第020回「曹洪対周瑜」


 ――さあ、孫権とどう戦うか。

 曹洪は傍らの于禁と杜襲を振り返ると、自らの心に問うた。富裕である寿春で集めた兵は覇気に満ちているが、戦の経験は他州の軍と比べると乏しいと言わざるを得ない。


 まもなく、曹洪の本営に合肥を囲む孫権の本営以外に、周瑜率いる別動隊が北上してこちらに向かっているとの情報を得た。進撃速度を思えば周瑜の率いる別動隊こそが、呉の精鋭であろう。つまりは、周瑜だけ斃せば自ずと道はひらけるに違いない。


「文則よ。小細工はいらぬ。我らで、孫権と小僧っ子の鼻を明かしてやろうではないか」

「曹将軍。荊州での仇を合肥で取るとしましょう」


 ニヤッと髭の中に真っ白な歯が浮かんだ。曹洪の軽口に答えたのは、同じく荊州で塗炭の苦しみを舐め合った于禁である。


 于禁は字を文則といい、兗州泰山郡鉅平県の出身である。

 黄巾の乱が起きると、それに伴って頭角を現した鮑信に初めつき従った。


 やがて曹操が兗州を治めるとこれに従い、軍司馬に命ぜられた。于禁は曹操に従って、呂布、豫洲黄巾の黄邵及び劉辟、袁術、張繍、袁紹、劉備などすべてと戦った古参の名将でのちに曹魏の五将軍と謳われた。


 于禁の性格をあらわす有名な逸話にこんなものがある。

 宛の張繍が懲りずに再度反旗を翻し、于禁が曹操に従って戦場に出た時のことだ。張繍は曹操に苦杯を舐めさせたことがある数少ない男だ。


 この時の戦も、曹操に利あらず形勢不利で軍は手痛い敗北を喫し無陰に引き返した。この時、曹操の軍勢は激しく混乱し、諸将もそれぞれが間道を通って行方不明となった曹操を捜索した。于禁だけは部下数百人を指揮して、追いすがる張繍の軍勢と戦いながら引きあげた。


 名うての戦上手で知られる于禁である。この時、彼の指揮する軍に死傷者はあっても離散する者はいなかった。張繍の追撃が次第にゆるめられると、于禁はおもむろに隊列を整えて太鼓を鳴らして整然と帰還した。


 途中、于禁は曹操のいる陣営にたどり着かぬうちに、傷を受け裸身で逃げる十数人の兵士に出くわした。于禁が兵士たちに裸でいる理由を尋ねると「青州兵の略奪を受けました」と言った。


 それより以前に、黄巾の賊が降伏し、青州兵と呼ばれ、曹操は彼らを手厚く扱ったので、以降、軍の中核になったのは有名な話である。


 要するに、曹操が青州兵を寛大に扱い過ぎたので、兵卒たちの一部は、自然と驕るようになったのだ。


 人は慣れる生き物である。初めは賊であることを恥じていたようなものでも、上が必要以上に目をかけると、そういうものだと思い、規律など気にしなくなるのだ。


 彼らは曹操の寛大さにつけこんで略奪を行い、それを当然の余禄であると思い込むようになると、これはもう手がつけられない。


 于禁は激しく怒り、部下たちに

「青州兵は同じ曹公の兵であるにもかかわらず、また以前と同じく倫理や正道を顧みず悪事を働くとは許せない」

 と全身の毛を逆立てて感情を露にした。


 そこで于禁は賊となった青州兵を討伐し、その罪を暴いた。慌てたのは当の本人たちだ。彼らは、自らの既得権益が冒されると、恥も外聞もなく曹操の袖にすがりつく。それだけではなく、実際にない于禁の罪をでっちあげて罰するように訴えたのだ。


 于禁は敵が背後に迫るのを知ると、曹操に身の潔白を証明するより、襲い来る張繍軍に備えた。ある者が


「青州兵が君を訴えておりますぞ。すぐに曹公のもとに赴き、ことの次第をはっきりさせねば、処罰されるのは于将軍ひとりという結果になってしまうやもしれません」

 と忠告した。が、于禁は


「いま、張繍軍が背後に迫っている。追撃が来るのはまもなくで、すぐさま備えを立てねばどうやって敵に対処するというのだ。我が身のことは二の次なり。それに、曹公は聡明であらせられる。でたらめの訴えなどなんら意味をなさない」と言った。


