57.最期の務め

 高い塀に囲まれた城の中。その中庭には多数の戦傷者達が横たわっていた。その数はざっと100人は下らない。


 いずれも顔面蒼白で息も絶え絶え。患部や吐き出される息からは、濃い紫色のもやが見て取れる。


(毒性は残滓の比ではないわね。早くお救いしなければ)


 闇の魔力は人間からすれば猛毒だ。軽傷であれば傷の治りを悪くする程度だが、これほどの高濃度の魔力に汚染されたとなれば命が危ない。


「状況は?」


 クリストフが中年の騎士と話をし始めた。どうやら彼は現場の指揮官であるようだ。クリストフは無駄なく迅速にこの城の安全性や戦況、運ばれてくる予定の戦傷者の数などを把握していく。


「なら、問題ないな」


「……と、仰いますと?」


「君」


「はっ、はい!」


「至急王都に戻って教皇様に連絡を。シャロンをここに連れてきてくれ」


 クリストフが命じたその相手は、ここまで同行してきたあの青年騎士だった。


「よっ、よろしいのですか? まだ戦闘は続いているとのことですが」


「討伐は済んだと伝えろ」


「うっ、嘘の報告をしろと!?」


「嘘ではない。じきに済む」


 クリストフのアイスブルーの瞳に光が宿った。私が片を付ける。そう言わんばかりの気迫だ。


「ふふっ」


 エレノアの口角が持ち上がる。手元では小さくガッツポーズを決めた。


「……承知しました。しかし、身分の低い私のような者ではまともに取り合っていただけないのでは?」


。手こずるようならこれを見せろ」


 クリストフはそう言ってジャケットの襟部分を弄り出した。何をするのかと思えば、家紋入りの金のブローチを外して――青年に手渡す。


「っ!!? ここっ、こんな大切なもの! お預かり出来ませ――」


「時間がない。さっさと行け」


「……はっ、はい!」


 青年騎士は勢いよく駆け出して行った。転移装置を駆使すれば王都までは1時間程度。クリストフの話が事実であるのなら、シャロンはおそらくは2時間ほどで到着するだろう。


「頼もしいこと」


「責任は君の夫に取ってもらう」


「まぁ?」


「当然だろ。これはヤツの落ち度。ヤツの未熟さが招いたことなのだから」


「これは何とも手厳しい」


 クリストフは鼻で嗤った。彼らしい皮肉混じりな態度に自然と笑みが零れる。


「ですが……お陰で安堵致しました。これで余すことなく患者様をお救いすることが出来そうです」


「…………」


 クリストフは無言のまま向きを変えた。その先には『古代樹の森』へと続く大門がある。


(いよいよお別れですね)


「………感謝する」


「えっ?」


 直後クリストフの姿が消えた。無属性魔法・はやてを使って高速で移動していったのだろう。


(これで良かったのかもしれませんね)


 苦笑しつつ彼が走り去った方に向かって礼をする。


「ありがとうございました。どうかお元気で」


「大丈夫よ。聖光なんてなくたってアタシが何とかするから」


「なりません! 奥様、どうかお戻りください!」


 聞き馴染みのある声。もしやと思い、声の出所を探ると――案の定そこにいたのはエレノアの愛弟子・ミラだった。


 治癒術師の正装である深緑色の軍服姿。薄茶色の長い髪は横結びにしていた。笑顔を振りまきながら戦傷者達の治療にあたっているが、その顔は酷くやつれていて無理をしているのは明白だった。


「ミラ、お止めなさい」


「っ! エレノア様……?」


 驚くミラに笑顔で応える。一方のミラは激しく動揺し出す。


「ちょっ、どうして?」


「これがわたくしの務めですから」


「~~っ、誰よ!? 誰がエレノア様をこんなところ、に――っぐ」


「奥様!!」


「ミラ様!!」


 ミラはしゃがみ込んでしまった。口元を押さえている。つわりだ。聞いていた通りかなり悪いようだ。


「体に障ります。どなたかミラをベッドへ」


「ダメです。ダメ……っ、そんな体で魔法なんて使ったりしたら」


「見届けるのだ、ミラ」


「お義父様……」


 老人が現れた。車椅子に乗っている。肩と膝には深緑色の長いブランケットをかけていた。


 彼の名はハーヴィー・フォーサイス。元勇者で、ここ城塞都市ウィンドルの領主だ。豊かなグレイのオールバック、口と顎には立派なひげを蓄えている。


「お前は語り部となるのだ。後世に……ユーリに、ルーベンに伝えてあげなさい。聖女・エレノアの生き様を」


 ミラは頬を、肩を震わせる。首を左右に振りかけて――止めた。エレノアの目を見たことで。どれだけ言葉を尽くしたところで彼女の意志を変えることは出来ない。そう悟ったのだろう。


