第15話 泥棒に入られた


 次の日、午前中に魔術ギルドから職員が派遣されてきた。圧搾機の点検調査では異常は見つからず、歯車も交換不要だといわれた。

 新品の遠心分離機も同時に入った。

 テラノヴァは今度こそレンズを分離させ、夢成分の濃い粉末を取り出せると安堵した。

 

 試運転では問題なく動いた。テラノヴァは一日中占有して、粉末の純度を高めた。

 一日の終わりころには、使用に耐える夢レンズ粉がわずかに完成していた。



 その日の夜……。

 月の輝く深夜──人影のない大通りをひとりの男が歩いていた。

 彼はこそこそと路地裏をうかがい、先達のすがたを見つけては、肩をすくめて立ち去った。一見すると寝床を確保できなかった浮浪者に見えただろう。

 しかし足取りは確かな意志をもって、ある地点を目指していた。


 魔導ランプを持った夜警の足音を聞くと、路地の奥に入ってやりすごす。

 放浪罪で捕まってはまずい。


 彼はゴミ箱の影にうずくまった。

 夜行性の銀毛アライグマが、ゴミあさりのライバルがやってきたと勘違いして、男のそばでうなり声を上げた。


 威嚇された男は無言で殴りつけた。

 その小動物は夜警のいる通りに走り去っていった。

 彼らは立ち止まってランプで周囲を警戒する。

 男は身を縮めて、隠れるしかない。


「くそっ、はやく行ってくれ……」


 悪態を飲み込んで、せめて無害な放浪者に見えるように、頭を下げて寝たふりをした。

 緊張で冷や汗が出る。

 彼はすでに前金で金貨10枚をもらっていた。成功すればさらに10枚。絶対に失敗したくない。


 息が浅くなるほどに身体を停止させ、気配を殺す。夜警の話声が聞こえて、足音が遠ざかっていった。

 男はしばらくそのままでいて、深く息を吐いた。

 立ち上がって、路地を進んだ。


 職人通りに出た。

 わずかに雨戸から光が漏れている一部の店をのぞいて、闇に包まれて寝静まっていた。

 男は指定された場所の店を探した。


 見つけた──ニコラスのポーション店。路地裏で侵入の準備をする。靴に厚手の布を巻きつけた。かばんから合鍵を取り出す。念のため、短剣も。

 あらかじめ渡されていた合鍵を、鍵穴に差し込んだ。ここで扉が開かなければ、すべて台無しだ。緊張しながらゆっくりと回すと、鍵の外れる音がした。


 息を殺してため息をつく。扉をゆっくりと開き、できるだけ音を立てずに中に入った。

 夜目を使い、目的の器具を探す。


 彼に錬成器具の知識などなかったが、立ち並んだ器具の中に、たしかに教えられた形状のものを見つけた。

 蓋を開け、ふところから紙包みを取りだす。じりじりとくすぶった音がする包みを傾けた。

 中には雷の元素サンダーエレメンタルをまとう、緑色のヒルに似た環形動物が入っていた。


 容器の中にはなすと、しみこむように内部に消えていった。


(やれやれ……)