 于禁は忠告者を無視すると、すばやく塹壕を掘り、堅固な陣営を敷き終わると、それから曹操のもとに赴き謁見して、正しい事情を述べた。


 曹操は、このことをひどく喜び

「淯水における苦難は、儂にとってそれこそ危急の状態だった。だが、于禁将軍は混乱にありながらよく乱れず、暴虐を討ち、砦を堅守した。かの者は動かすべからざる節義を具えているといってよかろう。古代の名将であってもこれ以上の働きはできない」

 と激賞した。


 つまり、于禁は我が身のことよりも、なにが大事なのかを一番理解している優れた将軍なのである。


 于禁は、張遼、徐晃、楽進、張郃と共に名将であり曹操が行う征討にはみな、かわるがわる起用され、進撃の時は軍の先鋒となり、帰還の時はしんがりとなり守った。軍を保持する態度は厳格で、賊の財物を手に入れた時も個人の懐に入れることはしなかった。 


 しかし、法令によって下を厳しく統御したのであまり兵士や民衆の心をつかむことはできなかった。


 ちなみに、この于禁も初代魏皇帝となった曹丕とは相性がよろしくなかった。于禁は正史において建安二十四年(二一九)に関羽と戦う曹仁を助けようとして戦ったが、軍が水没し降伏した。


 しかし、曹丕はこのことがよほど気に入らないらしく、呉から戻った于禁をわざわざ安遠将軍に任命しておきながら、陰湿な行動に出た。曹丕は于禁をわざわざ呉の使者として派遣する直前に、北方にある鄴の高陵(曹操の墓)に参拝させた。


 その際に、曹丕はわざわざ御陵の建物に、関羽が戦いに勝ち龐徳が憤怒し、于禁が降伏しているさまを描かせた絵を見せつけたのだ。


 于禁はこれを見て、すぐ面目なさと怒りとで病気になり没した。于禁が関羽に降伏したのは大雨のせいである。曹丕も、最初に呉から戻った于禁が謁見した時には


「昔、荀林父は邲において敗北し、猛明視は殽において軍を失ったが、秦も晋も彼らを更迭せずに官位を復帰させた。これにより、晋は狄の土地を得て秦は西戎に覇をとなえた。荀林父も猛明視も恩を忘れず活躍したのだ。このように取るに足りない小国ですら寛大さを示したというのに、朕は天子である。樊城の敗北は、水害によるものであり戦争の責任によるものではない。よって于禁をもとの官に復帰させる」


 と明君としか思えない発言をしておきながらの手の込んだ辱めを嬉々として実行している。ほとんどサイコパスの領域だ。曹丕が、悪意に満ちた顔で浮かれながら宮廷画家に于禁を煽る絵を描かせていた光景が思い浮かぶようである。


 曹操も性格的に欠点はあったが、曹丕のような陰湿な真似は行っていない。魏王朝を開き、初代皇帝にまでのぼりつめた男であったが、四十歳であっけないほどに早世したのは天の配剤というものだろう。


 さて、もうひとり曹洪に従って合肥に向かおうとする将がいる。

 男の名は杜襲、字を子緒といい潁川郡定陵県の出身である。杜襲は若きころ、中央の動乱をさけて荊州に避難し、劉表に賓客として厚遇されていた。しかし、杜襲自身は劉表のことを評価せずに、同郡の繁欽が劉表に厚遇されると


「儂が君と共に荊州に来たのは、ただ奥深い藪に竜のようにジッとわだかまり時節を待って鳳凰の如く飛翔したいがためなのだ。だが、君は劉牧を動乱を治めて世を平らかにする英明な君主だと本気で思っているのかね。もし、君が今後劉牧のために能力を示し続けるのならば、絶交する」

