第13話 本当の理想
「───ねぇ、どうしてお母さんの前だと姿を消すの? ……繋いでてほしかった、手」
冷めた夕飯を食べながら静寂の中、向かいに座るライアーに聞く。
ライアーは湿っぽく、何か言いたげに私を見つめる。
けれど、私にまだ話す気はないようだ。……本当に話してくれるのかどうか、少しずつ不信感が積もる。その度に脳内で、手で振り払うようにかき消す。
「……すまない。あと少し待ってほしい」
ライアーの言う“あと少し”って一体いつなんだろう。 来週?それとも1年後、2年後?
“ライアーが真実を話すまでゆっくり待とう”と、自分の中で決めたことなのに、不安の波が押し寄せているせいで先走ってしまう。
───私とライアーは、近いようで遠い。
心の隅にあった思いが、今は中央に来ているようなそんな感覚。
今、ライアーと一緒にいても安心感よりも、不安でどこか落ち着かない気持ちの方が強くなっていった。
*
────期末テスト1日目。
朝一発目の数学のテストということで、あちらこちらで嘆いている声が聞こえる。テスト開始まで10分を切る中でも、私は復習ノートを見返す。
あの日から、お母さんとはなんだかぎこちない空気の中で過ごした。……けれど、ライアーは翌日になると普通にいつも通り接してきた。
少し驚いたけれど、私からしたらそれが
相変わらず、大事そうなことは教えてくれないけれど、テスト勉強の際には聞いた事全部を教えてくれた。
ライアーに、「なんでそんなに知ってるの?」と聞くと、「うーん、人より長く生きているからね」とライアーは答えた。 もっと詳しく聞こうとしたけれど、何となく私が踏み込んだところで、答えてくれない気がして、その日はやめた。
テスト開始まで残り2分を切ったところで、先生から教科書類を片付けるようにと指示され、シャーペンと消しゴムだけを机の上に出した。
頭の中で、公式や問題に応じた解き方を唱え続ける。
するとライアーが、座っている私の
私が顔を上げると、静かに
間もなくしてチャイムが鳴った。
チャイムの音と同時にテスト用紙が配られ、ライアーと手が離れた。 離れても、怖さや寂しさはなかった。私の心は、さっきまでの荒れていた海から、朝日が見える穏やかな海のような心になっていた。
テスト中もライアーは何も言わずに、近くで見守るだけだった。 それが私にとっては嬉しかった。
五十嵐くんと楠さん、そしてライアーに今まで教えてもらったことを活かして、自分の力で解きたいと思った。 だからテスト中に、ライアーの力は自然と借りたく無くなった。
朝イチの数学から、英語、理科、国語と続き、気づけば今日1日のテストは終わっていた。
私の学校は、こういったテストがある日は、お昼ごろには帰れる。
今は五十嵐くんと帰っている。途中まで楠さんとも一緒に帰っていたけれど、分かれ道に差し掛かったところでいつものように、「またね」と言って別れた。
楠さんと別れたあとも、今日のテストの話を五十嵐くんとしていると、
「あ、そうだ!栗本さん」
「ん?なに」
「このあと予定とかある?」
「え?……一応ないけど」
「じゃあお金、持ってる?……千円あれば足りる」
「え、あ……うん。あるよ」
ぎこちない様子で、意図の分からない質問ばかりしてくる五十嵐くんに、私も戸惑いながらも答え続ける。
すると五十嵐くんは、意を決したかのように私を見て口を開けた。
「───ラーメン、食べにいかない?」
「……え、あ、うん。良いよ?」
突然のラーメンの誘いに、曖昧な返事になってしまったけれど、テストの集中力でエネルギーを使ったせいか空腹だった。……それに、お母さんも今仕事だから、丁度良かったかも。
五十嵐くんは、私が断るかと思っていたのか、先程までの不安そうな顔から一変、満面の笑顔を見せながら話す。焼けた肌に白い歯が映える。
