#2
* * *
そうして、僕は大人になった。
物理学の部長とはちがい、僕は生物学の道へ進んだ。
だから物理は門外漢だが、今の僕なら恐らくあの頃の部長以上の知識を持っているだろう。恐らく、というのは、あの頃の僕には知らないことが多すぎて部長についてけていなかったから。だからざっくりとしたあの部長の話が、僕ら部員に向けた大略版だったのか、それともあれがあの時の部長のすべてだったのか、今となっては知る由もない。部長は未だ戻ってこないから。
三人の少女が忽然と姿を消した、ハーメルン事件。部長の失踪を最後に事件は陰を潜め、未解決のまま、残された僕らはまるで何事もなかったみたいに日常を過ごし、卒業式を迎えた。
今の僕はタイム・トリップを信じない。けれど、心のどこかで。いや。
きっと彼らはもう戻らない。
だから僕は。でも、僕は。
部長に会いたいのだ。会って話を聞きたいのだ。――何を? あの時、あの最後の雨の日に、部長が僕に伝えようとしたことが何なのか。知りたいのだ。
もう一度会いたい、あの当時の部長に。
中学生の時、学校行事で、在校生の僕らは校庭の隅にタイムカプセルを埋めた。二十歳の同窓会でそれを掘り返した。大人になるのはずいぶん先だと思っていたのに、あっと言う間の数年間だった。けれど、中学生から成人へ。同級生たちは当時の面影を僅かに残しながらも皆一様に様変わりしていた。ただ部長だけが。部長と黒木と白井だけが。あの頃と寸分たがわぬ姿で記憶に巣くっている。
タイムカプセル。クラスごとにまとめて、将来の自分へ宛てた手紙なんかを入れていたが、部長は冷ややかな笑みを浮かべていた。
「私たちは」
部長が僕に言った。
「私たち科学部はもっと科学的なものを入れましょう」
「ええと、なんか……電子基盤とか?」
「ふふ、なにそれ」
鼻で笑われる。
「未来の科学技術を信じて。何が良いと思う?」
部長が尋ねる。
委員がタイムカプセルの封入時限が迫っていると声を上げている。あまり大層なものを準備する時間は無い。
「じゃあ……自分の体の一部、髪の毛とか。どうでしょう。そこから培養して将来悪くした臓器を移植したり、あ、今の僕らの記憶を読み取ったりできる、かも」
どんどん声が小さくなる。ちらりと部長を見る。笑ってる。部長が満足げに微笑んでいるので、僕はほっと息をついた。
それで、僕らは。今やたった二人きりの科学部である僕らは、そのタイムカプセルに、髪と爪を入れた。それぞれ名前を書いた小さな封筒に入れて。
だから僕は研究している。クローン生成技術を。
タイムカプセルを掘り出した日、そっと部長の封筒を手に入れた。部長の、髪と、爪を。ここから彼女を再生させる。それが僕の研究目標だ。
しかし、当然ながらそう上手くいくわけもない。凡人の僕だから。
部長の残した封筒を振ってみる。何も無い。黒い髪の一束と、切り落とした爪の断片以外は何も入っていなかった。部長ならもっと何か入れているかもしれない。クローン技術のヒントとか。そう思ったが、手紙の一枚さえない。いかにも部長らしい。スパルタ指導だ。
この道を、僕は一人で進むしかない。
しかし、すぐに行き詰る。
何がクローン生成だ。僕はただ現実逃避しているだけではないのか。彼女を失ったことをまだ受入れられずに。
部長は。本当に信じていたのだろうか。こんな爪の欠片ひとつで細胞が生成されると。リアリストの部長。夢の欠片からのクローン生成は、果たして科学か、それともただの空想か。
彼女の姿を思い浮かべる。
「ハーメルンは笛を吹かない」
僕が震えながらそう言うと部長は笑った。
「そりゃそうだよ。ハーメルンは人名じゃなく地名なのだから。真理だね」
そう言って笑った。あの真っ直ぐの瞳を僕に向けて。現実を射抜くあの瞳を。
事実と仮説をごっちゃにしては真実を見失う。
科学部の僕らが求めるべきは、真理。真実。部長はそう言った。
時を越えて、部長が僕に語る。彼女に会うために。僕がまずしなければならないことは、あのハーメルン事件を解決することなのではないか。
カタン。僕の中で音がした。止まっていた時計が動き出す音が。
未解決で終わったハーメルン事件。
三人の被害者の共通点である「科学部」でくくると、疑わしい人物はぐっと絞られる。
三人には科学部という以外の共通点はなかったはずなのだから。
確かに三人とも同学年であったが、クラスも別々、まるでタイプも違うため共通の友人もいない。そもそも部長には友人という概念がない。また、成績も趣味もバラバラ、第三者が見る限り、共通点は科学部員であるということ以外は考えられないのだ。
とすれば、疑わしい人物は?