 と非難し、繁欽は酷くうなだれ反省し、杜襲に従うことになる。


 確かに劉表は、動乱の時代を自ら治めるほど覇気と知力を持った英雄ではなかったが、世話になっておいてここまで糞味噌にけなしまくれる杜襲の人格もどうかと思われる。


 杜襲はのちに南方の長沙に赴いたが、曹操が献帝を許昌に迎え入れてここを都とすると郷里に戻った。杜襲は曹操に任命されて荊州に隣接する南陽郡の新野よりやや北に位置する西鄂県の長に取り立てられた。


 西鄂県は賊によって荒廃し、人民は苦しみ、倉庫は空っぽなほどであった。杜襲は恩愛をもって民草に接して、老人や若者を分散させて農耕に従事させ、強壮の者を兵士にして守備につかせた。


 ちょうどそのとき、荊州から劉表の歩騎一万が出撃し、城に攻め寄せた。杜襲はそこで県の官民から精鋭五十余人を召集して、自ら矢や投石用の石を手にして、兵を統率して立ち向かった。官民は杜襲の恩愛に感激して死力を尽くして戦い、敵陣に当たって数百の首を斬った。


 杜襲は奮戦したが、結果として賊軍の侵入を許し戦は敗北した。杜襲の軍勢の三十余人は死に、その他十八人はすべて傷を負ったが、彼らを指揮して囲みを破りなんとか脱出は成功した。杜襲の率いた官民が摩陂営にたどり着くまで裏切り者は出ず、その統率力の高さが窺い知れる事績といえよう。







 この魏の名将である于禁と杜襲のふたりを従えた曹洪は成徳の南に軍営を設けると、盛んに偵察のための斥候を放って、周瑜の軍勢の位置をつかもうと努めた。


 ――周瑜は必ず北上するであろう。我が軍に奇策は必要ない。二将と力を合わせて全身全霊をもって呉軍を撃破し、合肥を救うのだ。


 曹洪が騎兵を駆けさせる。まもなく、遠方に立ち昇る煙と多数の旗が見えた。周瑜とその部将の旗だった。


 曹操が死んだとき、どこかで終わった、と思う自分がいた。董卓を討伐した若き日の自分が目蓋の裏に蘇る。滎陽で董卓の将である徐栄と戦闘になり、激しく負けた。完全に撃ち負かされたといっていい。兵をあげてまもないころであり、我ながら稚拙な戦い方であったと思う。まわりも見えず、自分も見えず、ただ叫び、這いつくばらされた。屈辱だった。


 曹操と共に逃げる途中、たった二騎になった。徐栄の旗印が見えると、数百の兵が自分たちを殺すために、雨のような矢を放った。曹操の馬に無数の矢が立った。自分が馬を下りて曹操に引き渡そうとした時だ。


 どういうわけか、あのような状況だというのに、曹操は酷く恥ずかしがっていたのを覚えている。どこか、現実感がなかった。なんら確証はないが、曹操も自分も絶対に死なない予感があった。


「天下にこの曹洪がいなくともなんら差支えはありませんが、あなたがいないというわけにはまいりません」


 曹操はひどく済まなさそうな笑みを見せると馬に飛び乗り、どこか開き直った顔で白い歯を見せた。ああ、もうこの人は大丈夫だと思った。


 戦いながら、徒歩で曹操のあとを追った。剣を抜き、群がる敵を幾人も斬り殺した。汴水のほとり。そこにも徐栄の追手は充満していた。曹洪は歯を食いしばって群がる敵影に飛び込んだ。剣を右に左に打ち振るう。バッと敵のなまあたたかい血が顔に降りかかった。むせ返る鉄のような臭気で目の前がくらくらする。


 汴水の水は冷たく、かさが凄まじい。とても渡り切れるものではない。それでも若さがあったおかげか悲観的にはならなかった。激しい水飛沫を上げながら、ほとりを逃げ回った。曹操は小男でも剣の腕は達人だった。見上げるような大男に向かって飛び上がっては斬りつけ、幾人も斃した。


 ついに、放棄された船を一艘見つけると飛び乗った。追撃の兵。悔し紛れに矢を放った。船べりに矢じりが喰い込む音。曹操と肩を抱き合って笑った。生き延びたことが無性におかしかったのだ。





