第2話 夫の奮闘?

「洗濯機の取説は・・・と!」

 ボタンがいろいろあって洗濯機の使い方が分からない。

 そもそも洗剤と漂白剤と柔軟剤と・・・

「ん? これどう使い分けるんだ!」

 配合する割合も分からない。


 五月は大学病院からリハビリを専門にする病院へと転院した。

 回復は順調だったが「五月ができないことは俺が・・」と誓いのようなものを立てた手前、炊事と洗濯と掃除は何としても自分がやると意気込んだ。

 しかし実態はこの有様。


「ほんとに俺は家事のこと、何にも知らないんだな~」

 毎日の病院通いのため家事は後回しだった。だから洗濯物は山になっていた。それを前に溜息をつき、落胆した。


 だけど落ち込んでいる暇など無い。一転奮起し取扱説明書を読み込んで何とか洗濯機を回すことができた。

「何とかなるじゃん!」

 泡を立てて回転しているドラムの中を見詰めながら「ホッ!とした」という感覚と同時に些細な満足感も感じた。


「五月が退院して帰ってきたらびっくりさせてやろう!」

 ちょっと自慢したくなった。

 しかし現実はそんなに甘くは無いことを直ぐに思い知る。

 洗濯が終了して取り出した洗濯物がかなり石鹸臭い。

「駄目だ、こりゃ!」

 果たしてボタンを押し間違えたのか、洗剤の量を間違えたのか、その原因さえも分からない。

「もう一度読み直してやり直しだ!」

 もう自慢できる自信など、無くなってしまった。


「通帳はどこだ!」

 二月に一度の年金支給日になった。なるべく早く現金を下ろしにキャッシュコーナーに行かなければならない。

「ん~! 何処にあるんだ!」

 五月が通帳とカードを持ち出してくるときの状況を思い出そうとしたが、なかなか思いつかない。

「もし五月が記憶をなくすようなことになったら、我が家の家計はどうなることやら・・・」

 もうため息しか出ない。自分自身に呆れた。


「これからは情報の共有が絶対に必要だな!」

 改めてすべて五月任せだったことを悔い改めざるを得なかった。


 その後洗濯は洗剤の量を減らし柔軟剤や漂白剤は入れないようにして、何とか出来るようになった。

「干し方も上手くなってきた!」

 タオルはきちんとパタパタとやってしわを伸ばし、シャツなどは袖などをピンピンと引っ張ってから干した。

 でもやはり乾いたタオルは一寸ゴワゴワしているし、なんだか汚れも少し残っているように見える。

 しかし、楽観的に考えることにした。

「やってみればけっこう楽しめるもんだ!」

 洗濯は面倒くさいとか嫌いだとか思ってしまうと、どんどん嫌になる。

 考え方次第だと思った。

 そう思えたことに自己満足した。


 掃除はただ掃除機をかけるだけだ。

「これなら俺だって五月に負けないくらい上手くできるぞ!」

 最近の掃除機は性能がいい。自走式なので力もいらない。

 五月のベッドの下に目をやった。

「帰ってきた時、埃だらけじゃな!」

 五月のことを思い出しながら丁寧にしっかりとかがみこんで掃除機をかけた。

「痛てっ!!」

 腰を痛めた。ぎっくり腰だ。

「なんてこった!」

 これで暫くは自炊も儘らない。一人生活の一番苦しいところだ。


「まぁ、何事も学習だよな!」

 などと負け惜しみを言ってみたものの、侘しい独り言と感じてしまった。

 そんなことがあって、以後は腰の準備運動をして、かがみこむときは慎重にやるようになった。


 食事については、あまり失敗はなかったと自負している。

 以前家族で鍋料理をすると子供たちから「お父さんは鍋奉行だからね!」などと言われるほどで、あれこれ知ったかぶりをしたものだった。

 だから失敗などできない。


 しかし考えてみればご飯は炊飯器が勝手に焚いてくれる。センサーが作動するので空焚きをする心配もない。こっちは米を砥いで水を入れるだけ。

 炊きあがったご飯が硬かったとか柔らかかったとかはあっても、普通なら失敗のしようがない。

 味噌汁はインスタントが美味い。

 夕飯は一人分を手料理するのは材料の無駄が多く出るから、やはり弁当屋で買うのが一番と心得た。

 今は弁当屋の数も多い。だから同じものばかりを買うこともないので飽きることはない。

 世の中随分と便利になったと今更のように感じ入った。

 これだから失敗はしなかったと思っている。


 いつものように五月を励まそうと病院に行った。

「お父さん、よく頑張ってるね!」

 五月はベッドに横になっていたが笑顔を見せた。五月の努力を誉めなければいけないのに逆に褒められてしまった。

「俺が元気づけられてどうすんだ!」

 ここに何をしに来たんだと自責の念に駆られた。

「大分しっかりしてきたね。リハビリはどう?」

 気を取り直して尋ねた。

「楽しんでるよ!」

 本当は辛くて苦しい筈だと思うのだが、そのふりを見せない。

「お母さんもよく頑張ってるよな! エライな!」

 五月は満面の笑顔になった。

 その表情を見て五月のことが今更のように可愛らしく思えて愛おしさが込み上げてきた。

「お母さん!」

 そう言って五月の頬に手を触れた。

 その手に五月の手が重なって来た。

 その後少しの間言葉はなかったが二人の心が触れ合えたと感じた。 

 スキンシップはこういった時に大きな力となると実感した。


「ところでここの病院の運動療法士の先生は若くてイケメンだよね。お母さんのタイプなんじゃない?」

 照れ隠しにそんなことを言ってみた。

「そうね!」

 五月はぬけぬけとそう言った。さらに倅よりも一つ若いのだという。

「そりゃよかった!

一杯頑張っているんだから、そのくらいの楽しみがなくちゃね!」

 そう言われても焼きもちを焼く気など当然ない。むしろそのくらいの気持ちがあった方が回復の原動力になると思えた。


「言語の先生のリハビリもとっても楽しいよ!」

 まだ物の名前がすぐ出てこない。絵が描かれたカードを見せられると考え込んでしまうのだ。しかし苦痛の表情は見せない。


 今日は運よくその言語のリハビリに立ち会えた。

 先生がメロンの絵を見せた。やはり名前が出てこない。


「これは、うちでは『高くて買えないメロン』だね!」

 そう助太刀?を出した。

「ご主人、上手いこと言いますね。そういう覚え方も一手ですよ!」

 言語の先生が手を叩いて肯定してくれた。

「お母さん、『高くて買えないメロン』って覚えてみたら!」

 そう投げかけると五月は気に入ったようだった。

「また後でこれをお見せしますね」


 暫く他の絵を見ながらやり取りをした後、また先生がメロンの絵を出した。

「これ、何でしたっけ?」

 先生の質問に五月が答えた。

「高くて買えないメロン・・かな?」

 思わず手を叩いて歓喜の声を上げてしまった。

「素晴らしいです。これは良い覚え方ですね」

 その日はその先生の言葉に機嫌をよくして帰宅することができた。


 これまでは暗澹あんたんたる思いの連続だったのであるが、今日は何となく先が見えてきたような明るさを感じることのできた日だったのである。


「もう一息かな。二人で頑張ろう!」

 病院からの帰り、ちょっと高価な弁当を買って帰った。

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