第8話 それでは人間とは何か【2】
「こんなもんだよな。」
真人君、という子が走り去った後、優人は吐き捨てるように言った。
「じゃあ、望兄ちゃん。行こう!」
優人は僕を背中に背負った。まだ背丈も140cmそこらの小さい男の子に担ぎあげられるほど、僕はやせ細ってしまったのだ。
Pieace、と呼ばれる世界に蔓延したその薬を、作ったのは我が国だった。とある場所に生えた新種の木。その木が実らせた赤い実は秘密裏に調査され、ある画期的な成分が検出された。それはざっくり言ってしまえば「脳を再生、さらに活性化させる」成分であった。
「よし、兄ちゃん、今から登るから頑張って僕に捕まっててね。」
僕は出せる力で細い優人の首にしがみつく。
脳、というのは元々とても性能がいい。それをさらに活性化させるとどうなるか。出力は変わらないのに、情報量だけはさらに莫大に受けられるようになった。つまり、オーバーヒートしたPCで作業するようなものだ。「欲望のないまっさらな状態」になるのだ。そこにちょっとした味付けをすれば味付け通りの性格になる。それがPeaceの正体だった。
「兄ちゃん、ネックレスが痛いよ。」
「ああ、ごめん。」
僕は母からもらったロケット型のペンダントトップをを後ろに動かした。より近くなった優人の背中がどんどん熱くなる。心臓の音が聞こえる。生きている音、だ。
我が国はPeaceで莫大な利益を得た。そして、主成分になるその木を、所かまわず植えた。その木が「検出できない新種の放射能を帯びていて、それをまき散らす」ことがわかる前に。そして国土は汚染された。汚染された土で育ったすべての食物はその新種の放射能を帯びていた。その放射能の効能は、赤い実と同じものだった。
「望兄ちゃん!外だよ!」
目がひどく痛かった。目を瞑っても白かった。恐る恐る目を開ける。一面の青!久しぶりの青空!
「望にいちゃん、泣いてる?」
「眩しかっただけだよ。」
「大丈夫?痛いの?」
粗雑で荒っぽくて、でも優しくて、頭がいい。そんな優人の顔が心配そうに自分をのぞき込んでくる。この子の顔も久々にはっきり見えた。思わずそのきれいな肌をそっとなでる。
「なんだよ。」
優人が恥ずかしそうにする。汚染されていない子供。この子だけが僕の希望だった。
「急がなきゃいけないんだから!行くよ!」
そうして、優人はまた僕を担ぎあげる。この子を、この国はもう「優しい」とは認めないのだろう。
僕は「禁区」という薬を拒絶した人間や犯罪者だけの治外法権の島で生まれた。父も母も「個性を薬になんて託してはいけない。」という強い信念を持った強く優しい両親だった。「禁区」などと呼ばれていたが自分たちは「楽園」と呼んでいた。犯罪も横行していたが、なにせ自分たちでライフラインを築かないといけない。荒くれ者だろうが協力して生きていかなければならない世界は意外にも優しかった。
優人は僕を背負ってひたすら歩いて行った。それは優人の希望に向かって。
楽園には、学校なんてものもなかったけれど、住んでいたところをそのまま明け渡した形だったので図書館なんかもそのままだった。母は空いた時間を使って子供たちに勉強を教えてくれた。そして、僕も教える側になった。優人は僕によくなついた。優人の両親はみんなに毛嫌いされる乱暴な人間で、息子に「言う通りにしろ!」とよく言うから「いうと」という名前だった。「それはきっと優人ってかくんだよ」っていうと「どこかだよ。」と彼は照れた。がまんざらではなさそうだった。母曰く「貴方はとっくに私より頭がいいわ。」という僕は、確かに工学的には間違いなく頭がよかったのだろう。残された農工具などが壊れた時はほとんど僕が直したし、電子機器も作り、楽園の外の情報もハッキングできるようになった。5年前、国が楽園にいた人間を強制的に首都へ移動させた理由も、僕はわかっていた。「汚染されていない土地」がもう楽園にしかなかったのだろう。
優人は人が通らない道を選んで歩いていたが、それでも周りの建物は楽園ではとても見ないような高い建物に囲まれていた。広がっていた空が切り取られていく。その中でひときわ古そうな建物に優人は入っていった。一度僕を下すとガラスの頑丈そうな扉を力づくで開く。
「ちょっと待ってて!」
そういって中へ入っていった。
新しい「禁区」でも薬の強要はなかった。食事は配膳ロボが自動で3食出してくれた。働く必要もなかった。「楽園」にはなかったゲームや映画も溢れていた。人々は「ここの方が楽園じゃないか!」と喜んだ。意外にもそれは年老いた自分の両親も。けれど、僕には一つの恐ろしい仮説があった。だから禁区で出されるご飯に手を付けなかった。禁区ももともと居住地だった場所を高い塀で囲ったに過ぎない場所だった。だから「残っている」食材を食べた。主に残された携帯食から。生ものはできるだけ干物など長持ちできるようにした。家にあまり居たくない優人もあったかいごはんが食べたいだろうに、なぜか僕に付き合った。彼ももしかしたらこの違和感に気づいていたのかもしれない。ある日、優人がいった。「最近、親父に殴られないんだけど。」そう言う頃には、僕ももう自分の仮説が合っていたことを確信していた。ここで出てくる食事は例の放射能に汚染された食物だった。
「思った通りだ!ここ、もうシステムダウンしてる!それに、ベッドとかもそのままだったよ!」
