2章 私の生き方
第21話 春の潮風
「あ、ここか!
前を歩いていた楠さんが、私たちの方を振り返ってそう言った。風を浴びた淡い青のロングスカートもふんわりと揺れる。その様子に思わず、私は顔が綻んだ気がした。
五十嵐くんは、お腹空いたなと言いながら私の隣を歩いている。心なしか学校にいる時よりもリラックスして見える。
菜の花が道端に生え始めた頃、高校2年を終えて春休みに入った。
春休みに入った私たち3人は、ラーメン屋の王貝に向かっている。……後ろを歩くライアーも含めたら4人になるけど。
ライアーは特に何も言わずに歩いている。楠さんと五十嵐くんがいる場で、話しかけられても困るからその気づかいは有難い。でもたまに音もなく、振り返ったらいないみたいなことが、過去に何度かあったからやめてほしい。
だから時々、楠さんたちに不審に思われないようにしながら後ろを振り向く。 そんな気持ちでいる私を理解していないライアーは、少し微笑んで首を
そんなことを考えているといつの間にか王貝の
暖簾をくぐり、店に入ると前回来た時と同様に店主の「いらっしゃい!」と威勢のいい声が響いた。店の中はカウンターに2人座っているだけで他にお客さんはいなかった。お昼どきなのに大丈夫なのかと少し不安に思う。お願いだから潰れないでほしいと心の中で小さく願った。
私たちは奥のテーブル席に座ってメニューを広げた。ちなみに五十嵐くんはいつも通り豚骨ラーメンにするらしい。
「……うーん、私も五十嵐くんがおすすめしてる豚骨ラーメンにしようかな。前は貝だしラーメン食べたし」
「お、マジ!めっちゃ美味いから是非食べてほしい」
五十嵐くんがそう言うと、楠さんが「そう言われたら迷うよ〜」と言いながら何度も、貝だしラーメンと豚骨ラーメンのページを往復した。
なかなか決められない楠さんに、五十嵐くんがいたずらに
「あ!待って、天才かも!私、貝だしラーメン頼むけど、栗本さんの豚骨ラーメン少しもらえばどっちの味も楽しめるじゃん!」
「おいおい。勝手に栗本さんのもらうなよ……」
「あ、私は別に大丈夫だよ」
「ねっ、栗本さんもそう言ってるし!それに私の貝だしラーメンも分けるからさ〜……あ、五十嵐くんもついでに少しあげるよ」
楠さんの言葉に五十嵐くんが、ついでかよ……と少し笑いながら呟いたあとラーメンを注文した。
待っている間、私の向かいの席に座る五十嵐くんの服装をやっとちゃんと見た。
グレーのニットに黒のテーパードとシンプルな服装ながらも、ファッション誌の表紙にいる人みたいだと思った。
「あ、今日よりによって白シャツ着けてきちゃったな」
楠さんは自身の白のワイシャツを指で
「はは、汁が飛び散ったら水玉模様になるんじゃないか、茶色の」
「最悪。……しかも今日、何も羽織れるもの持ってないから汚れたら終わりじゃん!」
五十嵐くんの冗談混じりの言葉に、楠さんは眼鏡を上げ直し、呆れぎみに笑って返した。私も笑っていると、ちょうどラーメンが席に運ばれた。ついでにシェアする用の
最初に楠さんは私の豚骨ラーメンを小椀に少し取り分けた。続いて私と五十嵐くんも楠さんの貝だしラーメンを少しもらった。
「……うん、美味しい」
「あ、うま」
「え、めっちゃ美味しい!!貝だしも豚骨もどっちも美味しい!」
誰も細かい食レポをしないまま、終始黙々と麺をズルズルと啜りながら食べた。
私たち3人は学校でも弁当を食べている時は、何も話さず食べるのに夢中になることが多い。だからこそ別に気まづさとかはなくて、むしろこれが私にとっては安心感がある。
王貝を出た後、私たちは学校近くのバス停から青いバスに乗って植物園に向かった。
バスに揺れている間、学校のことや春休み中のこととか他愛ない話を聞いていた気がするけど、あまりはっきりと覚えていない。私は目の前に座ったライアーから目が離せなかった。窓の向こうの景色は、永遠とヤシの木やソテツが続いていた。そんな景色をライアーは、静かな眼差しで表情を変えずにずっと眺めていた。……ライアーは一体なにを考えているんだろう。それとも何も考えていないのかな。
やがてトンネルを抜け、植物園に近付いてくると、ヤシの木に加えてハイビスカスやマンションの入口にはブーゲンビリアが植えられていた。一気にリゾート感ある町並みが視界に飛び込んだ。
「……なぁ、今って春だよな?」
「ふふ。うん、そうだよ?」
五十嵐くんが片眉を下げて少し笑いながら私に聞いた。その言葉の意図が分かった私も微笑んで返した。
「あはは、なんかここだけずーっと夏の景色のままだよねー!なんかハワイ感ある。ハワイ行ったことないけど」
3人で同じ館山市なのにここだけずっと夏だと共感していると、アナウンスでバス停の名前が流れ、慌てて降車ボタンを押した。
植物園に到着すると、ここでも大きなヤシの木が出迎えてくれた。南風が吹くと、葉を揺らしてザワザワとこちらに何か話しかけているようだった。
