第11話 猫鬼 1

 翌朝、僕らはいつもの時間よりずっと早く目を覚ました。


 まだ暗い時間だ。


 日が出たらすぐに浄化の鏡を使って呪いを追い出す作戦だ。呪いは破魔の眼鏡で見えるだろう。当たり前だが、浄化の鏡を使うのは破魔の眼鏡をかけた人間になる。見えないで鏡に反射させた太陽光で呪いを照らし出すことは出来ないからだ。


 そして3体のヒトガタも出番を待ってストレッチを始めている。彼らの仕事は呪いの追跡だ。浄化の鏡と言うから浄化できる可能性もあるが、日記では呪いは空を飛び去ったということだった。その呪い――猫鬼が今回リターンしてきた可能性を大沢さんは指摘していた。日記の中の呪いの症状と今の澄香の病状がとても似ているからだという。


 飛び去ったのであれば今回は追跡して最後まで浄化するか、術者がもしいるのなら対決することになる。直接対決は時期尚早な気もするが、まずは呪いを追い出すことが先決だ。澄香の体力がそれで本当に回復すればいいが、そうでない場合、また別の手を打たなければならないからだ。逃げ切られたらそのとき、直接対決を迫られても無理はしない。そう事前に話し合っていた。


 僕と朔夜はキッチンで大沢さんが作ってくれたおにぎりを頬張り、ゆで卵と鶏胸肉のソテーを平らげる。澄香と大沢さんの朝食はもう少し簡単だ。


「昨日、大林さんと何を話していたの?」


 まだ日の出まで時間があるので朔夜が話しかけてくる。


「夏休み、この家で勉強しようかと思って。修行もしつつね」


「修行ということはあたしも織り込み済みだ」


「お前、部活は?」


「そろそろ行かないとだけど、ここからでも行けるしね。大沢さんが実践的なご飯を作ってくれるのはありがたい」


「そうか。いつも作って貰っていて済まなかったな」


「いいんだ。お兄に美味いもの食わせるのは楽しいってのも事実だからな」


 朔夜はニッと笑った。男前な笑顔だが、我が妹ながら、かわいいものだ。


「実践的なご飯は褒め言葉?」


 大沢さんが聞いてきて朔夜は頷く。


「トレーニーにですから、最大の褒め言葉ですよ」


「上に『美味しい』をつけてくれると更に良かったんだけど」


「おにぎり美味しいですよ。高菜と塩ワカメがいい」


「それ以外は工夫できないからねえ」


 鶏胸肉とゆで卵ではそうなってしまうだろう。


 ふーと澄香は息を吐く。


「いよいよか」


 この半年の闘病が実を結ぶかどうかだと考えれば、澄香の心中は察する。


 彼女は小さなおにぎりを1個とお新香を食べるので精いっぱいだったようだ。


 日の出は4時40分頃。地平線を出てからもいろいろ地上の障害物を越えて上がらないとお日様は拝めない。しかし4時40分になって僕らは庭に出る。


 日が出るともう外は明るい。郊外なので涼しくすらある。


 東側の空を眺め、防風林の上に太陽が出るのを待つ。


 15分ほどで日輪が現れ、半分ほど頭を出しただけで強烈な夏の日差しを思わせる輝きが僕らを包んだ。


 大沢さんが頷き、僕は破魔の眼鏡を掛け、澄香も意を決したように頷いた。


 破魔の眼鏡には度が入っていないので、見える光景は肉眼のそれと変わらない。しかし、澄香の方に目を向けたとき、それを見ることができた。


 日記にあった猫鬼は、魑魅魍魎としかいいようのない、異形をしていた。


 痩せこけ、艶のない乱れた毛の黒と白の斑の猫に、蛇のミイラと巨大な乾ききったムカデが絡みついていた。僕の目から見ても、猫鬼は疲弊しきっていた。乾ききった最後の呪力を澄香に向けて、命じられたことを実行しようとしているように見えた。猫の眼窩は大きくくぼみ、瞳が入っているのかは分からなかった。しかし漁り火のような光が見えると、僕は声を出しそうになってしまった。


