お済みになりましたら言って下さい

そうざ

Please let me know when it's done

 調味料入れ程度のプラスチック瓶を渡された上で通されたのは、窓のないこぢんまりとした個室であった。

 ドアは鍵が掛かるようになっている。勉強部屋に鍵が付いていたら――若い時分はよくそう思ったものである。

 24インチ程度のモニターとプレーヤーが置かれたテレビ台と一人掛けのソファー、傍らにイヤーパッドが崩れ掛けたヘッドフォンと剥き出しのDVDディスクが数枚、後は粗品らしきボックスティッシュ、ビニールの掛けられたごみ箱。そして、片隅にしつらえられた小さな洗面台の違和感。

 さぁ、お膳立てはしました、粛々とお済ませ下さい、パートナーを始めクリニック一同、今か今かと首を長くしております――何とも乱暴な話であるが、先ずは事前の指示通り、隅の洗面台で手を洗い、消毒液を念入りに使う。どうやら利用者の手は薄汚れている前提があるらしいが、肝心の局部は洗わなくて良いのかと素朴な疑問が湧く。

 利用時間は指定されなかった。が、ごゆっくりどうぞ、とも言われなかった。長居をする場所ではないが、早過ぎるのも何だか気まずい。とは言え、こんな機会はそうないのだから、いっそ愉しもうか。

 これまでに何人の男がこの部屋を訪れたものか。都度、清掃が入っているにしても、何処かに痕跡がありはしまいか。情慾の飛沫に発光する試薬が存在するのならば、部屋中に吹き付けてみると良い。ごみ箱と言わず床と言わず、壁からソファーからモニターの画面からティッシュの箱から天井の隅々に至るまで白濁した光を発するかも知れない。

 手にした未使用のプラスチック瓶も、間もなく情慾まみれだ。ラベルに記されているのは、調味料名でなく、俺の氏名だ。

 どうしても自分達の遺伝子を掛け合わせた存在が欲しい――これが人として自然な望みなのだとしたら、貴方は自然な方法では望めないので、と先端医療から烙印を押された人間の望みも自然なのだろうか。


 取り敢えず、全てのディスクを倍速でチェックするところから始めよう。近頃はネット視聴に慣れてしまい、円盤を一枚一枚、機械にセットする作業は、煩わしくも期待を高める新鮮な儀式である。


 そして、鳴り物入りで映し出された光景はと言えば――食えれば良いだけの飯であり、安価に最速で有名観光地を経巡る旅であり、摩耗し切った金型で作られたが為に羽付き餃子宜しくバリがバリバリに食み出した偽物パチモンのプラモデルであり――。

「乳母日傘で手塩を掛けて育て上げた目に入れても痛くない手弁当の秘蔵っ子の三国一の我が情慾をこんな三文三流駄映像なんぞに無駄打ちさせられてなるものかっあぁ!」

 半ば予想していた事ではあるが、掛け値なく現実を直視させられる理不尽さの破壊力は絶望的に計り知れないものがある。


 世に棲息する女の大半は、アダルトコンテンツに対し、大なり小なり嫌悪の感情を抱いていると言っても過言ではなかろう。

 中には、パートナーがその手の映像を密かに閲覧しているという事実を以て、すわ下劣である、そら不貞である、に獅子身中の虫である、と断罪して憚らぬ鉄壁に潔癖な女も存在するやに聞く。

 大多数は半ば黙認、見て見ぬ振りの大人の態度で妥協をとしていると想像はするものの、基本的にはセクハラ成分濃厚コンテンツに好感を持つ筈もなく、逆に奨励、寧ろ歓迎、全ての男に最低助平補償ベーシック・スケベを導入すべき、などと主張する女の存在はついぞ聞かない。

 だのに、しかるに、ところがどっこい、すっとこどっこい、子孫繁栄に黄色信号が灯っていると知るや、たちまち当該コンテンツを必要悪の枠組みから自動手繰り上げし、三顧之礼でご尽力を仰ぐというのだから、全くこんな虫の良い掌返しはない。


 画面の中では、あどけない女優が複数の中年キモ男と鋭意乱交中である。

 決して飯事ままごとの域を出ない、予定調和のネチョネチョ、ズポズポ、ジュパジュパな光景に誘発されて放出されたパートナーの子種が実を結んで晴れて元気な赤ちゃんが誕生しました――となれば、不妊治療に邁進する淑女の方々は結果オーライと喝破出来るらしい。

 もしかしたら極めて稀も稀な例として――わたくしのパートナーにそのような汚らわしい映像なぞ使わせませぬ。わたくしめが自ら介助差し上げ、文字通り│手ずから《・・・・》採取つかまつらせて頂くでありんす御座候ござそうろう、あいや│そうろう《・・・・》などとはしたない駄洒落をば――なんて女も存在するのだろうか。


 女には不快感と抱き合わせになった月の周期がある。それは或る種の規範、規律、規則を課せられているかのようだ。

 翻って、男という生き物は無造作に放逐されている。男と女が同じ種族である事がにわかに信じ難い程の機能差である。

 然るに男は代償を強いられる。あの七面倒臭い、おまけに青臭い、無様な慰めの行為に勤しむ。気力に体力、時間に手間暇、お金に飽かしてしゅらしゅしゅしゅ、報労の如く下される刹那の快感に身を投じたその先に待っているのは、間抜け過ぎる程の正気の沙汰。

 否、純然たる正気など存在しない。理性には常に雑味が混入するものだ。満悦、圧制、羞恥、卑下、憐憫、嫌悪、虚無、そして忘れた頃に再びむくむくと頭を擡げる情慾。

 情慾の銃口は、何気ない日常の其処彼処そこかしこに撃鉄を引いた状態で向けられている。パーソナルスペースを侵す満員電車、寝苦しい熱帯夜、辞書で見付けた未知の単語、こじりに拗らせた片想い、必然性という名で撮られた映画の濡れ場、起床時の意図せざる起立――俺は一体、幾匹の生殖細胞を闇から闇へと葬って来たのだろうか。


「済みません」

「お済みですか?」

「済みません、どうしても採取出来ません」

「体調が優れませんか?」

「ぶっかけがありませんし、レイプもありませんし、糞尿も獣姦もないし」

「あの……ご自身でご用意頂く事も可能ですが……」

「冗談ですよ。散歩でもして気分転換した後にまた試します。僕のパートナーにも伝えておいて下さい」

「はい……行ってらっしゃいませ」

 女性看護師は、瞳の奥に侮蔑の色を秘めていた。人様の性衝動は千差万別。一律の管理下に置こうなど思い上がりもはなはだしい。

 俺は己の遺伝子が組み込まれた存在を手に入れたいだけだ。その為に、絶世の高偏差値顔面と、遣り甲斐搾取で手にした財力と、詭弁にして雄弁な口車とを駆使し、性染色体XXパートナーを確保したいだけだ。

 嗚呼、早く新しい幼体おかずが欲しい。俺によく似た、この上ない情慾の対象物としての子供が欲しくて欲しくて堪らない。

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