第2話【第一章】
【第一章】
同日、プラネタリウム爆破事件から三時間後。
老朽化した臨海副都心沿岸部。一台のパトカーが、湾の内側に沿って爆走していた。
パトランプもサイレンもフル稼働させ、前方の車両をどんどん抜き去っていく。
パトカーから発せられるのは、尋常ならざるオーラ。殺気じみたその感覚は、自動運転の発するものではない。周囲の一般車両が追い散らされていく。
きっとまた人型ロボットによる案件なのだろうな。毎度無茶苦茶やりやがる。
そんな苛立ちを振り払うように、ハンドルを握る女性は助手席を一瞥した。
「……まったく呑気なもんだな」
女性の視線の先にいたのは、彼女よりもずっと若い男性だった。ぐったりとこうべを垂れて、揺られるがままになっている。
親と子ほどの歳の差があるこの二人。だが、彼らの所属は同じ建築物の同じ階層にある。
その所属先の部署を『対人型労働機械監督係』という。警視庁の外郭組織だ。が、誰もそんな長い名前は使わない。『ジンロウ部隊』と呼んでいる。
「ウチの部署がこんなに忙しくなるとは、世も末か」
発足当初、この組織の活躍の場は、警視庁庁舎内に限られたものだった。現場状況から推定されるデータを待機中の警官や機動隊員に開示する、いわば中継ぎ役である。
しかしながら、その任務は既に庁内の別な組織に明け渡されてしまっている。
加えて独自の捜査権は、日に日に取り上げられつつあるところ。他の部署に予算を回すためだろう。
挙句、自分たちの存在意義を問われることもしばしばだ。
こんな部署に体よく左遷されてしまうとは。
我が身を振り返り、運転席に座る女性、咲良蓮は深い溜息をついた。しかし、現在の立場を捨てようとは思わない。
度胸、根性、執念。そんな観念的な言葉で、胸中で燻る現象を収めようとする。上手くいったためしはないのだが。
そんな得体のしれない感情のせいで、直属の上官である羽場敏光には、毎度大変な迷惑をかけてしまっている。そのくらい、咲良だって自覚している。
現在の階級は、咲良が警部補、羽場が警視。自分はまだしも、羽場の顔に泥を塗るわけにもいかない。
そして、今回の自分のバディはといえば。
ぎろりと鋭い眼球で、ヘッドライトの描き出すアスファルトをじっと見つめている。
確か、桐生賢治といったか。階級は巡査部長。まだ若いのに、ご苦労なことだ。
片手で煙草のパックを引き出しながら、咲良は紙煙草に口をつけた。
ふうっ、と息をつく。すると紫煙の向こう側に、今まで出会ってきた人々の顔が浮かび上がってきた。
いや、本当に出会ったのだろうか。訓練の一環として殺してしまったのではなかろうか。
「そんな――」
そう呟いて、咲良はゆっくりとかぶりを振った。
これでは駄目だ。任務の直前だというのに、何を恐れているというのか。
これでは、自身や味方を守れない。雑念は捨てなければ。
「疲れているのか、あたしは」
携帯灰皿に吸殻を落としつつ、咲良は呟く。眉間に手を遣って、ぐっと額に力を加えた。
まあいい。それよりも、今日は随分と遅くなってしまった。それが問題だ。
さっさと片づけて帰宅しよう。視線を正面に戻しながら、咲良は視線を前方に戻した。
※
「おい。桐生」
「……」
「起きろ、桐生巡査部長」
「む~……」
「起きろと言っとるだろうが! とっとと立つんだ、桐生賢治・巡査部長!!」
「はっ!」
凄まじい怒声に揺さぶられ、桐生は座ったまま跳ね飛んだ。
「おっ、おおお、おはようございます、咲良警部補!」
跳躍しながら体勢を整えて、桐生はストッ、と着地した。まるでオリンピックの体操選手のようだ。
「現場到着だ。さっさと準備しろ」
「は、はッ!」
やる気はあるんだ。桐生は自分に言い聞かせた。綺麗に敬礼をきめて、前方をじっと見つめながら腰を戻す。
運転席に上半身を突っ込んで、座席の下にある引き出し状のユニットを引き開ける。そこには手錠や拳銃、弾倉がいくつか、加えて関節用のプロテクターなどが搭載されていた。
それらを一瞥した桐生は、しかし一瞬で青ざめた。
「これだけ装備していくってことは……この現場、かなりヤバいってことっすか?」
素っ頓狂な声を上げ、桐生は身体は臀部から跳ね上がった。無事着地。
それから、あわあわと口に手を当てて周囲を見回した。
桐生は、刑事としては随分と小柄な体躯をしている。さっぱりで飾りっ気のない髪をしており、純粋無垢で親しみやすい人物だ。
彼に自覚がないだけで、ファンになる女性刑事も多いらしい。
彼のつぶらな瞳は、未婚女性には毒だ。そう考える人間は咲良一人ではない。
「桐生、何をやってる? さっきの無線は聞いていたな?」
「へ? あー、まあ……」
聞いてなかったのかよ。
そう言って肩を落とす咲良と、ようやく緊張感を抱き始めた桐生。同じ組織内では、よく目にされる光景である。
もっともこの部署の構成員、すなわちプロフェッショナルと言えるのは三人しかいないのだが。