 また、僕が見ていると猫鬼には気がつかれていないと思う。


 僕は必死に平静を装い、太陽の方向を確認してから鏡の包みを開け、太陽のもとに浄化の鏡を晒す。


 そして鏡面に眩しい光を満たし、庭に向けて丸い光を反射させる。子どもの頃に鏡遊びで太陽光を反射させて遊んだことを思い出す。照準は簡単だ。


 猫鬼は浄化の鏡のことを覚えていたのか、それとも別の猫鬼だが、それと知っていたのか、毛を逆立てて耳を後ろに反らせた。警戒モードマックスだ。


 しかしこちらは先手を打たなければならない。


 浄化の鏡で反射させた太陽光を猫鬼に当て、全身を照らし出すと、猫鬼は小さく悲鳴を上げて、澄香の背後から去り、空中を走って逃亡を始めた。


「成功しました!」


「ヒトガタたち、頼んだよ!」


 澄香がそう命じると3体のヒトガタは紙の手を翼のように広げて宙に飛びだしていき、猫鬼の追跡を開始した。


 大沢さんは急いで軽自動車に乗り込み、残る3人も続く。


「猫鬼はどっちに飛んでいったの?」


「北東です」


「鬼門か」


 魑魅魍魎ではあるが、速度はそう出ていない。元が猫だからだろうか。時速10キロほどで空中をよるよろと小走りしている。全く勢いがない。破邪の鏡でダメージを受けたのか、最初見たときのイメージ通り、もう力が残っていなかったのか。その両方だろうと思われた。破魔の眼鏡で見ている僕と、同じ式神であるヒトガタたちは猫鬼に姿が見えているが運転する大沢さんには見えない。


 僕は先回りを指示しつつ、中空を走る猫鬼を見失わないよう努める。


「ところでお嬢、体調はどう?」


「あ、気にしてなかった。別に普通」


「僕の方は負担が減ったのは明らかです。骨髄ドナー前より、遙かに調子がいいです。気に満ちているのが分かります。これが本来の鬼の気なのかと思います」


 身体が軽く、これならすぐに筋繊維の断裂も回復すると思われるような生命力を感じた。パンチで拳が砕けてもすぐに治りそうだ。やりたくはないが。


「お兄が変わったのは感じる。強くなった」


 朔夜が僕をじっと見る。もしかして朔夜はこの生命力・体力回復能力すら見取ろうとしているのかもしれない。


 障害物のない空に対し、地上の道路をいく軽自動車ではハンデがある。途中、見失うが、ヒトガタが途中で待っていて、手で行く方向を示したあと、軽自動車に合流した。移動速度的に猫鬼には追いつけないらしい。


 無事、空を走る猫鬼を見つけ、追跡を続ける。


 残り2体のヒトガタで追跡できるかどうかだ。また見失ったが2体目のヒトガタがまた道を示してくれ、同様に再び見つけた。


 最後に見失ったとき、3体目はぐるぐると同じところを飛んでおり、すぐに合流した。


 どうやらその下に猫鬼は逃げ帰ったらしかった。


 そこには鳥居があり、参道が続いていた。軽自動車1台くらいならなんとか駐車できたのでハザートランプを点けたまま、4人で参道を歩いた。


 雑木林の中に真新しい神社があり、ヒトガタはここ、ここと言わんばかりに方々を指さした。真新しいと言っても年単位ではなく月単位の完成だと思われるようなきれいさだった。神社の拝殿の両脇に摂社があり、その更に奥にガラクタがおいてあった。おそらく建て替えの時に出てきたものだと考えられた。