「……良かったぁ! 俺の家の近くに魚介だしの効いたラーメン屋があるんだ。 だから今ちょうどお昼だし、急に行きたいなと思ってさ!」
「……あ、もしかして五十嵐くんが言ってるお店って『
……懐かしい。小学生の頃、家族3人でお昼に王貝のラーメンを食べて、ドライブに行くのが大好きだった。
「そうそう!栗本さんも知ってたんだ。……あ、看板見えて来たよ」
「ほんとだ。……久しぶりだから、なんだか楽しみ」
のれんをくぐり、店内に入ると「いらっしゃい!」と威勢の言い声が響いた。
外装も内装も、数年前と変わらないなと思いながらカウンターに腰を下ろした。
メニューを開くと、魚介だしを中心とした様々なラーメンが載っていた。 豚骨も一応あるらしい。
私は無難にお店イチオシの「貝だしラーメン」を注文した。 五十嵐くんもてっきり魚介系のラーメンを注文するかと思いきや、まさかの豚骨ラーメンを注文していた。
「……てっきり、魚介系のラーメンを注文するかと思ってたよ」
「いや〜もちろん、魚介系も好きなんだけど今日はガッツリいきたくて。それに、ここ豚骨も美味いんだよ」
「へぇ〜そうなんだ。ここ、魚介のイメージが強かったからちょっと意外。……最後に来たの6年くらい前だったから」
「えぇっ、そうだったんだ! ……あ、豚骨がメニューに追加されたの、3、4年前くらいだったから……知らなくて当然だったかも。 今度、栗本さんも食べてみてよ」
「……うん!食べてみるよ」
そう会話をしているうちに、ガタイのいい50代くらいの店主が両手にラーメンを持って現れた。テーブルに置くと、モクモクと湯気と貝の香りが漂い、食欲をそそる。
五十嵐くんの豚骨ラーメンも背脂が器いっぱいに広がっていて、本格的なものだと一目見たら分かるほど、美味しそうだった。
レンゲで出汁を
「お、美味しい……!」
「……うん!美味いな!」
あっさりとした貝の出汁を、麺に絡めながら箸を動かす。 私と五十嵐くんは無言でひたすら食べ続けた。
食べている間、会話はそれだけだったけれど、お母さん以外の人と食事をするのが久しぶりで、なんだか新鮮で楽しかった。
「──今日はお昼、誘ってくれてありがとう。……今度は楠さんも誘って一緒に行こう!」
「そうだな! ……楠さんと別れる前に、ラーメン屋に行くことを思いついていたら良かったな……明日話したらぶちギレられそうだ」
「ふふっ……!明日一緒に、楠さんに怒られよう」
「そ、そうだな……!」
そう笑顔で話すと、私と五十嵐くんは
ライアーとふたりになったところで、冷たい革の手袋を着けた手をサッと当たり前のように握る。
「……ねぇ、ライアー。……テスト中、答えとか教えなかったのはどうして?」
「……うーん、そうだな……。
───まゆりの描く“理想”を理解したから、かな?」
「え?……当の本人は、言ってる意味が分からないんだけど」
「……僕は、まゆりの言っていた“文武両道”を、僕の力を中心に使って実現させようとしていた。それでまゆりも、満足すると思っていた。……でも、家で勉強を教えているうちに分かった。
───僕は、まゆりの理想をサポートするくらいでいいんだと。 まゆりは、自分の手で理想を実現したいんだって気づいた」
ライアーに言われて私もハッとした。
……そうだ。もし、例えライアーの言う答えをテストに書いて、満点を取ったところで私はきっと喜べない。むしろ、罪悪感でいっぱいになるのだろう。
「……ライアーの言う通りだよ。 これからもその立場でいてほしい」
「……あぁ、もちろんだ」
自宅に帰り、明日と明後日のテストに備えてテーブルの上に、教科書やワークを鞄から取り出す。
今日もライアーは、私の傍に立って優しく教え出した。
*