自分たちの存在目的。それは、大型マシンの行動パターンや危険生物の特徴を捕捉し、駆逐することだ。
現場に咲良と桐生が出張っているということは、残る椅子は一つだけ。研究担当の人物は、嬉々としてこの環境に見入っているに違いない。
その研究担当の残り一名、というのが気になったが、そればかりを考えていては反射神経が鈍るかもしれない。少なくとも、咲良ならそう考えるだろう。
と、桐生はようやく結論を出した。
「ん……」
「別動隊が始めたな。血の気の多いこった」
咲良は歯を剥き出しにして、ふっと短く深呼吸。肩を上下させる。
一方の小原は小原で、目を瞑って神経を尖らせている。それからすっと拳銃を掲げた。冷静であるようにと自分に言い聞かせる。
咲良はこう思った。桐生も本気のようだし、なんなら、二人で先陣を切ってやろうか。それとも本隊が動き出すのに紛れて接敵しようか。
その時、ここにいないはずの人間の声が割って入ってきた。イヤホンに手を遣り、一語一句聞き逃すまいとする。
《あら、誰かと思えば咲良ちゃん!》
「ああそうだ。その呼び方を許しているのはお前だけだがな」
しかめっ面をしながら、咲良は声を絞り出した。
現在二人が立っているのは、埋め立て地に隣接した大型ンビナート区画。といっても、廃棄されてから随分と経っている。
「よっし!」
桐生は自分の頬を掌で叩きながら、浅い呼吸を一つ。
それから拳銃を抜き、両手で構えて戦闘体勢を取った。弾倉を確認し、セーフティを解除。
通報のあった廃工場を前にして、パトカーは停車した。
正面玄関から、第一班がじりじりと踏み入っていく。工場の壁面は酷く腐食しており、奇妙な悪臭がどこからともかく漂ってきている。
「まあ、幽琳さんだったら教えてくれるよな……」
「ん? どうした?」
「い、いえ、なんでも――」
桐生が、幽琳という人物について言及しようとした時だった。この場の警官隊、機動隊に、臨時指揮所より命令が下された。
《目標現出! 繰り返す、目標現出! 第一班、射撃開始!》
《了解、射撃を開始する! 第二、三班、援護体制を取れ!》
《二班、了解。目標位置の左翼に展開する》
《三班、了解。対物グレネードランチャーの使用許可を請う》
ぱぱぱぱっ、と眩い白光が飛散。直後に少し遅れて、発砲音、爆発音が連続する。夜の月光でシルエットを縁取りながら、化け物はのっそりと起き上がった。
「うわっ! 始まった!」
「馬鹿! だから早く準備しろと言ってるんだ!」
「す、すみません、咲良警部補!」
「名前に階級をつけるのは、本庁に帰ってからでいい! とにかくさっさと弾丸を込めろ! 銃口はあたしと同じ方向に向けておけ!」
「りょ、了解!」
再び咲良の怒声を浴びながら、桐生は拳銃を翳した。二十二口径のオートマチックだ。弾丸は研究班、すなわち幽琳の渾身の作で、敵の種類によって使い分ける。
今、ここにいる人間たちが使用しているのは、生体器官を溶解させるタイプ。すなわち、異形の生命体を駆逐する弾丸だ。
表皮に撃ち込めれば威力は絶大だが、鱗や硬度の高い表皮には弾かれることが多い。
咲良と桐生の二人が所持しているのは拳銃だ。威力不足なのは否めない。
何故、拳銃しか所持していないのか。それは、彼らは飽くまでも刑事であり、兵士ではないからだ。駆け回る味方の後ろ姿から事態の把握に努めていく。
現場で自動小銃を使えないことを、桐生はいつも嘆いている。
だが上に要請したところで、どうせ自動小銃の携行許可は下りないだろう。
「独断専行は止めろよ、桐生! 今日の敵は、拳銃くらいで倒せる相手じゃないんだ!」
「誰かが先陣切らなきゃ、どうにもならないでしょ!」
そう言うや否や、桐生は廃工場の窓ガラス越しに銃撃を開始した。
一度広い空間に入ってしまえば、桐生は並々ならぬ運動性能を発揮することができる。最初の弾倉分の十五発で敵の弱点を探ることができれば、人間側からすれば安い買い物だ。
そんな桐生を、咲良が背後から援護する。さて、どうしたらいいものか。
その答えに、咲良は素早く策を立てた。桐生の頭越しに火器を放り込むのだ。
防弾装備品には、手榴弾が安眠状態でぶら下がっている。着用者の動きの妨げにならないよう、小型軽量化されたモデルだ。
中身は投擲者の思念を起動した時点でピンが外れ、起爆する。念力でも仕掛けているかのように。
咲良もまた、自分の拳銃を構え直す。対する桐生は、慎重に、しかし着実に踏み込んでいく。安定感と鋭さを兼ね備えた、見事な立ち回りだ。
心配すべき案件があるとすれば――。
今日の任務が完了したら、精神科に連れて行った方がいいかもしれないな。
相手が何であれ、行われるのは命の遣り取りだ。後からストレスが降りかかってくることも少なくはない。
そんなことを思いつつ、咲良は、スマホに流れてきた少年の写真を思い出していた。
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