08 干し草のベッド
ときめきに高鳴るマドカ。
生まれて初めてのその感覚に、彼女の瞳にはいまだかつてないマークが浮かびつつあった。
しかしその寸前、「終わりましたよ」と声をかけられ、マドカはトロンとした瞳をあげる。
「へ……?」
「どうしました? ヨダレが出てますけど」
「え? ……あ、いや、なんでもねーし!」
手の甲で口を拭いながらあたりを見回すと、そこは半壊になった酒場と、床に転がってうめく男たちの姿があった。
「う……うう……!」「な……なんなんだ……あの男……!」「こ……こっちの攻撃が、ぜんぜん当たらねぇ……!」
それとは別に、酒場の店主が四つ足でうなだれていた。
「う……うう……! 腕輪持ちが来るかもって、酒場を2階建てに改装したのに……! やっと腕輪持ちが来てくれたと思ったら、メチャクチャだぁ……!」
「それなら心配無用です」
Vは事もなげにそう言って、足元に転がっていたテーブルの脚を蹴りあげて空中で掴む。
その切っ先を倒れているデクマの鼻先に突きつけると、デクマはそれだけで「ひいっ!?」と縮みあがっていた。
「これからあなたがた全員で、酒場の修繕をしてください」
「ふ……ふざけんな! 誰がそんなこと……!」
「私が一切手を出さなかったのは、ケガをさせたくなかったからです。ケガをしたら、修繕できなくなりますからね。……いまから、手を出してもいいんですよ?」
「ひっ……ひぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーっ!?!?」
そして始まる強制ボランティア。
修繕に必要な木材は村の大工から借り受け、それを返すためにハイランダーズの面々は木こりの真似事までさせられる。
作業は真夜中まで続いたが酒場はすっかり元通りになり、店主はホクホク顔であった。
「いやぁ、リフォームまでしてもらって悪いね! テーブルや椅子は新品になったし、カウンターは以前よりも使いやすくなったよ!」
「お……覚えてやがれーっ!」と捨て台詞を吐いて逃げ去っていくハイランダーズたち。
「もう二度とくんなし!」とその背中にアカンベーをするマドカ。
「店主のオジサン、あのパンパースってのはなんなん?」
「組織だってこのあたりの村で幅をきかせてるワルどもさ。山賊やモンスターから村を守る自警団気取りなんだけど、金を脅し取ったりしてるからヤツらのほうがよっぽど悪質さ。でも乱暴されるから誰も逆らえなくてね。きっと明日は仲間を大勢つれて仕返しに来るだろうから、早くこの村から出てったほうがいいよ」
「だって。どうすんの、Vさん?」
「ご主人、この酒場の二階は宿ですよね? 部屋をふたつお願いします」
「え、泊まんの?」
「ええ、もう夜も遅いですしね。それにここの宿は干し草のベッドで、とても寝心地がいいんですよ」
「干し草の、ベッド……!?」
マドカは子供の頃、アルプスを舞台にした昔のアニメを観たことがあった。
そこでは暖炉で溶かしたチーズをパンにのせて食べ、干し草の山にシーツを被せてベッドにしていた。
それはとても美味しそうで気持ち良さそうで、幼いマドカの憧れとなっていた。
チーズはさきほど味わって、想像以上の素晴らしさだった。となると、干し草のベッドもさぞや……!
「と……泊まる! あたし、泊まりたい!」
ここが地球なら外泊となってしまうのだが、アストルテアは地球とくらべて時間の流れが遅い。
地球の1日がアストルテアの4日に相当するので、アストルテアで夜を明かして地球に戻っても時計の針は2時間ほどしか進まない。
そのため地球人にとって、特区というのは夢の場所といえた。
金曜日の夜に特区ステーションに行き、常夏の国や雪国に転送、そこで1週間ほどバカンスを楽しんで戻ってくる。
そんな新しいライフスタイルが定着しつつあったのだ。
なかには勉強や仕事のために特区に行く者もいたが、マドカはアルバイトのため。
初めての外泊に、マドカはウキウキであった。
酒場の2階にある客室にVが入ると、隣の部屋からマドカのはしゃぐ声が聞こえる。
「うっひゃぁー! 干し草って超いいにおいーっ! ふかふかで、超きもちいーっ!」
Vも上着を脱いで上半身裸になり、干し草のベッドに身を沈めようとしたのだが……。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
隣室から絹をズタボロにするような絶叫が聞こえてきて、Vは羽織るものも羽織らずにマドカの部屋に飛び込んでいく。
するとマドカが胸に飛び込んできて、いまにも泣きだしそうな上目で訴えてきた。
「ねっ……ねねね……ネズミ! ネズミがいたし!」
震える手で天井を指差すマドカ。そこには梁の上にネズミ一家がいて、挨拶するようにチュッチュと鳴いていた。
「ええ、ネズミくらいはいますよ」
平然と言ってのけるVに、マドカは瞳を猫のようにまんまるにして抗議した。
「そんな、聞いてねーし!? あたし、ネズミ大っ嫌いなの! ガキの時に耳を囓られてからずっと! 同じ空気を吸うのも嫌だしっ!」
一刻も早くこの場を離れたいマドカからグイグイ押されて、ふたりはVの部屋へと移動する。
「あたし、ここで寝る!」
「わかりました。じゃあ私が隣の部屋に……」
しかしマドカは抱きついたまま離れようとはしなかった。
「ダメ、ここにいて。ネズミが出たら追っ払って」
「わかりました。じゃあ、隣の部屋から干し草とシーツを持ってきましょう」
「う……うん……」
Vはてきぱきと干し草を移動させ、シーツを被せてもうひとつベッドをこしらえた。
「それじゃ、おやすみなさい」と告げ、さっさとベッドに横になる。
「う……うん……おやすみ……」
ランタンが消えると、部屋は窓から差し込む月明かりだけのうっすらとした闇が訪れた。
マドカはいまさらなからに、とんでもないことをしてしまったと後悔する。
――よ……よく考えたら……いまあたしは……裸のオジサンといっしょの部屋で寝てる……!
もしVさんが襲いかかってきたら、あたしの力じゃ勝てねーし……!
でもVさんには2度も命を助けてもらってるし、Vさんってイケてっから、少しくらいなら……!
って、なに考えてんのあたし!
マドカは悶々と寝返りを打っていたが、そのうち干し草の香りに包み込まれるようにして眠ってしまった。
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