第七話 生い茂る

(1)

 梅雨明け十日とはよく言ったもので、連日のかんかん照り。毎日うんざりするほど暑い。ウイークデイは外に出ないってわけにいかないから、休日くらいはエアコンの効いた自室でのんびりしていたいんだが、今日はくっそ暑いにもかかわらず永遠の野原に来ている。無風。汗がとめどなく吹き出してくる。

 元気なのは草だけだな。梅雨が明けたばかりでまだ土が十分湿っているから、野原の草はどこまでも繁り放題だ。牧柵もロープもちんちんに熱くなっているので、うかつに触れない。夏雲がかかって少しでも日差しを抑えてくれないかなと思いながら、熱でぼやけているマットな青空を恨めしげに見上げる。


 当たり前だが、こんな暑い中で整備作業をしようものならあっという間に熱中症の餌食になる。今日は整備とは別の用事があってここまで足を伸ばした。俺一人ではなく、陽花の一人娘である姪の有美ちゃんと一緒に。さすがにまだ赤ん坊のこのかちゃんは連れてこれないので、陽花に預けてある。有美ちゃんは不服だろうけど、仕方ないよ。

 体裁的には話し合いということになっている。話し合いならもっと快適なところでやりゃあいいのにと言われるかもしれないが、すぐに激昂して手足口が好き勝手に暴動を起こす有美ちゃんと閉鎖空間で話なぞできるわけがない。この時期快適さとは無縁の野原に連れてきたのには、そういう事情があった。

 有美ちゃんだって、子供の頃はここで遊んでたんだ。まるっきり知らない場所ではない。開放空間なら声も動きも第三者から丸見えだ。人目が気になる分いくらか抑止効果を期待できるだろう。暑くて長居できないから、話も短時間で終わるはず。俺の車に乗せてきたので、ぶち切れて即帰るという事態も考えなくていい。

 話し合いの場所としては最悪に見えるが、なんらかオチをつけなければならないならこれ以上の適地はない。とは言え、どうにも暑い。


「あづー」


◇ ◇ ◇


 それは、梅雨前線が太平洋高気圧に尻をかじられ退却を余儀なくされようとしていた先週月曜のこと。やけくそのようにどうどうと音を立てて梅雨末期の大雨が降り注ぎ、仕事が先送りになってどんどん積み上がっていく。

 積み上がっていくのは仕事だけでなく洗濯物も、だ。章子が生きている時は家事を全て章子に任せてきたから、俺は快適だった。だが全部自分でするようになって、鈍くさい俺の悪い面が爆裂した。面倒なのでつい洗濯物を溜めてしまい、週末はリビングが満艦飾になるんだ。どれほどエアコンをドライでフル回転させても生乾きになり、部屋干し臭がデフォルトになってしまった。その臭さは、洗剤を換えれば云々というレベルではなかった。

 洗濯の不快感がピークに達するのは、言わずと知れた梅雨時。雑巾臭だけでなくカビまで生えてくるようじゃ、着られるものがなくなって仕事に差し障る。仕方なく洗濯後にコインランドリーの乾燥機を使うことにしたんだが、洗濯物を大量に抱えて右往左往するのはいかに俺が鈍感だと言っても恥ずかしい。やれやれやっと梅雨が明けたと思ったら、今度は汗をたっぷり含んだ洗濯物の山が押し寄せる。

 この年になって洗濯物とがっぷり四つ相撲を取るはめになるなんてと次元の低い理由でメンタルだだ下がりだったところに、すでにメンタル崩壊していた陽花からエスオーエスがぶっ飛んできたんだ。泣きっ面に蜂とはこのことだよ。勘弁してくれ。


 だが、なんでも抱え込んで最後に自爆する陽花が珍しく白旗をはっきり振ったんだ。その救難信号を無視するわけにはいかない。これまで兄貴らしいことは何もしてこなかったから、できる限り手を貸してやりたいんだが。力及ばずになりそうな予感がひしひしとする。そりゃそうだよ。有美ちゃんを説得してくれだって? ミツユビナマケモノがベンガルトラを説得するようなものじゃないか。そんなのできるわけないって。はあ……。


◇ ◇ ◇


 そもそも。有美ちゃんは、だらしない母親を見限って独立したがっていたんだ。その有美ちゃんを引き止め続けた陽花自身が招いた事態なんだよ。

 生き方に芯がなく、いい年こいていつまでもふらふらしている。仕事にも私生活にも計画性がなくて、常に場当たり。すぐオトコに媚びへつらっては放り出され、しかも頼りになる同性の友人が誰もいない。態度が悪いわけではないものの、誰にも本音を見せないんじゃ男女関係なく表面的な付き合い以上に発展しないよ。

 性懲り無く同じへまを繰り返す陽花は、結局どこにも居場所を見つけられず、最後は娘の有美ちゃんに逃げ込んでしまう。今までずっとその繰り返しだったらしい。逃げ込む陽花はいいさ。でも本来娘を庇護してくれるはずの母親が娘の背中の後ろに隠れてしまうなんて、有美ちゃんにしてみればたまったもんじゃない。家を出たいという欲求や衝動が湧き上がるのは当然だと思う。


 ただ、有美ちゃんも『ザンネンな人』という点では陽花と五十歩百歩だ。陽花は自分を隠しすぎるが、有美ちゃんは出しすぎる。主義主張をはっきり宣言しておくのはいいことだと思うよ。でも、万人が自分の主張を受け入れてくれるとは限らない。接点ができないからと人をばっさばっさ切り捨てていったら、孤立するのなんか当たり前だ。

 母親のことをぐだぐだでしょうもないとこき下ろしておきながら、結局自分の居場所をどこにも作れずに家に逃げ帰る。それは……有美ちゃんが心底嫌っている母親のぐだぐだと何も変わらない。有美ちゃんがどんな言い訳をしようと変わらない。まさに同じ穴のむじなだ。性格は正反対でも、社会にうまく適応できずにすぐ孤立する似た者親子だと思う。俺の息子や娘もしょうがないやつらなんだが、親から独立して暮らしているだけまだましなのかもしれない。


 それでも。もし有美ちゃんのオーダーが「家を出たい」ということであれば、それは大いに結構。俺としては有美ちゃんの背中を押したい。もう三十過ぎなんだよ。自立は当然だと思うし、先々のことを考えればその方がいいと思う。だが、有美ちゃんのオーダーは陽花にとってだけでなく、俺にとっても斜め上の代物だった。


「ママが出て行って」


 うーん……。

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