 ひとまず依頼は終わった。男の気分がぐっと軽くなった。

 終わってみれば簡単な仕事で、金貨10枚だ。入り口の鍵まで用意してくれた。

 至れり尽くせりだ。だったらもっと、みやげ・・・をもらってもいいだろう。


 男は周囲を見回した。簡単に運べて金になりそうな、陳列されているポーションを限界までかばんに詰めた。

 そして再び闇に紛れて、外に出ていった。時間にして5分も経っていない。

 家の人たちは誰も気づかなかった。



 翌日。

 工房の扉を開けに行ったニコラスは、玄関のカギが開いたままだと気づいた。


「妙だな……」


 彼が寝る前に戸締りを確認した時は、確かにしまっていた。

 誰かが起きて、夜中に外出したのだろうか。しかしそんな物音もしなかった。

 ニコラスは違和感を覚えたまま、工房の大扉を開いた。


「うん……?」


 ポーション棚にあったはずの完成品がごっそり減っていた。

 まだ安定化させたばかりで、出荷の梱包をしていない製品だ。

 調合途中だったポーションまで無くなっている。


 昨晩に盗賊が侵入したと結論付けるのに、そう時間はかからなかった。


「くそめ」


 朝食の時、ニコラスは不機嫌を隠そうとしなかった。

 盗賊がもしも強盗であったなら、彼の大切な家族にまで危害が及んでいたかもしれない。そう考えると反社会的な犯罪者に対する怒りが、とめどなくあふれていた。

 彼の話を聞いた家族は怯えた。


 テラノヴァだけはいつも通りにゆっくりとパンをかじっていた。


 ニコラスは客分であるテラノヴァが、用心棒に値する戦闘能力を持っていると知っている。

 その胆力は盗賊程度では揺るがないとみて、いくぶんか機嫌が直った。自分がやられても、彼女が家族を守ってくれる。それに彼女は殺傷力を持った仲間もいる。護衛としては十分な戦闘能力だ。


「なああんた、もし強盗が入ったら、あんたは戦ってくれるか?」

「はい」

「ありがたい。魔物と違って相手は人間だが……やれるのか?」

「はい」


 テラノヴァはよどみなく答える。


「人間を倒した経験があるものね。そうでしょ?」

「はい」


 ノエルは冗談で行ったのだが、肯定が帰ってきたので、夫と顔を見合せた。


「その、人間を倒した経験があるの?」

「……この町に入る前に、おいはぎに襲われました。戦って、返り討ちにしました」

「そりゃ頼もしいな」

「そうね。夜も安心して眠れるわ」

「父さん、テラノヴァさんはグレゴールをやっつけた人だよ。強盗なんて簡単にやっつけてくれるよ!」

「そういやそうだったな。あんたがいれば安心だ」


 ニコラスは盗賊に入られた家族の不安を、無理に明るく振る舞って流そうとしている。

 

 その日も仕事は進まなかった。なくなった品物のチェックの他に、もし盗賊が器具を壊したり、いじったりした場合は、品質に問題がでるため再点検となった。


 その結果、遠心分離機に魔電虫エレキショッカーが発見された。普通ではありえない魔物が、器具の中にいる。

 ただの盗賊ではないと判断され ニコラスは衛兵に通報した。

 

 事情を話して帰ってきたニコラスは、職人たちを全員集めた。皆神妙な顔をしていた。


「ここに入ったのはただのコソ泥じゃない。多分商売敵だな。このまえ壊れた遠心分離機も、おそらくそいつの仕業だろう」

「心当たりはあるんで?」

「あるにはある。ただ幻酔祭が近いからな。どこだとは断定できん」

「きっとハーウィンの野郎だ。あいつは恩知らずだから、汚いことも平気でやるぜ!」

「そうだ! あいつに違いない。やろう叩き殺してやる!」

「まて。捜査が終わるまでは不用意な行動はやめろ」

「へえ。でも衛兵たちが突き止めてくれるでしょうか。祭りが近づいて、街には人の出入りが増えてますから、やつらも手一杯ですぜ」

「うむ……」


 都市に流入する人口が増えると一時的に物価が上昇し、それに伴い治安も悪化し始めていた。

 食糧価格の高騰により貧困層は得られる食糧が10%は目減りし、さらにカネを持った商人などが活発に出入りするため、なし崩し的に犯罪者になるケースが増えていた。


 酒場でもよそものがトラブルを起こし、日常的に刃傷沙汰が発生している。時には殺人も起こる。工房に嫌がらせを残していったコソ泥程度ならば、後回しにされる可能性が高い。


「まずは様子見だ。普段通り仕事をして、何か気づいたらおれにいえ。もし危ない目にあいそうなら、すぐに衛兵に言うか、テラノヴァに守ってもらえ」

「……」


 テラノヴァは頭を下げた。

 

「この嬢ちゃんがいるなら安心か」

「おれはギルドに依頼を出しておく。冒険者が犯人を突き止めるかもしれん。くそ犯罪者に入られたが、気にせず仕事に励んでくれ。そいつが捕まったときには、仕事を休みにして死刑を見物に行こう」

「そりゃいいな」

「へへへ」


 犯罪者を揶揄する慣用句で、ニコラスの話は終わった。テラノヴァはコラリアの影で話を聞いて怯えていた。

 安全なはずの家に土足で上がり込んできた盗賊が、ともすれば殺人を行った可能性もある。

 はじめて聞かされた時はコラリアが守ってくれていると思っていたが、他の住人に危害が及ぶと悲しかった。


(どうやったら守れるんだろう……)