植物園は基本、温室の中をひたすら歩いて鑑賞する構造になっている。雨が降っても楽しめる施設で、みんな幼い頃に行ったきり一度も訪れていないということで今回のプランに取り入れた。
……でも今日は快晴日和だから雨の心配はなさそう。
「あ、これよくホームセンターとかに売られてるやつじゃない?……へぇ〜モンステラって言うんだ!」
「ここのゾーンは、どこかで見たことあるけど名前は知らないっていう感じの植物が多くあるな」
確かに、と返して私はゆっくりと散策した。丁度いい湿度と陽の光が心地良い。
ラーメン王貝といい、ここも春休みにしては家族連れが数組いるだけで閑散としていた。……大丈夫かな、館山市。
次に果樹ゾーンに入ると、ほんのり甘い香りが鼻腔をくすぐった気がした。
「あ、見て!バナナだ!!」
楠さんが指した方向に、まだ熟していない緑色のバナナが連なっていた。
……そういえば、幼い頃に両親と一緒に来た時にはバナナに3人ともベタベタと触った。けれど、目線を下にすると看板に赤文字で『さわらないでください!』と書かれていてサッと家族みんなで手を引っ込めた。……幸いにも周りに人が居なくて安心して笑ったな……。
私の5メートルほど前にいる家族の後ろ姿に、なぜだか胸が締め付けられた。
「あれ?これ……ドラゴンフルーツか?」
「えっ、ほんとに!?……うわ!パイナップルの葉が攻撃してきた!痛い!」
「ふふ。気をつけて〜楠さん」
五十嵐くんは肩をすくめて笑うと、私たちに手招きした。
バナナと同じようにドラゴンフルーツも緑色のままだった。
ピンク色の熟したものを見たかったねと話しながら、次は動物が飼育されている屋外に出た。
「わ!カピバラがめっちゃいる!!可愛い〜」
楠さんがそう言うと、近くに居た飼育員さんが触っても大丈夫ですよと言ってくれたため、みんなで背中らへんを撫でた。
カピバラの毛並みは思ったより
他にも鮮やかな青と黄色の羽をもつオウムやモルモットが居た。モルモットのコーナーは餌やり体験が出来たから100円ずつ係の人に渡して、人参や小松菜をあげた。終始、楠さんと可愛い可愛いと、はしゃいで癒しの時間を過ごした。
絵を描いている時とは違った、楽しい時間だとしみじみと感じた。
植物園自体、そこまで広くはなかったけれどいつの間にか2時間以上経っていた。時刻は16時で、西日が照らして眩しい。
眩しい中、私たちは植物園を出て少し坂を登った。楠さん曰く、植物園のすぐ上の方にソフトクリーム屋さんがあるらしい。
私と楠さんは坂を上がりきる頃には、息があがっていたけれど五十嵐くんはサッカー部なだけあって涼しい顔で先頭を歩いていた。
私たちはソフトクリーム屋と言っていたけれど、到着すると実際は昭和感あふれるパーラーのようなところだった。ソフトクリーム以外にプチケーキやオムライス等も販売しているらしい。
ここは小規模ながらも、地元の人々や観光客もいて
「……ねぇ。ソフトクリーム、バニラとチョコどっちも売り切れることってある?」
「……ピーナッツ味はあるらしいな。まだこっちが売り切れな方が納得できる。観光客はピーナッツソフトクリーム食べないのか……?」
レジ上の横一列に並んだメニューパネルに、色褪せたソフトクリームの写真があった。けれど、そこにはマジックペンで書いたA4の紙が貼られていた。“本日、バニラとチョコは売り切れ” と。……ソフトクリーム売り切れてるの初めて見たな。
せっかくここまで来たから私たちはピーナッツソフトクリームを食べることにした。
店員さんが厨房へ行き、姿が見えなくなると楠さんが身を少し縮ませて口を開いた。
「……え、ピーナッツソフトクリームだけなんか高くない?バニラとチョコは150円らしいのに、なんでピーナッツだけ400円なの?」
「……だからピーナッツ、売れ残ったんだろうね……千葉の特産品なのに」
「だよな。どう考えても価格設定ミスってる」
小声でコソコソと話していると、店員さんが出てきたから話は止めた。
ソフトクリームを受け取ると、空いていた錆びたベンチに3人で座った。
薄黄色のソフトクリームの先端を唇で挟むと、口内にピーナッツの香ばしさとクリームの甘さが広がった。少し体が暑かったから口がひんやりとして丁度いい。
足元は日なたで照らされ、海は星屑が落ちてきたようにキラキラとしていた。潮風は私たちのソフトクリームをつまみ食いするかのように、こっそりと何度もやってきた。
私が今日はすごく楽しかったと言うと、ふたりは何の裏もない笑顔で同調した。みんなが心から楽しめたことに嬉しく思った。
ソフトクリームを食べ終えると、私たちは帰りのバスに乗った。次第にバスの揺れと共に眠気が襲ってくる。ふたりはもう既に静かに眠っていた。
「……まゆりも寝ていいよ。降りる時が近づいたら起こすから」
乗り過ごしたらいけないと思って起き続けていた私をライアーが気遣ってくれた。
私は軽く頷いてお礼を言い、瞼を閉じた。
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