第五話 草光る
(1)
「ひいひいひい……」
汗だくで、牧柵に倒れかかる。腕も腰も容赦無く悲鳴をあげている。甘かった。甘く見ていた。こりゃあ予想以上の重労働だわ。自宅の狭い庭の手入れとは次元が違う。やっぱり一町歩のぐるりを刈り払うのはとんでもない作業量だ。
刈り払うと言っても、草はまだそれほど伸びていない。どこから種が飛んでくるのか知らないが、勝手に生えてくる雑木が征伐の対象だ。これがまた。背が伸びてくるまではどこに潜んでいるのかわからないくせに、勢いがつくと好き放題に暴れ始める。一度太くなってしまうと、どれほど刈り払っても新しい枝が株元からわんさか生えるので始末に負えない。まさに不死身のモンスターだ。シルバーセンターへの整備作業委託が不調になったのは、ひとえにこの雑木征伐の負担増が原因だろう。頭が痛い。
せっかくのんびりできる連休中にずいぶんと不毛な時間の使い方をしていると思うが、通常の週末を野原の整備に潰されてしまうよりはましだと割り切るしかない。もっとも、ここに来なければ家でごろごろしているだけだからな。第三者には、ここで過ごす方がよほど有益な時間の使い方をしているように見えるだろう。
汗が少し引いたところで、手鋸で伐り払った雑木をまとめて麻縄でざっと縛り、とっつき近くにまとめて置く。最終的には野原の一画に積むつもりだ。量的にはまだそれほど多くない。野原が俺の自宅に突き返すにしても、どこかに退かすにしてもそれほどの騒動にはならないだろう。
「この前の実験は、ちょっと中途半端だったよなあ」
そう、拾ったゴミの行く末がどうなるかを確かめようと思って、ゴミをまとめた袋を野原に置いたものの結局行き先不明になっちゃったんだよな。少なくとも俺の家には返却されなかった。野原がゴミを放棄したやつの家に戻したのか、知らない場所に持っていったのか、わからないんだよ。
だから、今回は追試ってことになる。今伐採している雑木は野原の中にはない。中に入れれば動かされるはずだ。土地の所有者は俺だから、伐った雑木の所有者も俺ということになる。野原が余計なことをするなと怒ったなら、雑木は俺の自宅に突き返されるだろう。そうならず、行方不明になったならまた追試が必要になる。
ただ、なんとなくだけど行方不明になりそうな気がするんだよな。穂坂さんが部材や工具を運び込んだ時とよく似ているからだ。野原を穢す行為に悪意が伴うかどうかで結果が違っているような……。まだ憶測でしかないけど、出来ることはやってみて判断材料を増やさないと身動きが取れない。効率はよくないが、急ぎでやっつける必要はないんだ。ぼちぼち確かめていこう。
鈍痛を覚え始めた腰をとんとんと叩いてから牧柵に寄りかかり、ペットボトルの緑茶を一気飲みする。今日は薄曇りだからまだいいが、かんかん照りになったら重労働なんてもんじゃなくなる。拷問だろう。
「どうしたもんかなあ」
シルバーセンターじゃなくて業者に頼むとなると、一気に費用が跳ね上がってしまう。俺が大金持ちっていうならともかく、ごく普通のサラリーマンだからなあ。かと言って、自分でやれるのはせいぜい数年だろう。今でもひいひい言ってるのに、これで草刈りやゴミ処理までトッピングされたらどう考えても身体が保たない。
ふと、親父はどうしてたんだろうと思い返す。俺らがまだ子供の頃は穂坂さんが元気だったから、一緒に整備をしていたのかもしれないけど。親父一人になってからどうしていたのかは、親父たちと同居していない俺や陽花にはわからないんだよな。親父の存命中にもっときちんと引き継ぎしとくんだったと、今更ながら後悔する。
「そういや、牟田さんはどうすることにしたんだろう」
よほどばつが悪かったのか、あのあと牟田さんは俺にアクセスしてこなくなった。挨拶も仕事の話も普通にするので、俺を無視しているわけじゃないんだけど。向こうから話しかけて来ないし、いつもの好奇心爆裂も完全に押さえ込んでしまっている。
カレシ絡みの話なら、自分自身だけでなく親やじいさんにも絡む。きっと悩んでいるんだろうな。それでも仕事はてきぱきこなしているというのが、鈍な俺と違うところだ。なんとも羨ましい。
「ふう……」
首にかけたタオルで額の汗を拭き、ゆっくり野原を見渡す。相変わらず虫や鳥の気配が少ない。だから生き物の賑やかさがないのはわかるんだが……。眼下の住宅街も静かなんだ。連休ならもっと住宅街ががやついていると思ったのにな。見かける子供の数も少ないし、いつも以上にひっそりしている印象だ。旅行に出かける人はさっさと家を離れてるんだろうし、年寄りは連休だけでなく毎日が日曜日。連休だからとあえてうろうろすることはないのかもな。
それにしても。庭いじりをしている人の姿がない。そのせいか、あちこちの庭が茂った木で塞がりつつある。空き家になっているか、年寄りには手入れがきついと放置されているんだろう。うちの庭には木ものがないが、あったら大変だった。よく考えないとだめだな。植えてなくたって勝手にばんばん生えてくるんだ。自然の力ってのは恐ろしいね。俺にはとても太刀打ちできないよ。
まだ二割も刈り払いが終わっていない外周のもさもさを見渡して、うんざりしながらでかい溜息をつきまくっていた。
「はああああっ……こりゃあ先は長いなー」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます