾のように破裂しないけれど、土の道路が抉れるぐらいの力があったらしく、頭に当たれば防空頭巾をかぶっていようが関係なく死ぬだけだそうだ。


 祖母は頭にぶつかりませんようにと祈りながら父を背負い、伯母2人の手を引いて逃げたそうだ。

 2人の伯母が両方ともついて来れない年齢だったのなら一緒に逃げられなかったそうだ。


 周囲の建物に火が付き、あと一歩前を走って居たら焼夷弾が頭に直撃していたという目にも遭遇したことで、避難場所となっていた防空壕まで行くことを諦め、神社の裏手の森に逃げ込んで、そこで多くの避難していた人と夜を明かしたらしい。


 空襲による火災は一晩中街を焼き、街の火による照り返しで空まで真っ赤になっていて、少し出ていた雲の下側も赤く照らされていたそうだ。


 街の火が収まって鎮守の森を出ると、街は一面焼け野原で、高台に登らなければ見えない、街の中心部にある駅の周囲のコンクリート造のビルまで見通せたらしい。

 色んな状態の死者や呻く怪我人を横目に自宅にたどり着いても、家は焼失していて呆然とするしか無かったそうだ。


 祖父は空襲の途中まで消火活動をしていたけれど、多くの火の手が上がった事で諦め、一緒に消火活動をしていた人と防空壕に避難して生還したそうだ。


 その後祖父母は焼け残った祖母の実家に間借りして暮らし始めたそうだけど、八月に敗戦を知った祖父は崩れ落ちる様に落胆し、そのまま寝たきりの状態になって十月に享年三十一歳で息を引き取ったそうだ。

 最後に口元に耳を近づけて聞き取れた言葉は「しっかり」だったらしい。


 祖母は戦後、国立大学の学生学食の調理師募集の試験に合格した事で、小さな子供だった叔母2人と父を育てあげる事が出来た。

 沢山の応募者があった中で、女子高等師範学校を出た優秀なお嬢さんと自分だけが合格したと、自慢げに話していた事を良く覚えている。


 上の伯母は高校卒業後に電力会社に務める男性と結婚し、普通の主婦として暮らした。小さい頃から虚弱体質だったそうで、癌の手術を受け、透析が欠かせないそうだけどボケている様子も無く健在だ。


 下の伯母は東京の大学進学を希望したけれど、そこに通わせる余裕など無く、祖母は諦めるよう言っていたらしい。下の伯母を見くびっていた祖母は、自身の娘が東京の大学に合格しないと思い、諦めさせるために受験させたそうだ。

 しかし伯母は見事に合格してしまい頭を抱える事になったそうだ。

 けれどそのタイミングで偶然に郵便局に勤めていた祖母の兄が東京の本局に栄転する事になり、その官舎に居候させることで下の伯母を通わせられたそうだ。

 下の伯母は、大学を卒業後に家柄の良い人と結婚したけれど、嫁いびりがとても酷かったそうで逃亡し離婚した。

 後にミッション系の私立学校の先生になり、副業で家庭教師をしていた少女の父親に求婚され再婚した。その相手には先立たれたけれど、本人は八十代中盤になっても登山旅行に行くぐらい元気だ。


 父は一浪して祖母が学生食堂で働く国立大学に進学し、当時花形だった造船会社に就職した。

 しかし日本の造船業が下火になったときに、知り合いが起業した電気工場会社に技術者としてスカウトされ転職した。

 物置から始まったその会社はバブル景気の建設ラッシュの恩恵で成長し、僕が中学校の時には自社ビルを建てるぐらい大きく成長していた。後に収賄容疑を起こしてニュースになるぐらい地元の中堅企業ぐらいになった。

 ちなみに父がやめた造船会社は会社更生法を申請するほど経営が悪化したが今では立ち直っているが、祖母は倒産したと思っていたらしく、父が造船会社に留まらなくて良かったと言い続けていた。


 祖母は本当に困った時に奇跡的に助かったという経験を、神様が見ていてくれるからと考えるようになっていた。

 祖母の部屋には祖父の位牌のある仏壇とそのお寺の行事に参加した時の品が置かれていたし、叔母に影響されてキリストらしい絵が飾られていたし、新興宗教の本が棚にいっぱい並んでいた。

 ときより金色にピカピカに輝く高い音のする打楽器らしいものを鳴らしながら呪文のような歌を歌ったり、写経をしていたり、祖父のお墓参りをしたりしていた。今考えると一貫性のない宗教活動をしていたけれど、当時の僕には良くわからず、それが普通の老人の姿だと思っていた。


 心臓の弱さは父にも受け継がれたのか、四十歳の頃に健康診断で心臓に疾患が見つかった。そして精密検査のあと何度か心臓の治療のために入院をする事になった。

 結局その甲斐なく、四十九歳の夏の早朝、急な発作を起こし父は亡くなった。

 その当時はバブル崩壊前で社会は明るかったけど、過労による突然死が社会問題として騒がれ初めていた時期だった。だからか退職金という形で多くのお金が払われたと、母は落ち着いた頃に僕に話してくれた。

 月月火火木金金と24時間働けますかをリアルでしていた父が、心臓を患って最後は急死した事で、訴訟起こされる事を父の勤めていた会社は恐れたのだ。


 余談だけれど、生前の父にどうして入院をするのか聞いた時に「心臓に毛が生えているから」と僕に冗談を言い、それを信じてしまった僕は学校の先生にその通りに話して笑われる事になった。


 祖母は八十歳頃からボケが始まり九十八歳で亡くなった。

 僕の顔をまだ覚えていたけれど、名前を思い出せなくなっていた八十五歳ぐらいの時に、「みんな先に逝ってしまった」という事と「結婚相手の健康状態を調べなさい」と繰り返し言い続けていた事を今も覚えている。


 僕はもう少しで父の年齢を越える。

 今までに心臓に疾患があると言われた事はない。心肺機能は多少弱いらしく安静時でも心拍数が平均より多めで、最高血圧と最低血圧の差が少いけれどギリギリ正常の範囲らしい。

 九十八歳まで生きた祖母と、八十歳近くなっても歯医者ぐらいしか通っていないという母の血のお陰で、祖父や父より丈夫な心臓を持って産まれたのかもしれないと思っている。

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