第30話 Goblet×Blood×Vampire

「変わりないようだな、ブランボリー」


 女の人が出ていくとフェリックスさんが赤の王に話しかけた。赤の王はあぁ、と素っ気ない返事をした。


「青の王を追って日本まで来たと耳にはしていたが、本当に来ているとは思わなかった。普段全く出歩かない君まで外に出すのだから、青の王はやはり特別だな」


「そうだね」


「日本は満喫しているかな? 良ければ案内しようと思って来たのだが、どうかな」


「いいよ」


「それではまたの機会にしよう。今日はお暇させてもらうよ」


 フェリックスさんが立ち上がろうとした。もう会話は終わりなのか、とアタシは驚いた。


「もう少し話をしようじゃないか」


 しかし赤の王は許さなかった。


 話といっても一方的にフェリックスさんが話して適当に相槌を入れているようにしか聞こえなかったのだが、それでも赤の王は満足なんだろうか。不思議になって顔を上げた。


 そしてすぐに後悔した。目を上げたらそこには見たことのない男の人の姿があったのだ。艶のある黒の長髪。長い前髪の間から真っ赤な瞳がこちらを見ていて、胸元の大きく開いた白い服を着ている。服が胸板にぴったり張り付いているのでシルエットが綺麗だった。


 ゾッとするほど綺麗な男の人だった。絵に描いたように整った顔。顎が細くて鼻筋の通った女性的な美しさのある顔。


「やっと顔を上げてくれたね」


 真っ赤な瞳が優しく笑って、アタシはすぐに顔を下げた。


 さっきまでこの赤の王はフェリックスさんの左隣の上座に座っていたはずだ。いつの間に目の前に移動してきたんだ!? 全く気配がしなかったので気がつかなかった。


 アタシはすでに何の所為でドキドキ鳴っているのか分からない心臓の音を聞きながらぐるぐる考えた。


「君、名前は何て言うのかな? 僕に教えてほしい」


 背中がチクチクする! アタシは咄嗟にフェリックスさんの服の裾を掴んで助けを求めた。


「ホノカだ」


「フェリックスに聞いていないよ。僕は彼女に聞いているんだ。教えてほしいな。君の名前は何て言うのかな?」


 ここで答えないと殺される、と唐突に思った。声には変わらず甘い響きを残しているのに、刺すような冷たさがある。


「ほ、ほのかと言います」


 我ながら蚊の鳴くような声とはこのことかと思った。


「そう、ホノカ。可愛い名前だね。僕はブランボリー。赤の王だ。ブランと呼んでくれ、ホノカ」


 アタシは黙っていた。


「呼んでくれ」


 今呼ぶのか。


「ブ、ブラン……」


「可愛い声だ」


 あー! 背中がチクチクするー!! 今すぐ掻き毟りたい!!


 そうは思えども掻き毟ることなんて出来ないので、アタシは椅子に深く座り直して気を紛らわせることにした。この人の声は苦手だ。甘い声というのはたぶんこういう声のことを言うんだ。


「見たところホノカはフェリックスの眷族ではないようだが、どうしてフェリックスの共としてここへ来たのかな?」


 きた、この質問。アタシはちらとフェリックスさんを見た。


 フェリックスさんとはあのジェットコースターのような車の中で打ち合わせをしている。アタシはとにかく余裕が無かったので、はい、はい、と返事をしていただけなのだが、なんとか内容は覚えていた。


 何も話さないこと。フェリックスさんはまずそう言った。赤の王はアタシのことを詮索してくるだろうが、受け答えはなるべくフェリックスさんがするとのことだった。アタシは黙ってついてこれば良いとフェリックスさんは言った。そして、万が一話さなくてはならないような状況になろうとも、アタシがご主人様探しをしていることは言わないようにと言われた。


 それから二つ目。赤の王とは目を合わせないこと。とにかく赤の王とは目を合わせないでほしいとフェリックスさんは言った。そういうわけで、アタシは顔を上げないようにしているのである。


「それは」


 フェリックスさんが話そうとすると部屋の扉が開いた。目を向けると、先程の絶世の美女が白い布をかぶせたワゴンを押して入って来ていた。


 フェリックスさんは口を閉じる。


 美女はワゴンに乗せてあった三つの銀のゴブレットをブラン、フェリックスさん、アタシの順に置いていった。それから銀の取っ手のついたガラスの水差しを持ち、最初にブランのゴブレットにそれを傾けた。水差しの中の赤い液体がゴブレットに注がれる。美女はフェリックスさんのゴブレットにも同じものを注ぎ、そしてアタシのものにも同じものを注いだ。


 ふわん、と液体から香りが漂ってくる。


 強い鉄の、匂い。


 血だ!


 アタシは思わず仰け反った。背中に椅子の背もたれが当たる。心臓が早鐘を打ち始める。


「生娘の生血だよ。ホノカには少年の生血の方が良かったかな」


 向かいのブランがゴブレットを手に取るのが分かった。ゴブレットが傾き、喉が下る。


 血を飲んでいる! 吸血鬼だから当たり前と言えば当たり前なのだが、衝撃的だった。たぶん今のアタシは青い顔をしているだろう。


「あぁ、良いね、この味だ。ホノカとフェリックスも飲んで。空になればいくらでも注がせるよ」


 ブランの口がにいっと笑った。唇からこぼれた牙が銀色に光る。


 これを、飲む。アタシはゴブレットを見た。寒気がする。


 アタシには無理そうだった。人間の血なんて飲めるわけがない。だってアタシはついこの間まで人間だったのだから。それに生血ということは生きている人間から取ったということだ。出所を考えようとしたら気分が悪くなってきたのでやめた。ダメだ。深く考えたら吐いてしまいそうだ。


「私は遠慮させてもらう」


「相変わらずだね。ホノカはどうかな」


 アタシは首を振った。するとブランは「勿体ない」と少しだけ残念そうに言ってもう一度ゴブレットを傾けた。


「それで、話を戻そうか。答えてくれるかな、ホノカ」


 ブランではなく、フェリックスさんを見上げる。フェリックスさんはちらとアタシを見てから口を開いた。


「彼女は私の眷族の眷族だ。たまには趣向を変えてみようと思って連れてきたのだ」


「フェリックスには聞いていないのだけれど。……まぁ良い」


 不機嫌そうな声だった。それからブランは「しかし」と話を続けた。


「黄の雑種にしては瞳の色が暗い。ホノカは本当に黄の吸血鬼なのかな」


 ドキリとした。


 ブランがじっとアタシを見ているような気がする。テーブルの上で組まれた彼の指が小刻みに動いている。


「実は彼女はまだ契約途中なのだ。だから瞳の色が変わっていない」


「契約途中? ということは、ホノカは野良なのか。野良がこんなにも大人しいなんて」


 ブランが驚いた声を出す。


 やはり不完全な吸血鬼のくせにこうして平然としていられるのはおかしいらしい。アタシとしては理性を失っている方がおかしい状態なのでこれで良いと思っているのだけれど、野良吸血鬼を見たことのある側としてはアタシの方が異常なんだろう。


「そんな野良は今まで見たことがない」


 ニタリとブランの口角が上がったような気がした。

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