当時の僕は、部長を疑った。けれど彼女もまた消えてしまった。
他には。
協調性のない僕らだったから、部員間の繋がりも薄い。各部員を結びつける人物として、強いて挙げるというならば――、
部長。
副部長である僕。
そして、科学部顧問のヤギセン。
そんなところか。
部長はもういない。僕自身が犯人でないことは自分がいちばん知っている。あとは。
十年近い年月を経て、僕はヤギセンを訪ねることにした。
あの頃の僕もヤギセンを疑わなかったわけではない。ただ。あの時の僕はまだ、子供だったのだ。
ヤギセンは今は公立校ではなく、私立の学校で教鞭を取っていた。アポイントを取ると、あっさりと会ってくれた。
久しぶりに会うヤギセンは、大きな眼鏡に青白く頼りない顔、ひょろりとした体躯に白衣を羽織り、当時と変わらぬ姿だった。十年の歳月が流れても、子供と違い、大人はこんなにも変わらぬものなのか。僕はじっとヤギセンを見つめる。ヤギセンも目を逸らすことなく僕を認めた。
「僕は、あのハーメルン事件を改めて調べようと思っています。部長たちを探すために」
「ああ……」
ヤギセンは小さく息を吐いた。もう生きているはずないだろう、今更そんな無駄なこと。ということなのか、それとも。ついにここまで辿り着いたのか。ということなのか、または。あの子達は今もまだ見つからないのか、というたんに教師としての教え子への同情なのか。僕には判断がつかなかった。
「ついては、先生にも話を伺いたいのです」
単刀直入に切り出すと、じっと僕を見ていたヤギセンは、目を細めてふっと笑みを浮かべた。
「きみも大人になったなあ」
しみじみとそう言って、ヤギセンは僕の問い掛けに、一つひとつ答えてくれた。科学部顧問だったあの頃と変わらぬ細やかさで。
結果、結論からいうと、ヤギセンは無実だった。
当然といえば当然だ。当時警察の捜査でも挙げられていないのだから。素人の僕がそれ以上の新事実を得られるはずもない。ただ、改めて話を聞き、ヤギセンの無実に疑いはないという結論を得ただけだ。
ヤギセンは今年四十二だという。当時は三十代半ば。三十代半ばで独身の男性教諭を僕は少しばかり疑ってみたのだ。特殊性愛者なのではないか。彼は少女しか愛せないのではないか。そんな風に。
けれど、ヤギセンはそんな僕の疑いを敏感に察知して、真摯に答えてくれた。一人の大人として。
ヤギセンは今も独身であるという。しかし、恋人がいないわけではない。ただ、その相手と法律上の婚姻関係を結べないだけだ。ヤギセンは自身がゲイであることを僕に告げた。当時も年上の恋人がおり、また、アリバイもあった。なので、警察の調べを受けはしたが、即時その事実が立証されたため、聞き取りだけで済んだのだと。しかし、ゲイであるということが職員間で広まり、居づらくなって公立校を退職した。ほんの数年前の話だが、今よりもずっと世間はマイノリティに厳しかった。
それらはすべて初めて聞く話だった。子供の僕は知らなかった。
けれど、ヤギセンは話してくれた。僕が大人になったから。そして。僕が、ヤギセンと同じように世間の中で生きづらさを感じていることを、敏感に察してくれたからなのかもしれない。
「がんばれよ」
別れ際、ヤギセンはそう言って僕の肩をぽんと叩いた。僕はただ、ぐっと頷いた。
しかし、これで僕はもう行き詰ってしまった。
なにせ、知らないことが多すぎるのだ。事件のことも。ヤギセンのことも。部長のことも。皆のことも。
仕方がないので、片っ端から当時の部員等にも当たり、被害者である部長や黒木や白井について、話を聞いて回った。
皆、彼らについて知っていることは、断片的なものばかりだった。親友だからといってすべてを知っているわけでもない。
当時、白井には恋人ができたようだという証言がいくつかあった。証言者たちは「カレシ」という表現をしていたが、誰もその相手を知らなかった。ふわふわした夢見がちな子だったから、妄想の恋人だったのではないかと言う者までいた。
同じ時期、黒木にも好きな相手がいたようだ。白井と違って、黒木は好きな人ができたと自ら吹聴していたようだが、こちらもその相手を知る人はいなかった。黒木に関してはあまりな熱の入れようから、片想いであったろうというのが大方の意見であった。
部長に関してはそのような浮いた話は一切出なかった。僕は少しがっかりし、また、どこかほっとしたりもした。僕だけじゃない。誰も部長のことを知らないのだ。
それで?
だから何ということもない。
あとは彼女たちが当時はまっていたマンガやドラマ、その性格についてなど。確かな情報など何もない。
ただ、僕は集めたピースを並べてみる。始まりから出口まで。なるべく破綻のないように。と思うものの、できた物語は我ながら突拍子もなくて。けれど、そうだとしたら話を紡ぐことができるのだ。そうだとしたら、部長はまだ生きているかもしれない。そう思うのだ。
白井の恋人、そして黒木の想い人。同じ人だったのではないか。
それが、部長だったのではないか。
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