第13話 本当の理想



「───ねぇ、どうしてお母さんの前だと姿を消すの? ……繋いでてほしかった、手」



冷めた夕飯を食べながら静寂の中、向かいに座るライアーに聞く。


ライアーは湿っぽく、何か言いたげに私を見つめる。

けれど、私にまだ話す気はないようだ。……本当に話してくれるのかどうか、少しずつ不信感が積もる。その度に脳内で、手で振り払うようにかき消す。



「……すまない。あと少し待ってほしい」




ライアーの言う“あと少し”って一体いつなんだろう。 来週?それとも1年後、2年後?

“ライアーが真実を話すまでゆっくり待とう”と、自分の中で決めたことなのに、不安の波が押し寄せているせいで先走ってしまう。



───私とライアーは、近いようで遠い。

心の隅にあった思いが、今は中央に来ているようなそんな感覚。

今、ライアーと一緒にいても安心感よりも、不安でどこか落ち着かない気持ちの方が強くなっていった。












────期末テスト1日目。

朝一発目の数学のテストということで、あちらこちらで嘆いている声が聞こえる。テスト開始まで10分を切る中でも、私は復習ノートを見返す。



あの日から、お母さんとはなんだかぎこちない空気の中で過ごした。……けれど、ライアーは翌日になると普通にいつも通り接してきた。

少し驚いたけれど、私からしたらそれが有難ありがたかった。

相変わらず、大事そうなことは教えてくれないけれど、テスト勉強の際には聞いた事全部を教えてくれた。



ライアーに、「なんでそんなに知ってるの?」と聞くと、「うーん、人より長く生きているからね」とライアーは答えた。 もっと詳しく聞こうとしたけれど、何となく私が踏み込んだところで、答えてくれない気がして、その日はやめた。





テスト開始まで残り2分を切ったところで、先生から教科書類を片付けるようにと指示され、シャーペンと消しゴムだけを机の上に出した。


頭の中で、公式や問題に応じた解き方を唱え続ける。



するとライアーが、座っている私のそばに来て、机の上に置かれた汗で少し湿った私の手を、そっと握った。

私が顔を上げると、静かにいだ海のような瞳でライアーは私を見ていた。 その瞳からライアーの口癖である「大丈夫」という声が、言葉を発しなくても伝わってくる。



間もなくしてチャイムが鳴った。

チャイムの音と同時にテスト用紙が配られ、ライアーと手が離れた。 離れても、怖さや寂しさはなかった。私の心は、さっきまでの荒れていた海から、朝日が見える穏やかな海のような心になっていた。






テスト中もライアーは何も言わずに、近くで見守るだけだった。 それが私にとっては嬉しかった。

五十嵐くんと楠さん、そしてライアーに今まで教えてもらったことを活かして、自分の力で解きたいと思った。 だからテスト中に、ライアーの力は自然と借りたく無くなった。








朝イチの数学から、英語、理科、国語と続き、気づけば今日1日のテストは終わっていた。


私の学校は、こういったテストがある日は、お昼ごろには帰れる。

今は五十嵐くんと帰っている。途中まで楠さんとも一緒に帰っていたけれど、分かれ道に差し掛かったところでいつものように、「またね」と言って別れた。


楠さんと別れたあとも、今日のテストの話を五十嵐くんとしていると、



「あ、そうだ!栗本さん」


「ん?なに」


「このあと予定とかある?」


「え?……一応ないけど」


「じゃあお金、持ってる?……千円あれば足りる」


「え、あ……うん。あるよ」



ぎこちない様子で、意図の分からない質問ばかりしてくる五十嵐くんに、私も戸惑いながらも答え続ける。

すると五十嵐くんは、意を決したかのように私を見て口を開けた。




「───ラーメン、食べにいかない?」



「……え、あ、うん。良いよ?」




突然のラーメンの誘いに、曖昧な返事になってしまったけれど、テストの集中力でエネルギーを使ったせいか空腹だった。……それに、お母さんも今仕事だから、丁度良かったかも。