 そのガラクタの中にひび割れた大きな甕があった。


 表面に土がついていた跡があったので工事の際に出てきたものだと思われた。


 スマホのライトで照らしてその中をのぞき込むと、干からびた何かが入っていた。


「こんなところに――」


 僕はかつて猫だったもの、蛇だったもの、ムカデだったものを見た。


 もうほとんど形が残っていないが、かろうじて猫の頭蓋骨と蛇の頭蓋骨、ムカデの外骨格でそうと分かった。


「100年前の術者が呪詛返しから逃れるために封じ込めたんだ」


 澄香は唇を真一文字にした。大沢さんは壺を調べて言った。


「見た感じ、明治時代の壺だね。もともと魚の塩漬けか何かが入っていたような。それを呪詛返しで戻ってきた猫鬼を封じ込めるのに使った。そして今になって建て替えの工事で出てきて猫鬼が解放されて、任務を果たそうと今度は子孫のお嬢に取り憑いたんだな」


「最後の力を振り絞ってね……」


 素直にかわいそうに思えた。


 術者の意のままになるために殺され、蠱毒となり、失敗したら100年閉じ込められ、100年後になって解放され、ボロボロになっても任務を果たそうとした3匹のことを考えると、敵とはいえ、切ないものがある。


 僕は持ってきた鞄の中から袋を取り出し、丁寧に3匹の遺骸を中に入れた。


「お兄、それ、どうするの?」


「敵ながら天晴れだよ。きれいにして、供養してやりたい」


「お兄らしいや」


「誉めても何も出ないぞ」


「いや、出た出た。お兄の笑顔」


 そうか、とだけ僕は朔夜に答えた。


 僕は破魔の眼鏡をかけたままだったことを思い出した。


 かけていても何も変なものは見えない。猫鬼はおそらく、浄化されてダメージを受け、ここに戻るのが精いっぱいで、力尽きて消えてしまったのだろう。


 ヒトガタたちも四方八方を見回していたが、見つけられないようだった。


「終わった――かな」


「お兄、そういうと何か出てくるのがホラーでもゲームでもセオリーだよ。フラグ立てない!」


「ないと思います。真田さんの言うとおりです。気の毒なこの3匹を供養してあげましょう」


 澄香はそう言って、僕に手を伸ばした。


 普通にこれまでも手をつないでいたから違和感はなかったのだが、もうつなぐ理由はない。だから躊躇した。


 だが、何か伝えたいのだと思って、その白い手をとった。


 手のひらからは彼女の感謝の気持ちが伝わってきた。


 以前ほど、澄香との感覚のリンクは鋭くなくなっていることに気づく。あれは膨大な量の生命エネルギーの受け渡しの副産物だったのかもしれない。それでも手をつなげば、また、以前のような感覚が蘇る。


「帰ろう」


「うん」


「ラブコメはそこまで、そこまでだから!」


 つないだ手を朔夜が手刀の垂直切りで切ろうとして、僕らは慌てて手を離した。


「相変わらずのブラコンねえ」


 大沢さんは笑いながら軽自動車に戻り始める。


「さて、失業か。どうするかな、これから」


 そしてそう、独り言を言った。


 停めた軽自動車に戻ろうと参道を歩く間、澄香が大沢さんに話しかけた。


「父の会社にいてくれないんですか?」


「どうなんだろうねえ。契約は半年でもうすぐ切れるところで解決したから更新はないかもねえ。この仕事、気に入っていたんだけどな」


「父に頼みますよ。いてください!」


「そうしたら本当にホワイトハッカーの仕事で本社勤めかな。あ、でもリモートワークできるな。ハッカー対策の現場確認で出なくちゃだけど」


 前向きに検討して貰えているようで澄香も安心だろう。


「お兄――」


 隣を歩く朔夜が僕を見た。


「どうした?」


「お兄の力は一般人の手には余るよ。この先どうするか決めないと」


「その前にまず受験勉強だ」


「おおう。真面目に言ったのに茶化す?」


「大真面目だよ、僕は」


「うん……」


 朔夜は何か言いたげだったが、車に乗っても口を開かなかったのだった。

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