連理.下 人をも身をも恨みざらまし

 またある時、吉祥天が初子となる三人の赤子を身ごもっていた頃のことである。

 すでに腹もかなり膨らんでおり、臨月を控える状態であった。


 さような過酷な時期に、毘沙門天は例によって花一輪摘んで帰って来た。

 ちなみに、吉祥天の妊娠から出産までの間、毘沙門天が帰城したのはたったこの一度きりである。


「大事はなかったか」


 今日の夫も、平常運転である。

 変わり映えないが、ゆえにやはり愛想の欠如がなおさら目立つ。


 吉祥天はさすがに、このいっときばかりはやきもきした。

 一人孤独につわりを耐え抜いたというのに、世の男はこうにも無関心で女身をいたわらないものなのであろうか。はたまた、夫は抜きん出て、父親としての自覚が薄いのだろうか。


 ついに吉祥天の薔薇のような唇が、への字にゆがんだ。


「いつも同じ言葉ばっかり、もっとほかに言うことはないの?もうすぐ赤ちゃんが生まれるのよ、もうちょっと嬉しそうな顔したらどう?」


 そのように毒付いてみるが、夫にはまるで効かなかった。

 毘沙門天はただ、「ウン」と答えるだけである。しかも、やおら布巾を片手にしとねに座すれば、黙々と三叉戟の手入メンテナンスを始めるのである。朴念仁、にべもなし。


 吉祥天はますます機嫌をそこねて、その背に精一杯の罵倒を浴びせた。


「ちゃんと、私たちを愛する気ありますの?」


 妻が、夫を睨む。

 その双眸たるや、毛を逆立てる怪猫のごとくに恐ろしい。丸太を貫通するような、鋭き閃光せんこうを放っている。


 されども毘沙門天には、依然として無効ノーダメージだった。

 手入メンテナンスの手を止めずに数拍置いたあと、しまいに渾身の反撃を放ったのである。


「心外だな。なにか不満でも?」


 このおれに愛されておいてなんぞ不服があるのか、そう言いたげだ。

 まったくもって呆れる、今世紀最大の会心の一撃である。


 吉祥天は押し黙って、以降はたとえ乞われても絶対に口を開かなかった。

 そっぽを向き、窓の外を眺める。深い森林の花園の中を、つがいの黄蝶が舞っていた。


 虫でさえ比翼連理ひよくれんりであるというのに、我々は互い抱き合う抱擁すらない。こうして夫婦間の恋慕は、冷え切った恋人のごとく年々に薄れていくのであろうか。


 ところで、その日に贈られた一輪は、紫蘇花に触角が生えたような白いだった。のちのち知るに、それはネコノヒゲという名で、花言葉は「家庭円満」なのだとか。

 なんだかんだと言うも、毘沙門天はなにごとにも一番に家族の幸福を想っている。




 毘沙門天が再帰城を果たしたのは、吉祥天が最勝さいしょう獨犍どっけん哪吒なたの三つ子を出産してはや数ヶ月が経った頃だった。


 その日の毘沙門天の肌は、ひときわいちじるしく返り血を浴びていた。

 それを気にするでもない本人は、入陣するなりまたぞろ妻のもとへ一直線に歩いていった。


 されば、吉祥天が両腕に赤ん坊の最勝をかかえて出迎えるので、さぞや驚いたことであろう。

 初子を実見した毘沙門天の両眼が、前古未曾有としてまたたくまに見開いたのは言うまでもない。


 第一子の最勝は最重量ながら皮薄かわうすで、豆腐のような質感に桃のような色素だった。すでに貫禄満々として、赤子にしては子猫のようなかわいげもなく、誰ぞによく似てふくれっつらであった。

 つぶらな瞳が、毘沙門天の仏頂面をいかにも怪訝にしげしげと見つめている。


 毘沙門天も、一瞬すっかり固まって、興味津々として吾子の顔をまじまじと凝視した。



 ————なんだ、このヘンな生き物は。



 双方、そのように思っていそうだ。

 それから吉祥天は、夫の厚皮あつかわをけがす血飛沫などは意にも介さず、我が赤子を毘沙門天の胸へと押し付けた。


「わたしの赤ちゃん、おとうさまですよ。ほら多聞さんもどうぞ、ぜひお抱きくださいな」


 嫁から妻へ、妻から母に成り。

 婿から夫へ、夫から父と成る。

 そうして晴れて、家族となった日こそは———。


 吉祥天は、父の初舞台を見たくて、最勝を毘沙門天の血にまみれる両腕の中へ移したがった。

 ここで毘沙門天がはじめての我が子をだっこしておれば、どれほどに大きな感動があったか計り知れぬ。


 だが当時の毘沙門天は、惜しくもこの機を逃した。

 手をこまねいて、赤子が自分に渡ってくるのをかたくなに拒んだのだ。


「おれは、いい」

「いいって、そんな……」

「いい………」


 毘沙門天の握り締められた両拳が、ひらくことはとうとうなかった。

 のちに一家は子供五人となるが、毘沙門天はいずれも赤子時代の息子どもを抱き上げずじまいだった。直接としては触れずさわらず、育児にはとんと無縁のままであった。


 ただ、無関心だったわけではない。しかとよしはあるのだ。


 毘沙門天の両手は、いつも鮮血によごれている。奪った命は数知れず、冥土のキを踏む死で穢れている。洗い落としたとて、ニオイは消えない。

 そのような五指で、新生児の玉なる肌を赤く染めたくはなかった。ありがたく授かったみずみずしきせいに己のような死神は似合わぬだろうと、父は一歩退かざるをえなかったのである。

 不浄から愛しきたまを護らんとした、自然的な擁護本能だ。毘沙門天は彼なりに、父としての最大限の演出をしていたのだった。


 しかしながら吉祥天にとっては、毘沙門天の行動はあまりにもそっけなく見えたであろう。

 父親が子育てに協力的でない姿勢は無論、産みの母をおおいに愕然とさせた。毘沙門天への熱烈な愛も多少冷めるほど、その心は失望して傷ついたやもしれない。


 言わずもがな、以来夫婦間の会話はさらにぎくしゃくとして減少した。


 しこうしてわずかなはあったものの、毘沙門天の花摘みだけは廃るることなくなおも続いた。むしろ、だんだん本数が増えた。

 三つ子に恵まれれば、異なる種類の花々が三本分増す。四男・五男が誕生したあかつきには、それぞれ一本ずつ盛ってくる。いつしか、花六輪どころではなくして、両手いっぱいのたばを持ち帰ってくるようになった。

 見事な花束ほど吾子がカラカラと笑うので、鈴を転がせたようなその喜ぶ声を聞きたいばかりに、小顔程度すっぽりと埋まるる量が定番化する。


 だっこもおんぶも叶わなかった毘沙門天であるが、代わりに花が唯一我が子との接点であった。

 父性のこもる花が日に日に増えたのも、愛しい妻子への情があふれてしかたがなかったのやもしれぬ。


 これで吉祥天の、寂しさに傷ついた心が癒えたかどうかはうかがい知れぬが、しかし確実に彼女の笑顔は断然美しくなった。

 押し花の収集箱も、いつしか大棚からあふれんばかりに大量となる。それらの多くは、引っ越しのたびにいくばくか断捨離することとなったが、たがわず生涯残る家族の思い出であった。


 今や、最勝も獨犍も哪吒も、父毘沙門の懐刀ふところがたなとなって返り血を共有するまでに立派に成長した。

 しかしそれが、穢血えけつ無きように育てた毘沙門天の本懐とするところかどうかは、吉祥天でさえも察し得なかった。





                     了.

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