 コラリアに小声で話しかけたが、返事はなかった。


 2週間が過ぎた。祭りの日が近づき、街はいよいよにぎわっている。


 夢想学習ポーションは安定化の段階まで入っていた。

 あとは混ぜ合わされた成分が落ち着くまで、時間を置くだけ。実質完成したと言ってもいいだろう。


 その間、工房の職人は数を減らし続けていた。

 暴漢に襲われて家で治療をしているのがひとり、馬車にひかれたのがひとり、別の工房に引き抜かれたのがふたり。

 8人いた職人は半分になっていた。


 そんなとき工房にハーウィンと名乗る男がやってきた。ニコラスの元弟子で、今は独立しているとテラノヴァは聞いた。

 彼は怪我をした職人の見舞いだと言っていたが、表情は笑っていた。


「気の毒ですな親方。こんな忙しい時期に職人が暴漢に襲われるなんて、運の悪いことが続くものです」

「ふん。おまえごときに心配されるほど、うちの格は落ちてない。さっさと帰れ」

「そうですかそうですか。それは結構。しかしずいぶんすっきりとした工房ですな。人が足りてないなら、どうです、うちから何人か回して差し上げましょうか?」

「ふざけるな。お前がふたりを引き抜いたんだろうが」

「誰でも親方をかえる自由はありますからなぁ。しかし、これだけ不幸が続くなら、店をたたんだほうがいいんじゃありませんか? 悪い出来事は続くと言います」

「お前がやったとは言わんが、もしそうだった場合は、絶対に許さんからな」

「ははは、濡れ衣を着せられてはかないません。今日は退散するとしましょう。もうじき楽しい幻酔祭です。おたがい全力を尽くしましょう」

「さっさと帰りやがれ……!」


 ニコラスはやってきた弟子の背中を汚物を見る目でにらんでいた。もし手にハンマーでも持っていたら、殴りかかる勢いだった。


「あ、あの……危ないひとですか?」

「いや、不詳の弟子だ。修行の途中だってのに、勝手に独立しやがった。店のカネを奪ってな」

「うわぁ」

「元々ハーウィンはニューポート市に修行に出す予定だったんだ。だからこちらのギルドから籍を抜いて、準備金も出してやった。そしたらな」


 ニコラスはゆっくりと息を吐いた。


「あいつは参事会に、不当に追放されそうになったとでっち上げたんだ。あいつの言い分は、これまでまじめに働いてきたのに、能力を疎まれてニューポート市に飛ばされたって言ったんだよ。参事会はそれを信じた。おれが用意した修行のカネを頭金にして、あいつは自分の工房をもったってわけだ」


「その言い訳で通ったのですか?」

「あいつの親は商人ギルドのえらいさんだ。親族には参事会員もいる。俺よりは権力に近い」

「うわぁ……」

「だがな、祭りの品評会ではよその目も入る。あいつの工房から出された品物は、毎回おれよりも一段劣る。あいつはそれが耐えられないから、こんな見え見えの嫌がらせをしているんだ。実力を磨くより、比較するライバルがいないほうが楽だからな」

「そ、そうですか……」

「ま、今年はあんたがいるから安心だ。祭りが終わったら職人たちも戻ってくるだろう。俺は俺で手を打っているから、気にするな」


 ニコラスはそう言って去っていった。

 テラノヴァは人間の嫌な部分を聞かされて、家に帰りたくなった。

 先ほどまで集中できていた魔力の充填を、止めてしまった。


(私も狙われるのかな)


 テラノヴァはこの工房で排除される順位の高いはずだった。

 事故にあっていないのは、家から出ないからだろう。しかし前のように家の中まで入ってくるかもしれない。

 すでに嫌がらせの域を超えて、裁判沙汰になってもおかしくないと思ったが、捕まっていないため逆説的に証拠などはないのだと判断した。



 数日後

 冒険者が一人、店にやってきた。

 がっしりとした体つきで灰色の髪をしている。男は店に入ってくると、テラノヴァのまえに来た。


「店主を呼んでくれ。依頼の件だ」

「は、はい……」


 男はアンゴザンと名乗った。

 一階の客間でテラノヴァも一緒に話を聞いた。

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