「…………」


 エレノアは若葉色のドレスの裾を摘まんでカーテシーをした。二人に向かって。感謝の思いを込めて。


「一つ、お願いがあります」


「何でも言ってくれ」


 エレノアは微笑みを浮かべつつ声を潜める。


「もしもわたくしが倒れるようなことがあったら、その時は皆様に大事ないとお伝えいただけますか? その上でお城に運んでいただけると大変有難いのですが」


「心得た」


 ハーヴィーは自身の背後に立つ従者の男性に目配せをした。男性は一礼した後に、周囲にいる治癒術師達に指示を出していく。


 準備は整った。これなら勇士達に死を悟られることはない。『光の勝利』に影を落とすことはないだろう。


(あとは……きっとお兄様が。上手くやってくれるわよね)


 現国王派のブレーン・ミシェルの姿を思い浮かべながら、エレノアは広場の中央へ。勇士達がエレノアの存在に気付き始める。


「あの方は聖女・エレノア様では……?」


「何と! こいつはありがたい!」


「助かった。~~っ、助かるぞ、みんな!!」


 傷病者達の瞳に希望の光が灯っていく。各々が帰りたい場所。自分達を待つ掛け替えのない存在を思い浮かべているのだろう。


(ユーリ、エル……)


 エレノアは首を左右に振った。浮かびかけたエゴをそっと覆い隠す。


「お待たせしました。治療を開始致します」


 歓声が飛ぶ中でエレノアは静かに目を閉じた。両手を組むとオーロラを思わせるような虹色の光が広がり出す。


「……っ」


 魂をべていく。一日、二日、一カ月、二か月……。寿命が削られていくのを肌で感じた。けれど、構わず続けていく。一人でも多くの患者を救うために。


「きれい……」


 誰かが呟いた。見上げれば彩雲のような光の集合体から光の粒が舞い落ちてきている。さながら粉雪のようだ。


「ああ……っ」


「おぉ!」


 それらの光を受けるなり、勇士達の体に変化が現れ始めた。紫色の靄は薄れ、息遣いも穏やかに。顔色も良くなり、笑顔も見られるようになった。


「……良かった」


 エレノアはほっと息をついた。それと同時に膝に力が入らなくなる。


「あっ……」


「聖女様、お気を確かに」


 視界が傾いたのと同時に抱き留められた。近くにいた治癒術師の女性が支えてくれたようだ。周囲がどよめき出すが、手筈通りエレノアの無事が伝えられ城へと運ばれる。


 エレノアが城にいる旨は、現場にいる治癒術師や勇士達に広く伝えられた。間に合うかは分からないが、いずれやって来るであろうユーリにもきっと届くだろう。


「ご協力に感謝致します。治療は……もう結構です」


 ベッドに寝かせられたエレノアは開口一番にそう告げた。治癒術師達はかなり困惑した様子で顔を見合わせる。


「しかし――」


「どうかお早く患者様のもとへ。まだ治療を必要とされているはずです」


「聖女様……」


「それと……あと1時間ほどで王都から聖女・シャロン様がいらっしゃいます。重ねてお手数をおかけしますが、サポートをしてあげてください」


 治癒術師達は押し黙る。膠着こうちゃく状態が続く――かのように思われたが、先陣を切るようにして一人の男性が。それに続いて残りの治癒術師達も部屋を後にしていく。


 フォーサイスの従者達にも、「少し休みたいから」と伝えて一人にしてもらった。


「……これで一安心ね……」


 エレノアは小さく息をついた。そして、ゆっくりと手を動かして紺色の巾着袋へ。中から一枚のハンカチを取り出して――胸に抱いた。


 真っ白なリネンで織られたそのハンカチの端にはクリーム色の糸で『Y』と刺繍され、その周囲はハルジオンの花で囲われている。


 メイドのアンナに作ってもらったブライダルハンカチだ。揃いの『E』の文字が刺繍されたハンカチはユーリが持っている。今もきっと。肌身離さずに。


「……?」


 不意に温もりを感じた。見ればミラがエレノアの手を握っている。


「ごめんなさい、アタシで」


「そんなことない。とっても嬉しいわ」


 ミラは笑う。濃緑の瞳に涙をいっぱいに溜めて。


「エレノア様……本当にご立派でした。ちゃんと、ちゃんと伝えますから」


「ありがとう……」


 眠くなってきた。意識がかすんでいく。もう時間がない。


「……っ、ユーリのバカ、早く……早く来なさいよ」


 ミラは祈るようにしてエレノアの手を握る。彼女の手は震えていた。カタカタと小刻みに。


(ユーリ……。そうね。……叶うことなら最期にもう一度だけ。幻でもいいわ。貴方に会いたい)


 握られた方の手はそのままに、もう片方の手でハンカチを握った。


「ゆー、り……」


 切に願う。最期の奇跡を信じて。


「エラ!!!!」


 閉じかけたまぶたが持ち上がる。霞む意識の中でその姿を探す。いた。ユーリがこちらに向かって駆けてくる。彼の白い軍服は所々血で赤く染まっていた。



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