第16話 Resistance×Bugs×Vampire

「お前も思うだろう? アイゼンバーグが来ると」


 こちらを向いて問いかけてくる男の人。しかし彼が欲しているのはただの同意、それ以外は言わせないと不適な笑みをたたえた表情が語っている。


 有無を問わない冷たい瞳に、作られた笑顔。彼の欲しい言葉以外を言えば非道いことをさせるのは間違いない。


 怖い。でもアタシは一筋縄ではいかない人間であると自分で自分を信じている。アタシはぎゅっと拳を握って真っ直ぐ男の人を見た。


「思わない。アイゼンバーグは絶対に来ない!」


ガッゴッ


「いっ!」


 男の人が勢いよくアタシの顔を掴み、コンクリートの壁に押しつけた。凄まじい音がして、同時に鈍い痛みが襲ってくる。頭蓋骨にヒビでも入ったのではないかと思うような痛さだ。すごくジンジンする!


 じわり、目の奥から何かがしみ出してきそうになるが唇を噛みしめて堪え、アタシは指の間から見えるヤツを睨みつけた。


「今何て言ったんだぁ? 人間」


 ギラギラと輝く怒った瞳。聞こえているくせに! 怖かったが、アタシはまた両手でヤツの腕をがっしり掴んだ。


「来ないって言った!」


 抵抗ぐらいしてやる! とばかりに叫ぶと、目の前のヤツの顔が見る見るうちに化け物に変化していくのが映った。ホントに化け物。吸血鬼だからとかそういうわけではなく、明らかに異形のものだったのだ。やばい、そう思ってももう遅い。


「ほう……気に喰わないねぇ」


「!?」


 ヤツの色のない手がアタシの足に伸びた。あまりにも冷たい感覚に身体が震え、咄嗟に両手で足を触る手を退かそうとしたが両手はアタシの頭を掴んでいたヤツの手に拘束されることとなる。頭は自由になったが、両手を掴まれてしまってはどうしようもない。


「放して! 放してよ!」


 思いっ切り叫んでも怒りをたたえたニタニタ顔は変わらない。


「ローザンヌ! 放してやれよ!」


 驚いた。思わぬところに救いの手があった。視線を動かしてみるといたたまれないような気持ちになってくれたのか、お兄さんが眉間にしわを寄せて男の人の後ろに立っていた。彼は……ホントによく分からない。


「さぁて、どうしたものか」


「痛っ!」


 上ずった悲鳴が出た。目を離した隙にヤツの爪がアタシの太股に食い込んだのだ!


 爪はゆっくり上に移動してくる。割られた皮膚から赤いものが流れ出し、スゥゥゥと縦縞を入れていく。


「やめ、やめて!」


 アタシは出来る限り暴れようと頭を振り、足をばたつかせてみた。貧血の所為で頭はどんどん重たくなり、視界が歪み始めるが今は構っていられない。コイツから逃げることが最優先だ!


「ククク、粋の良い奴は嫌いじゃない。壊れた後の顔が面白いからなぁ」


ズブッ


「ッあー!!」


 あの切ったような焼いたような傷に到達するやいなや、ヤツは思いきり深く爪を食い込ませた! 怖ろしい痛みに紛れて指が肉を触る感触と爪が切り裂く感覚がする。もう頭痛なんて吹っ飛んでしまった!


「いいぃぃ……」


 必死に奥歯を噛みしめて涙と悲鳴を堪える。今口を開いたら大声で泣いてしまいそうだった。


「ローザンヌ! やりすぎだ!」


 ぼやぼやした視界にお兄さんが近づいてきてヤツの肩を掴むのが映った。


「……いっ!」


 ヤツは爪を抜き、アタシの血で真っ赤に染まった手を見せびらかすようにして、舐める。


「ふぅーん。悪くないねぇ」


 その後の真っ黒い笑みが今日見た中で一番怖ろしかった。人間のことを語った時のアイゼンバーグの表情よりも数倍狂気に満ちていて、一瞬でアタシを恐怖のどん底に陥れた。何かの引き金を引いてしまったのは考えなくても、分かる。もうダメだ、諦めがにじんでくる。


「ひっ!」


 アタシは突然床に放り投げられ、金髪の男の人と剣のあの人の近くまで滑ってから倒れ込んだ。すぐさま上半身だけ起こし、下からヤツを見る。少なくとも足が痛くて動きそうにないのを悟られないようにしながら。今でも激しい痛みは波のように襲ってくるのだ。もう諦めたいのに、それではいけないとアタシの中のアタシが叱咤してくる。


 ヤツが笑ったままアタシの目線までしゃがんだ。良い獲物を見つけた、とでも言いそうな表情は喰われる側のアタシを恐怖で埋め尽くす。もうすでにアタシの中は恐怖でいっぱいなのに。


「いい顔だなぁ」


 アタシはさぞかし怯えた顔をしているんだろう。だって、とても怖いのだ。身体がカタカタと震え出すくらい。


「お前、吸血鬼は好きか?」


 急に、何を言い出すのだ。アタシはカタカタ震えながら、ヤツの真意を考えようとした。


「答えろ。吸血鬼は好きか?」


 ギラ、とヤツの目が光った。三度目はない、というような顔をしている。身体がビクリと大きく震えた。ちくしょうっ。


「……嫌い。アンタみたいなヤツ、大っ嫌い!! 吸血鬼なんて大っ嫌い!」


 本心だった。人を見下し、簡単に命を奪おうとする吸血鬼なんて大っ嫌いだ。ただ、少しだけ。少しだけアイゼンバーグはましかもしれないと思うだけ。でも彼だって人を見下しているような態度を取るし、命を軽く扱っているような気がする。相手の命も、自分の命もだ。アタシは彼の気まぐれで命を助けられたから彼のことを少しだけ好ましく思っているに過ぎないのだろう。たぶん、それ以外の意味はない。


「いいねぇ。お前ならそう言うと思ったよ」


「うぐっ」


 ヤツは再び凄まじい力でアタシの顎を掴んだ。指が上顎と下顎の間に食い込んでいく。堪らくなって口を開け、両手でヤツの手を掴んだ。案の定、ヤツの手はビクともしない。


「自分が大嫌いな吸血鬼になったら、お前はどんな顔をするんだぁ?」


 は? アタシは目を見開いてヤツの顔を見た。真っ黒な目を弓なりに曲げ、口角を上げてニヤリと不敵に笑っている。


 何と、言った? アタシが、吸血鬼になる……?


 ヤツが銀色の牙で自分の右手首を噛み切った。途端、血が白い腕に赤いカーテンを作る。


「見物だな」


 言ってヤツは右手を下げて指先から血を滴らせた。一滴がアタシの瞼に落ちる。二滴目が、頬に落ちる。待って、もしかして吸血鬼の血を飲んだら吸血鬼になるとかそういうことか!? そんなの嫌だ!! 吸血鬼なんかになりたくない!! 化け物になるなんてごめんだ!!


「あー!! あああー!!」


 アタシは精いっぱい暴れた。足をばたつかせ、ヤツの手を掻きむしり、頭を振ろうと努力した。しかし、アタシの顎を掴むヤツの手は微動だにしない。


 どうしよう、アタシ、吸血鬼になっちゃうの? そんなの嫌だ!

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