五十嵐くんは、私が断るかと思っていたのか、先程までの不安そうな顔から一変、満面の笑顔を見せながら話す。焼けた肌に白い歯が映える。



「……良かったぁ! 俺の家の近くに魚介だしの効いたラーメン屋があるんだ。 だから今ちょうどお昼だし、急に行きたいなと思ってさ!」



「……あ、もしかして五十嵐くんが言ってるお店って『王貝おうがい』? 私も何年も前だけど、家族と行ったことあるよ。美味しいよね」



……懐かしい。小学生の頃、家族3人でお昼に王貝のラーメンを食べて、ドライブに行くのが大好きだった。



「そうそう!栗本さんも知ってたんだ。……あ、看板見えて来たよ」



「ほんとだ。……久しぶりだから、なんだか楽しみ」




のれんをくぐり、店内に入ると「いらっしゃい!」と威勢の言い声が響いた。

外装も内装も、数年前と変わらないなと思いながらカウンターに腰を下ろした。


メニューを開くと、魚介だしを中心とした様々なラーメンが載っていた。 豚骨も一応あるらしい。

私は無難にお店イチオシの「貝だしラーメン」を注文した。 五十嵐くんもてっきり魚介系のラーメンを注文するかと思いきや、まさかの豚骨ラーメンを注文していた。



「……てっきり、魚介系のラーメンを注文するかと思ってたよ」



「いや〜もちろん、魚介系も好きなんだけど今日はガッツリいきたくて。それに、ここ豚骨も美味いんだよ」



「へぇ〜そうなんだ。ここ、魚介のイメージが強かったからちょっと意外。……最後に来たの6年くらい前だったから」



「えぇっ、そうだったんだ! ……あ、豚骨がメニューに追加されたの、3、4年前くらいだったから……知らなくて当然だったかも。 今度、栗本さんも食べてみてよ」



「……うん!食べてみるよ」



そう会話をしているうちに、ガタイのいい50代くらいの店主が両手にラーメンを持って現れた。テーブルに置くと、モクモクと湯気と貝の香りが漂い、食欲をそそる。

五十嵐くんの豚骨ラーメンも背脂が器いっぱいに広がっていて、本格的なものだと一目見たら分かるほど、美味しそうだった。


レンゲで出汁をすくい、細めのストレート麺をすする。



「お、美味しい……!」



「……うん!美味いな!」



あっさりとした貝の出汁を、麺に絡めながら箸を動かす。 私と五十嵐くんは無言でひたすら食べ続けた。


食べている間、会話はそれだけだったけれど、お母さん以外の人と食事をするのが久しぶりで、なんだか新鮮で楽しかった。







「──今日はお昼、誘ってくれてありがとう。……今度は楠さんも誘って一緒に行こう!」



「そうだな! ……楠さんと別れる前に、ラーメン屋に行くことを思いついていたら良かったな……明日話したらぶちギレられそうだ」



「ふふっ……!明日一緒に、楠さんに怒られよう」



「そ、そうだな……!」




そう笑顔で話すと、私と五十嵐くんは王貝おうがいの前でそれぞれ帰路に着くことにした。



ライアーとふたりになったところで、冷たい革の手袋を着けた手をサッと当たり前のように握る。



「……ねぇ、ライアー。……テスト中、答えとか教えなかったのはどうして?」



「……うーん、そうだな……。

───まゆりの描く“理想”を理解したから、かな?」



「え?……当の本人は、言ってる意味が分からないんだけど」



「……僕は、まゆりの言っていた“文武両道”を、僕の力を中心に使って実現させようとしていた。それでまゆりも、満足すると思っていた。……でも、家で勉強を教えているうちに分かった。


