第11話 灼熱
玄関でマガリーを見送ってから、ギールは少女の元に戻った。
片膝をついて少女の右手を握り、教わった呪文を唱える。
「——
チラリと、ギールの視界で赤い光が瞬いた。
そして次の瞬間——衝撃波と熱波に胸を殴られ、呼吸が止まった。
「ッ……!」
のけぞったギールは咄嗟に身体を捻って体勢を整える。
マットに爪を立てて何とか踏みとどまった。
熱に触れた目が乾いて痛む。その視線が、炎に呑み込まれた少女の姿を捉えた。
「!? な、何がっ……!?」
瞬時に炎に突入し、少女の傍に駆け戻る。
焼けつく痛みに歯を食い縛り、ギールは彼女を抱き起こそうとして——その異様な状況に気づき硬直した。
全身を貫く激痛に汗が噴き出し、視界が明滅する。
それほどまでの焦熱。死が脳裏に灼きつくほどの猛炎。
なのに、自分たちの洋服も皮膚も、少女の真っ白な髪でさえも焦げ始めていない。
熱せられた空気に肺が痛むが、煙はなく呼吸は普通に行えている。
明らかにこれは、普通の炎ではなくて——。
「あ……ぎあっ……あああぁ……!」
「——ッ!」
少女の苦しげな泣き声で、ギールはハッと我に返った。
炎の中心点であるこの子は今、自分と同じかそれ以上の苦痛に襲われているはずだ。耐え難く、意識が砕けかねない壮絶な痛み。
なのに、自分はこの子に何もしてあげられない。
(例え俺が何かしても、全て浄化魔法で排除されてしまう……)
痛みと無力感に噛み締めた奥歯がミシリと軋んだ——そのとき。
少女が涙まみれの顔を、僅かにこちらに向けた。
今まで自発的な動きを一切してこなかった少女が、助けを求めるようにヨロヨロと右手を伸ばしてきた。
ギールは即座にその手を掴む。
少女を抱き起こし、そのまま両腕で包み込んだ。
「頑張れ……頑張れ……!」
ギールが叫ぶと、背中に何かが触れてきた。
それが少女の手だと思い至ると同時、彼女はぎゅうっと抱きついてきた。
細い指が縋るようにギールの背中に食い込む。
その微かな痛みは、灼熱の激痛の中でも確かに感じられた。
ギールには、それがまるで救いを求める声のように思えた。
だからギールも少女を強く抱き締め返す。「独りじゃない」と味方の存在を知らせるために。
「大丈夫。俺がついてるよ」
一瞬、背中に食い込む指の力が弱まった。
そして次の瞬間、少女は烈しく泣きながらより強く抱きついてきた。
感情が剥き出しの泣き声は傀儡化魔法が消えかけている証拠なのだろう。
——あと少しだ。頑張れ。
そんな想いを込めて、ギールは少女の頭を撫でた。
力が入り過ぎないよう、優しく柔らかく。
こんな事しかできないけれど、自分の存在が僅かでもこの子の助けになっている事を祈りながら。
やがて、ふっと身体が楽になった。
目に灼きついていた赤色が薄れ、少しずつ視界に色が戻ってくる。
全身を舐め回していた激痛が遠ざかり、自分の荒い呼吸音と、同じように乱れた少女の泣き声が聞こえた。
少女の様子に目を向ける。彼女は虚脱したように腕を下ろし、ギールの胸に顔を埋めていた。
(終わった、のか……)
そう認識した瞬間。全身の力が急速に抜け、ギールは少女を抱えたまま背中からベッドに倒れ込んだ。
「あぅ」という小さな声が少女から漏れた。
「っ……ごめんね、大丈夫?」
少女の後頭部に問いかけると、彼女は顔を埋めたまま静かに頷いた。
きゅっと、小さな手がギールの服を握り込む。
「……届いて、いました」
透き通るような、綺麗な声が聞こえた。
「温かい、あなたの心。何度も、私を救おうとして下さった優しい心が……」
ギールは僅かに目を見開く。
無意味だと思っていた精神干渉は、しかし彼女にはちゃんと届いていたらしい。
少女が顔を上げて微笑む。至近距離で、涙に濡れた大きな白い瞳に見つめられる。
「助けて下さって、ありがとうございました」
その純粋な感謝の想いに、胸が締めつけられたように痛んだ。
全然、救えてなどいないのに。ギールは痛みを抑え、穏やかな笑みを貼りつけて頷いた。
「君も、よく頑張ったね」
言いながら、少女の頭をポンポンと二回ほど軽く撫でた。
少女は身体を震えさせ、再びギールの胸に顔を埋めてきた。
「あの……もう少し、頭を撫でていてもらえませんか……?」
おずおずと、そうお願いされた。
ギールが言われた通りにすると、やがて少女は声を抑えて泣き始めた。
少女の涙を受け止めながら、ギールは奥歯を噛み締める。
(絶対に悟られてはいけない。十四日後の死の可能性……それだけは、何としてでも隠し通さなければ……)
救われたと信じている、この子の心を守るためには——。
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