────期末テストから1週間後。
一斉にいろんな科目のテストが返却され、落胆の声や歓喜の声が、教室中にうるさいくらいに響いていた。
……と言いながらも、私も声には出さないけれど内心お祭り状態だった。
「……栗本さん、数学何点だった……?」
楠さんがドキドキした様子で、私に聞いてきた。
「えっと……85点だったよ!」
「えぇっ!?……私と一緒だ!!」
そう言うと、楠さんはテスト用紙を私の前に広げると、確かに右上に85の文字が大きく書かれている。
「えっ、ほんとだ!……あ、五十嵐くん」
「よぉ、98。自慢でもする気か??」
「なんで俺には、当たり強いんだよ……。というか、みんな高得点じゃん」
楠さんは眼鏡をクイッと上げると、冗談交じりに、荒っぽく五十嵐くんに対して言う。
最近になって楠さんは本来、明るくてお茶目な人なんだなっていう印象に変わった。
それから、なぜ五十嵐くんの点数を知っているのかというと、テスト返却前に先生が最高得点者を発表した際、五十嵐くんの名前が上がったからだ。 だから私達だけでなく、クラス全員が知っている。
「……今回、勉強会1回しか出来なかったから、また高3なってからでもやりたいな、俺」
「え〜勉強じゃなくても、普通に遊びに行こうよ!」
「……ふふっ、私もそれは思った。……そうだ、今度3人で王貝に行こうよ」
……これは私の本心だ。けれどすぐに、母親の顔がよぎり、刺繍針が指にちくりと刺ったような痛みがじわじわと染みつく。
「わ〜いいね、賛成!……ふたりだけ抜け駆けして食べたの、許してないからねっ!」
「それは悪かったって……」
3人で笑っていると、チャイムが鳴りふたりは慌てて自席へと戻って行った。
学校が終わり、鞄に教科書やノートを詰め込んでいく。……テストは終わったものの、ライアーとの勉強時間が楽しくて、今日も持ち帰ることにした。
「……栗本さん」
背後からその声が聞こえて、背筋が凍るような感覚だった。
───声の主は、まぎれもない水野さんだ。
何を言い出すのかと思い、振り向くと1枚の紙を見せてきた。
紙には、少し俯きながら微笑むライアーの姿が描かれていた。
「こ……これは……?」
「ザクロが描いた漆黒様らしいんだけど、合ってる? 私は漆黒様が見えないから、ザクロにデッサンをお願いしたの」
あぁ……なるほど。どおりで最近学校で、ザクロが紙と鉛筆を持って、ライアーのほうをチラチラ見ながら何か書いているな……と思ってたけど、そういう事か。
「……よく特徴を捉えていると思うし、似ているよ」
……ザクロの描いた絵は、意外にも特徴を捉えて丁寧に描かれていた。 けれど、どこかで私の方がもっと冷静で美しく、優しいライアーを描けるような気がした。
「……そう。でも一応、栗本さんも描いてくんない?」
「え?……なんでそこまでして……」
「───漆黒様。 ちょっと、私と栗本さんのふたりきりにして欲しいんだけど……お願いできない?」
そう水野さんは、ライアーの方を見て言った。
姿は見えずとも、オーラでそこにいるのが分かるのだろう。
ライアーは私の方を見て不安げな顔をした。 私は「大丈夫」と硬い口角を上げて、顔でそう伝えた。……本当は私も不安だけれど。
けれど、何となく大事なことを知れそうな気がする。 だから、今は逃げない。
私の意思が伝わったのか、ライアーは教室の外へと歩き出す。……一瞬だけ手を握ってくれたのがなんだか心強かった。
教室の後ろでふたりきりになったところで、私が話を切り出した。
「……水野さんは、ザクロと共にいつも何をしているの? 何が目的なの?」
「……ほしい」
「……え?」
「───漆黒様がほしいの」
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