 周瑜の旗が間近に迫った。曹洪は騎馬の勢いをゆるめることなく、周瑜にぶつかっていった。


「我らは名誉ある曹公が鍛えた兵だ。合肥を侵そうとする呉の鼠どもを、残らず追い返してやれ」


 火を吐くような攻撃が始まった。曹洪は古豪ともいえる旗下の部将たち四人に、それぞれ三千の騎兵を分け与え、まず一万二千余を周瑜にぶつけた。さらに全軍の歩兵を続かせる。総力戦だ。


 怒号と喚声が戦場を覆い尽くす。さすがに、周瑜の三万は精鋭だった。五万の攻撃を受けても、前衛は崩れず、それどころか押し返す余裕すらある。


 ――小癪な。

 二十年近く戦場を往来した曹洪は機を見るに敏だ。周瑜の手薄な備えを冷静に見つけると、そこに歩兵を突貫させた。あちこちで搔き集めた兵卒は、いつもよりもずっと扱いにくい。兵の数は大きくなると、よりいっそう使いにくくなる。


 だが、曹洪は生来の特殊技能か、時間経過と共に軍全体に自分の触手のような感覚を這わせて、それを隅々にまで行き渡らせると、自由自在に扱えるようにした。次第に兵数で及ばない周瑜軍に疲れが見え始めた。


 曹洪は周瑜軍の鼻面をつかんで振り回した。前陣に咬みつくと容易に放さない。ここぞとばかりに、于禁と杜襲の兵、それぞれ一万ずつが左右から周瑜の軍を抑え込んだ。周瑜の前衛は三面から曹洪軍に圧迫される。


 ――周瑜の水軍は強いと聞いていたが、陸戦では我に一歩及ばぬ。

 明け方から日没まで苛烈な戦闘が行われたが、徐々に周瑜軍が後退し出した。だが、周瑜の陣営も黙って戦況を見続けたわけではなかった。


「公瑾どの。このままでは兵数が少ない我が軍は突き崩されます。願わくば、我に騎兵を授けたまえ。必ず曹洪の軍をゆり動かし、隙を作ってみせます」


 願い出たのは韓当、字を義公といい遼西郡令支の出身で、孫堅に従って各地を征伐した古参の将のひとりである。孫権の兄である孫策が江東に渡ると、会稽、呉、丹揚の討伐に参加し、先登校尉に昇進して兵士二千、騎馬五十匹を授けられた。劉勲討伐に参加し、荊州の黄祖討伐にも参加、山越の賊も韓当の威を恐れ、常に従順であったとされる。


 その韓当が出撃した。

「勇めや、者ども。合肥の落城は我らの闘志にかかっておるぞ」


 韓当は得意の大刀を携えると、揉み合いになっている本体から分離して曹洪の脇腹に咬みつこうと、駆けに駆けた。足場の悪い湿地帯を照らしていた陽も、まさにいま落ちようとしていた。視界は極めて悪かったが、それらは韓当に利した。薄闇。そして五百という少ない数が曹洪軍に接近する隙を与えたのだ。


 韓当は馬上の手綱を握り締めながら馬腹を強く蹴った。曹洪軍の左脇腹。突然の騎兵の登場に弓兵の乱射が雨あられと降り注ぐ。韓当は馬上で身体を折り畳むと、矢を浴びぬように念じながら前のめりになって騎兵を指揮した。


 ――これならば、やれる。

 だが、勇敢な韓当の突撃も曹洪の部将である杜襲によって阻まれた。


 杜襲が弩を前面にそろえると、狙いをつけて撃って来たのだ。杜襲の猛射によって馬上の騎士がバタバタと落ちる。韓当は声を嗄らして軍を鼓舞し、さらに前に出した。互いに退けない戦いが始まった。


 騎馬同士の戦い。さすがに北方の馬は強かった。呉軍は押され始める。韓当は大刀を振るって、周囲に群がる敵歩兵を屠る。刃が歩兵の頭部を跳ね上げ、あるいは叩き割った。


 乱戦である。

 杜襲旗下の陳安という猛将が戟を手に韓当へと挑みかかった。


「そこなるは呉の大将と見た。我こそは、杜将軍に仕える陳安なり。その、首、いさぎよく我に渡すがよい」


「おう、善き敵ぞ。我こそは、呉に三代仕える韓義公なり。返り討ちにしてくれよう」


 互いに向かって馳せ違った。刃が打ち合う高い金属音が鳴り響く。韓当は再び馬首を巡らすと、向き直り陳安に突っ込んだ。韓当はすでに五十を幾つも過ぎているというのに、その膂力はいささかも衰えていない。一方、まだ二十代であろう陳安のほうが、五合、六合と切り結ぶたびに押され出した。振るう戟。確実に威力は落ちていた。


