(4)

「ふう……」


 台風一過で涼しくなってくれればいいんだが、地球温暖化のせいなのかまだまだ残暑が厳しい。孫娘の愛理あいりがまだゼロ歳児だから本当なら空調が効く家で話し合いをしたかったんだが、家に上げると由仁にそのまま託児所認定されてしまう恐れがある。ファミレスとかだと第三者の目があるから突っ込んだ話がしにくい。まだ暑いのに野原に呼び出すのは、苦渋の選択なんだ。

 だが由仁にはそういう俺の心情がまるっきり見えていないだろう。電話で野原に出てこいと言った時の反応は、もろに塩だった。ああ、めんどくさ。せっかくの休みになんで遠出しないとならないわけ? まあ、そう言うだろうなと予想はしていた。だから、強く念を押した。


「俺の呼び出しを無視するなら、今後実家と陽花の家への出入りを一切拒否する。縁切りだと思ってもらってかまわない」


 ごちゃごちゃ説明せず、それだけ言い放って一方的に電話を切った。由仁にああだこうだと屁理屈をこねられると、あいつのペースにはまってずるずるいっちまう。それだけは避けなければならない。

 なんだかんだであいつの言い分を通させてきた俺の甘さが、世の中ちょろいという由仁の傲慢な態度を増長させてしまった。ああなった一因は俺にある。それなら俺の方からきちんと限界線を示さないと、何も変わらないし変えられない。

 それでも。俺はあいつが来るかどうかは五分五分だと思っていた。俺が激怒しても怒りは持続しない……そんな風にたかをくくられる可能性もあったからだ。


 日曜の午後。晴れているものの薄雲がひっきりなしにかかって日差しを和らげ、懸念していたよりはしのぎやすい。もう少し風があればなあと思いつつ、牧柵に寄りかかってぼーっと野原を眺めていたら。聞き慣れたエンジン音が徐々に近づいてきた。由仁が乗っているのは年式の古いおんぼろ軽で、エンジンが非力だから坂を登らせるとすぐにぜいぜい息をつく。一般路上ならともかく、坂の上にある野原で待っているとすぐにわかる。

 由仁にここまで来させることができたのだから、最初のハードルはクリアしたと……思ったんだが。甘かった。俺の車の横に止まった赤い軽から出て来たのは。


 由仁のダンナの敬士たかしさんだけだった。


◇ ◇ ◇


「すまんね。わざわざ来てもらって」

「いいえ。あの……ゆーちゃんは……あの」


 普段ぼーっとしている俺が激怒したのを見て、敬士さんが真っ青になっている。


「いいよ。大事な話があると言っておいたのに、つらっと無視したんだ。あいつにはしょせんその程度のことなんだろう。由仁に言っておいてくれ。親子の縁を切るってな」

「そ、それは!」

「一度痛い目に遭わないと、あいつは一生人迷惑なちゃっかり屋のままだ。親子と言っても、一個の人間同士なんだよ。人の信用や信頼を軽視するなら、自分の信用も地に堕ちるんだ。自分の身で思い知りやがれ!」


 がっかりした。どうしようもなくがっかりだ。章子がいれば俺らをとりなしたかもしれないが、もう章子はいない。俺の怒りを棚上げしておく場所がどこにもない。腹立ちまぎれに牧柵に一つ蹴りを入れ、それからさっと車に向かった。


「もう、私からはなんの連絡もしない。そちらからの連絡は着禁にする」


 孫を預かる預からない以前の問題だ。親子の信頼関係を一方的に踏みにじるなら、俺にも覚悟がある。もう嫁に行った娘だ。親としての義務はすでに果たした。あとは自分たちで勝手にやってくれ! 俺は知らん!


「お、お義父さん、ちょっと待ってください。話を……聞いてください」


 血相を変えて俺の前に回り込んだ敬士さんが、俺の足元に座り込むなり土下座した。


「申し訳ありません」

「いや、君に謝られてもどうしようもないよ。私が心底がっかりしているのは由仁の態度に対してだから」

「あの……」


 正座したままおずおず顔を上げた敬士さんが、言いにくそうに事情説明を始めた。


「ゆーちゃん。会社を……突然クビになっちゃって」

「当然だろ。あんなのを野放しにさせてくれる会社なんかどこ探したってない。時間の問題だと思ってたよ」

「……」

「世の中、いくらかアンバランスがあっても、やっぱりギブアンドテイクなんだよ。そして、ギブが先にないとテイクはできない」

「は……い」

「あいつはいつもテイクから先に入ろうとする。それじゃ、ひたすら敵を作るだけさ。どこで何をしようとしても絶対にうまくいかない」


 由仁の一番の欠点は、勘違いがいつまで経っても是正できないことだ。もらうものだけ先取りして、あとで返す? そんなのは、ちゃっかりじゃなく略奪だよ。でも、由仁の中ではいつもギブとテイクがバランスしてる。ギブのタイミングを逸すれば返す意味が失われてしまうのに、それをずっと軽視したまま。


「もう成人しているんだ。仕事のことも愛理の世話も、自分の尻は自分で拭け。そう言っといてくれ。それと」

「……はい」

「親子だってギブアンドテイクなんだよ。これまで、私から与えられるものはずっと由仁に与えてきたつもりだ。見返りをよこせというつもりはないが、与えられるものももうない」


 振り返って、いつまでも変わらない野原を恨めしげに睨む。


「親父が死に、章子が死に、お袋は施設に行った。失ってばかりの私に、何が与えられると言うんだ!」


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