───僕は、まゆりの理想をサポートするくらいでいいんだと。 まゆりは、自分の手で理想を実現したいんだって気づいた」




ライアーに言われて私もハッとした。

……そうだ。もし、例えライアーの言う答えをテストに書いて、満点を取ったところで私はきっと喜べない。むしろ、罪悪感でいっぱいになるのだろう。



「……ライアーの言う通りだよ。 これからもその立場でいてほしい」



「……あぁ、もちろんだ」




自宅に帰り、明日と明後日のテストに備えてテーブルの上に、教科書やワークを鞄から取り出す。

今日もライアーは、私の傍に立って優しく教え出した。













────期末テストから1週間後。


一斉にいろんな科目のテストが返却され、落胆の声や歓喜の声が、教室中にうるさいくらいに響いていた。


……と言いながらも、私も声には出さないけれど内心お祭り状態だった。




「……栗本さん、数学何点だった……?」



楠さんがドキドキした様子で、私に聞いてきた。



「えっと……85点だったよ!」



「えぇっ!?……私と一緒だ!!」




そう言うと、楠さんはテスト用紙を私の前に広げると、確かに右上に85の文字が大きく書かれている。



「えっ、ほんとだ!……あ、五十嵐くん」



「よぉ、98。自慢でもする気か??」



「なんで俺には、当たり強いんだよ……。というか、みんな高得点じゃん」




楠さんは眼鏡をクイッと上げると、冗談交じりに、荒っぽく五十嵐くんに対して言う。

最近になって楠さんは本来、明るくてお茶目な人なんだなっていう印象に変わった。


それから、なぜ五十嵐くんの点数を知っているのかというと、テスト返却前に先生が最高得点者を発表した際、五十嵐くんの名前が上がったからだ。 だから私達だけでなく、クラス全員が知っている。




「……今回、勉強会1回しか出来なかったから、また高3なってからでもやりたいな、俺」



「え〜勉強じゃなくても、普通に遊びに行こうよ!」



「……ふふっ、私もそれは思った。……そうだ、今度3人で王貝に行こうよ」



……これは私の本心だ。けれどすぐに、母親の顔がよぎり、刺繍針が指にちくりと刺ったような痛みがじわじわと染みつく。




「わ〜いいね、賛成!……ふたりだけ抜け駆けして食べたの、許してないからねっ!」



「それは悪かったって……」




3人で笑っていると、チャイムが鳴りふたりは慌てて自席へと戻って行った。








学校が終わり、鞄に教科書やノートを詰め込んでいく。……テストは終わったものの、ライアーとの勉強時間が楽しくて、今日も持ち帰ることにした。




「……栗本さん」



背後からその声が聞こえて、背筋が凍るような感覚だった。

───声の主は、まぎれもない水野さんだ。

何を言い出すのかと思い、振り向くと1枚の紙を見せてきた。


紙には、少し俯きながら微笑むライアーの姿が描かれていた。



「こ……これは……?」



「ザクロが描いた漆黒様らしいんだけど、合ってる? 私は漆黒様が見えないから、ザクロにデッサンをお願いしたの」



あぁ……なるほど。どおりで最近学校で、ザクロが紙と鉛筆を持って、ライアーのほうをチラチラ見ながら何か書いているな……と思ってたけど、そういう事か。




「……よく特徴を捉えていると思うし、似ているよ」



……ザクロの描いた絵は、意外にも特徴を捉えて丁寧に描かれていた。 けれど、どこかで私の方がもっと冷静で美しく、優しいライアーを描けるような気がした。




「……そう。でも一応、栗本さんも描いてくんない?」



「え?……なんでそこまでして……」




「───漆黒様。 ちょっと、私と栗本さんのふたりきりにして欲しいんだけど……お願いできない?」




そう水野さんは、ライアーの方を見て言った。

姿は見えずとも、オーラでそこにいるのが分かるのだろう。


ライアーは私の方を見て不安げな顔をした。 私は「大丈夫」と硬い口角を上げて、顔でそう伝えた。……本当は私も不安だけれど。

けれど、何となく大事なことを知れそうな気がする。 だから、今は逃げない。


私の意思が伝わったのか、ライアーは教室の外へと歩き出す。……一瞬だけ手を握ってくれたのがなんだか心強かった。



教室の後ろでふたりきりになったところで、私が話を切り出した。



「……水野さんは、ザクロと共にいつも何をしているの? 何が目的なの?」




「……ほしい」




「……え?」





「───漆黒様がほしいの」







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