最期の仕事

 お互い沈黙が続く。ユグルは部下に死ぬことは禁じている。つまりホーノンは命令違反をしていることとなる。これはいけない。


 沈黙に耐えかねたのか、この場の人間に少し席を外すようにホーノンは言った。


「この方が話しやすいでしょう。魔王様…なんとお呼びしましょうか」


「ユグルと呼んでくれ」


「ユグドラシルからとったのですかな? あの神話はよく読んだものです。ユグル」


「様はどうした様は。モミノと同じことをしているぞ」


「おやおや、既出だったようですね。もう少し捻った返しにするべきでした」


 どいつもこいつも我の部下はどうしてこうなのか。一つボケないと死ぬ体なのかもしれない。


 しかしこのような会話も懐かしい。早くユグドラシルの元に行きたいものだ。


「ユグル様。少し今までの話でもしたいものですな。しかし残された時間は少ない。手短にいきましょう」


 ホーノンは目で見てわかるほど顔色が悪い。いや、しかし病人に無理をさせるわけにはいかない。ここは大人しく引いた方がよいか。


「すまん。ホーノンそろそろ帰ろうかと」


「お待ちください。何百年も待っていた老人をお捨てなさるのか。わしは泣いてしまいそうですぞ」


 魔王は同情に弱い。このように言われたら話をするしかなくなってしまったではないか。確かに数百年ぶりに会ったのに挨拶だけでは味気ない。


「さあどうぞ椅子に」


「はぁー⋯恩のあるホーノンの頼みだ。話そう」


「ありがとうございます」


 我も少しホーノンがどう過ごしていたのか気になる。300年もの間どこで、何をしていたのか。


「まずわしが200年孤独に山で引きこもっていた時の話ですが、いや、280年だったか? ある少年がわしの小屋まで来たのです」


 いきなり時間が200年も飛んだことに困惑する。しかしホーノンが珍しく楽しそうに話しているのだ。いつも顔に鉄仮面でも張り付いていたかのようなホーノンが、まるで孫でもできたかのように話すのだ。そもそも息子すらいないのだが。


「人除けの呪文を掛けていたのですがなぁ。劣化していたか、壊されてしまったのです。最初は殺してしまおうかと思いましたが、何故か魔法の教えを乞うてくるのです。最初は嫌々だったんですが、これが中々面白いのです。ユグル様もどうですか?」


「ど、どうといわれても」


 思わぬ言葉にまた困惑してしまう。魔族の指導はしたことがあるが人間の指導はしたことがない。そもそも魔族と人間とは体のつくりから違う。一体何から教えればいいのやら。


「教えれば教えるほど伸びていきましてなぁ。面白くなってつい…あの時の人間の老兵くらいにはなったと思います」


 あの時代の老兵は強い。一度の大戦を乗り越えた、実践経験の豊富な戦士達だ。人間より能力的にはるかに勝っている魔族を単騎で殺すこともできた。それを作るなんて恐ろしいものだ。


「実践経験は少ないですが、あの時代でも運が良ければ生き残れるでしょうな。それがさっきユグル様が会った青年でございます」


「あの若さでか。傑作を作ったものだ」


 ユグルは感心したようにそう言った。ここでホーノンはそばにあった水を飲む。無理もない。病人があんなに喋ったのだ。


「ふぅ。そうだ、頼みたいことです。わしはもうじき死にます。その時にわしの魔石を跡形も燃やして欲しいのです」


 その言葉が聞こえた瞬間、場の空気が一変する。ずっと黙っていたモミノでさえも殺気立つ。魔石とは魔族の心臓に部分にある石のことだ。透き通るような青色であり、その見た目から魔族の宝石と呼ばれることもある。


「正気ですか。ホーノン様。痴呆ではなくて?」


「お前は狂っている」


 魔石とは魔族の誇りであり、象徴なのだ。一般的に、死んだ魔族は自分の生まれ育った場所に自分の魔石を埋めてもらうように頼む。魔石は植物の良い栄養源になる。生まれ育った土地への感謝とさらなる発展を願うのだ。それが魔族としての最期の仕事となる。


「生まれ育った土地はもうありません。わざわざ慕ってくれている弟子に正体を明かすことはしたくありませぬ。魔族だと幻滅されたくはありませぬ。一生のお願いでございます」


 ここまで言われては断るものも断れない。弟子には正体は隠しておきたい気持ちは良くわかる。しかし誇りも何もかも、たかが人間如きのために捨て去るとは…


「本音を言うとやりたくはないのだがな。しかし恩のあるホーノンからの頼みだ。断れるわけないだろう」


 それを聞くとホーノンはホッと一息を吐き、そばに置いてあった水を飲み干す。


「安心しました。感謝致します」


「…治らないのか?」


「治らないですなぁ。寿命です」


 ホーノンは300年…いや500年以上生きた大魔族だ。死期くらいは分かるだろう。しかし良かったのかもしれない。死後の世界での仲間が一人増えるのだ。


「もう一つお願いがございます。ユグル様…教師をやってみませんか?」


「はぁ?」


 想像していなかった言葉に、思わず素っ頓狂な声が出る。そもそも人間と敵対していた魔族が人間に教えるというのも変な話である。


「できない。そもそも我は自害するつもりだ。もうこの世にいる意味もないのでな」


 ホーノンはそれを聞き、何か決心したように頷く。


「弟子のために、ユグル様を…私が2番目に信頼している魔族を贈りたい。それだけなのです。ユグル様今から言うのは呪いの言葉。どうか怨んでください」


 ホーノンは本気なのだな。人間のためだけに魔王すら犠牲にするとは。しかしそこから先の話は聞きたくない。その言葉は我を縛る言葉だ。ようやく解放されるとおもったが…

 ユグルは何も聞かないよう手で耳を覆う。


「無駄ですよ。ユグル様…いったい何人の魔族があなたに生きてほしいと言いましたか?」


 やめろ聴きたくない。


「いったい何人の魔族があなたを守りましたか?」


 やめろやめろ!


「いったい幾つの魔石の上にあなたは立っていますか」


 ガタンと椅子を倒す音がする。横を見ると鬼のような顔をしたモミノが立っていた。ナイフを片手に持ちホーノンの首元に当てる。


「何を言っている! それが…それが幹部のやることか!!」


 ホーノンの首から血が滴り、白いシーツを赤く染める。ホーノンはユグルにお前のために死んでいった魔族の分まで生きろというのだ。それがユグルを縛ることになると知っていながら。


「ごほっ…ユグル様。あなたはどうしますか?」


「随分…弟子に肩入れしているようだな」


「わが子のように」


「わかった…」

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