嬉しそうに優人がかけてきて、また僕を抱えた。優人が開いたままにした扉をくぐると、そこにはテーブルにイス、ぬいぐるみ、そして、ベッドもあった。優人がベッドに僕を横たわらせてくれる。埃をたっぷりすった布団はそれでも柔らくて、思わずこれが幸せの感触だと思った。
「兄ちゃん、兄ちゃん待っててな。これさえあれば、僕たちはここで暮らしていけるよ。」
優人は真人君の腕時計をもってまた駆けていった。
僕の両親も優人の両親も、全員、あっという間に変わってしまった。魂が抜かれたように。そして、4年目に僕は倒れた。栄養失調だと自分でもわかっていた。優人を優先させたから。たまにくる銃を持った見張りの軍人に見つかってしまえば、「治療」されてしまう。僕は大きな空洞である下水に隠れた。そろそろ隠せない強い匂いを放つ食べ物と一緒に。下水道がある場所を調べ、4年かけて掘った穴から。もう少し、せめて僕が動けるうちに掘れたなら二人でどこかへ逃げられたかもしれない。いや、逃げたところでどうしようもないかもしれないけれど。死を覚悟していたけれど、優人は諦めなかった。マンホールを通じて禁区の外に出て色々探していたようだが、腐ったものしか手に入らなかった。禁区の外はすべてデジタル化していた。
「兄ちゃん!持ってこれたよ!」
優人が顔が見えなくなるくらい白いトレイのような箱を5つ持ってきた。トレイを開くと区切られたトレイの中にスープやパンがあった。
「兄ちゃん、ほら、食べて!食べて!」
優人がパンをちぎってスープにつけ、僕の口に運んでくれた。なんとおいしいことか!涙が溢れた。楽園で父と母に囲まれて食べた食卓を思い出した。二人でたくさんのご飯を食べた。眠くなって二人で寝た。本当に久しぶりに、幸せな夢を見た気がする。
「離せ!離せよ!これをほどけ!!」
優人の声でうっすらと目を開けた。白い天井。視線を横に移すと、横たわって叫んでいる優人と女性の姿があった。
「だめよ、優人君。ここで暮らしていくためには、ちゃんと薬を飲まなきゃ。」
優人の腕には点滴が刺さっていた。ああ、あれはきっと薬なのだろう。僕の腕にも刺さっていた。手足は拘束されている。
「なんなんだよお前らは!俺ら二人くらい見逃せよ!」
「だめよ。先生として、生徒は優しく守ってあげなきゃ。」
「守ってどうするんだよ!なあ!もう守らなくても終わりだろ!小学校の生徒が全部で8人しかいないんだぞ!もうとっくに終わってんだよ!」
優人が持ってきた歴史の教科書を見て、愕然とした。近代史の最後が20年前の薬の配布間違いの事件で終わっていた。そこから教科書が更新されていないのだ。大量の自殺が起こって、この国の人口はもう、ぎりぎりのラインを超えている。それはそうだ。高濃度の新種の放射能を接種してきたのだ。欲望がなくなるということは生きる意欲がなくなるということなのだから。この国は静かに死んでいく最中だ。
「だから守らなきゃいけないの。薬を飲まなきゃ、恐怖でみんな死んじゃうから。真人君もそろそろ薬を飲まなくなった虚脱症状が起こる可能性があるから、見守ってたのよ。」
「・・・真人も薬を飲んでないって気づいてたのかよ。」
「もちろん。子供にはよくあることなの。好奇心旺盛だからね。飲んでないことがわかるように、薬には独特の着色がしてあって、口を開けてもらうとすぐわかるのよ。でも大体虚脱症状が起こってまた大人しく薬を飲むようになるから、一種の大人になるための通過儀礼みたいなものかな。」
「薬の通りの大人になるってなんだよ!気持ち悪い!くそだ!お前ら全員人間なんかじゃねぇ!」
「汚い言葉。やっぱり学校に来てもらって正解だったわ。優人君も薬飲まないからどうしようかと思ってたんだけど、今日ようやく国から強制的に点滴で入れる許可がでたの。待っててね、もうすぐ優しい子に生まれ変わるから。」
「狂ってる!狂ってる狂ってる狂ってる!この国もお前たちも全員狂ってる!!この国で人間なのは俺と兄ちゃんだけなんだよ!」
ああ、この人が優人の言っていた先生か。優人は叫び倒している。まあ、この計画がうまくいかないなんてわかっていたことだ。あの腕時計にはGPSもついてるし、そもそもなぜ優人が外の学校に行くような話がでたのか。とっくにばれているんだ。ただ除外する体力もこの国にはないだけで。
「兄ちゃん、望兄ちゃん、助けて。兄ちゃん・・・。僕やだ。僕は兄ちゃんが知っている優人でいたいよ・・・!」
優人が泣いていた。ごめん、ごめんなあ。
僕がつけていたネックレスはとられたようだ。母がくれた「人間でなくなるなら、人間であるうちに潔く死になさい。」そういって僕に渡した毒入りのネックレスは。今も、禁区にいる父と母の首にはかかったままだろう。
暗い下水道、腐った食べ物、虫やネズミに囲まれて満足に寝られない寝床。
なあ、ごめんな。このまま死にたくなかったんだよ。死なせたくもなかったんだ。怖かったんだ。怖いんだよ、人間だから。死が怖かったんだよ・・・大丈夫、この薬は恐怖を取り除いてくれる。なあ、優人。きっと大丈夫だ。清潔な場所でおいしいごはんを食べて、寝る。それだけで、人間は幸せなはずだよ。
薬 K.night @hayashi-satoru
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