「おおおっ!」

 韓当が激しく吠えながら車輪のように大刀を旋回させ、頭上から斬り下ろした。陳安は戟で受けようと馬上で両眼を見開いた。


 だが、韓当の剛刀は凄まじかった。陳安の持つ戟の柄を断ち割り、さらには頭蓋を叩き割った。韓当が陳安を斬り殺すと、わずかに杜襲軍の鋭気が衰えた。


「見よ、敵は萎えたぞ。いまこそ曹洪の首を上げる時。みなの者、突っ込め」

 韓義公の凄まじい勝利に奮い立った騎兵が勢いを増した。このまま、杜襲の陣が突き崩されるかに見えたが、思いもよらない方角から新手が現れた。


 いままで、影のように沈んで姿を見せなかった張喜と蔣済の軍勢が突如として現れたのだ。その数は五千。この状況で五千の援兵は、曹洪にも周瑜にも大きかった。


「やっと来たか」

 曹洪は胸を撫で下した。孫権軍五万の兵に包囲されて合肥の城に入れず、遊軍と化していた張喜と蔣済が周瑜軍の真横に突撃を行ったのだ。


「この状況で、なんということだ」

 不利を悟った周瑜は馬上で報告を聞くと激しく憤った。前方の三面には曹洪、于禁、杜襲。そして右方の横合いから張喜と蔣済の攻撃。敵の脇腹を突こうと出撃した韓当も、ある程度の牽制になってはいるが、杜襲の陣に阻まれ思うような結果が出ない。さらには、兵数の不利もあった。敵は五万五千、こちらは三万余である。


 ――まずい、まずいぞ。このままでは我が呉軍は崩壊する。

 軍の質では周瑜が優っているが、倍近い兵数の不利が一日戦い続けた疲労に濃く浮き出ていた。


 こうなれば、あとは軍そのものの生命力に賭けるしかない。どちらかが、先に退いた方が負ける。根気の勝負である。ジワリ、と周瑜の整った鼻梁に脂汗が流れ出て、髭に伝った。弱気になることはできない。こういった場合、かつての主であり友であった孫策ならば、絶対にあきらめなかった。


 ――我も最後まで退かぬ。伯符よ。我に君の勇気を与えてくれ。

 拳を握り、遠くに目を凝らす。いまや両脇にいる部将の顔さえ判別がつきにくくなっている。しかし、周瑜の祈りが天にいるかつての盟友に通じたのか、自軍から強烈な歓声が上がった。わずかに浮き腰となりつつあった周瑜軍が曹洪を押し返しつつあるのだ。斥候が息を弾ませて馬の前へと転がるように両膝を着く。


「援軍です。甘将軍の一万が到着いたしました」

「それは、真か! 甘興覇が来たのか!」


 周瑜は破顔した。合肥の攻囲を行っていた孫権の保険。念のためにと北上させておいた甘寧が、呉軍の戦況不利と見るや加勢に出たのだ。甘興覇は周瑜の旗がわずかに翳るのを見るや、的確な状況判断で即座に陣を進め騎兵を進発させた。気力体力充実していた甘寧の軍は強かった。


 たちまち曹洪軍に襲いかかると、崩れかけていた周瑜の旗に精気がみなぎった。戦闘は、その後、完全な闇に落ちるまで続いたが、夜戦に互い利あらぬと悟ると、両軍は静かに退いた。それは示し合わせたようで、互いの激闘がどれほどのものであるか理解できるだろう。


 結果的に、曹洪軍は戦傷者千二百余、周瑜軍は二千を超えた。両軍は、翌日から数十里離れて軍営を設けると、再びの戦いに向けて一両日の英気を養うことに向けた。


 合肥の運命は、曹洪と周瑜、ふたりの英雄に委ねられることとなる。


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