第14話 説明せずに逃げられると思っていた
「だーれ?」
扉の奥から幼い声が聞こえた。
「こんにちは。テラノヴァです。お父さんはいますか?」
「ううん。あけるから、待って」
ごとりと閂が外れる音がした。向こう側からリードが迎えてくれた。
薄暗いレンガ造りの店内を奥に入っていく。
「何か作っていたのですか?」
「うん」
リードはテーブルのうえから、甲殻で再現された鶏の頭をもってきた。
「みてみて、にわとり」
「そっくりです」
粗削りな毛並みが彫刻されている。
のみと金づちをつかってリードが作っていたのだろう。しかし鶏の首から上を作っている意味はわからなかった。
「胴体にくっつけるのですか?」
「ううん」
「……首から上だけです?」
「うん」
テラノヴァに芸術的なセンスはあまりなかったが、鶏の生首を飾るちょうど良い場所は思いつかなかった。
「前衛的なオブジェです」
「これを壁にくっつけると、魔よけになるの。夢魔とか夢泥棒とかからお部屋の安全を守ってくれるの。すごいでしょ」
「とてもすごいです」
実良性があるとは思っていなかった。
店の入り口にあるオブジェはシレンの作品だが、あれにも何か効能があるのかもしれない。そしてこの娘も、立派にその血を継いでいると感じた。
シレンの帰りを待っているあいだ、リードの細工を眺めていた。
リードは一定のリズムで模様を刻んでゆく。破片が完成するとそれを鱗のように張り合わせ、スケイルにわとりを作っていった。
リズムの良い手際を、長椅子で飽きずに眺めていた。
「んー、んー」
リードが身体を傾けながら、難しい眼球の模様を彫りこんでゆく。
コッ……コッ……
小人の足音のような、小さく刻む音。その音は瞑想状態の時に感じる身体の音、関節のわずかな動きを察知した時に似ていた。
集中している姿は好ましいもののひとつだ。
テラノヴァも目を閉じて、邪魔しないように静かに瞑想した。
静かな時間が流れた。
しばらくたったあと、リードが飛び跳ねて喜んだ。
「できた!」
細工台のうえには、精巧なにわとりの首が完成していた。
喜びながらテラノヴァのそばにきた。
「できたよ。すごいでしょ」
「おめでとうございます」
こういうときの子供の対処法は、ニコラス一家で学んでいた。
すごい、えらいと賞賛を繰り返し、頭をなでる。
リードは喜びにあふれて抱き着いてきた。体温の高い子供のからだが密着する。
テラノヴァはノエルの仕草を思い出し、頭を何度もなでてやった。ふわふわとした白い髪は、毛並みのいい動物の毛皮に似た手触りだった。
「えらいです」
「んふふふ」
「あっ……ここに怪我をしてます」
リードの指先はひび割れて、赤いものが見えていた。
テラノヴァは怪我治療のポーションを取り出すと、リードの指に刷り込む。自身の魔力も込めて、しっかりとマッサージした。
「ふやぁぁ……くすぐったい」
「すぐ終わります」
指先にいくつかあった小さなひび割れは、ほどなくして治った。テラノヴァは傷を確認するため、指先を何度かわさって確かめた。
「……えへへへ」
リードは嬉しそうに抱き着いてくる。
やや過剰なスキンシップだった。
テラノヴァは知らなかったが、リードの母親は幼いころに暴漢に殺されていた。
父親の手で育てられていたため、このような過保護な構いかたをされた経験がない。ゆえに甘えていた。リードはローブに顔を埋めてしっかりと抱き着く。
「むへへへ」
ローブの中からくぐもった声がした。
テラノヴァはノエルのまねをしているだけで、本質的な母性などは理解していなかったが、喜んでもらえるならいくらでもしてあげたいと思う。
その程度なら瞑想しながらでもできたので、ただ撫でる動作を与えていると、リードはいつのまにか寝息を立てていた。
「戻ったぞ。おい、鍵はかけておけといっただろう」
入り口から声がする。リードは跳び起きた。
「お父さんおかえり」
「お、おじゃましています」
「よう、元気そうだな。おまえ、このひとが来たから開けたのか?」
「うん」
「まあいいだろう。──あんたニコラスの工房で働いてるところを見たぞ。仕事を見つけたんだな」
「はい」
「浮浪者にならなくてよかったな」
「はい。今日はお願いがあってきました──」
工房の棚には素材の詰まった容器が並んでいる。その中のひとつに、セイレーンの声帯を切り取って乾燥させて瓶があった。
緑色の瓶の中には干したキノコのような外見の、乾いた声帯が入っている。テラノヴァはそれを指さした。
「あのセイレーンの声帯を売ってほしいです」
「構わないぞ。どれくらいいるんだ」
「4匹分もあれば……」
「いいだろう。もっていけ」
「お金はおいくらでしょうか」
「いい、いい。あんたにはおれの借金を消してくれた恩がある。その礼だと思ってくれ」
「で、でも、悪いです」
「いいからもっていきな」
しばらく問答が続いたが、押しに弱いテラノヴァが負けた。
受け取ろうと立ち上がったとき、くらげの脚のように帯状に分かれたローブのすそがゆらゆらと揺れた。
「その服、剃刀獣にでも抱き着かれたのか?」
「爆風と破片が当たって破れました」
「ばくふう!?」とリード。
「
「あんた、いつか危ないことをすると思ってたが、当たってたな。大けがをする前に、わきまえたほうがいいぞ」
「ねえ、
心配するシレンと話を聞きたがるリード。テラノヴァはどちらに応えていいのか分からなくなった。
「ま、まだ仕事があって、し、失礼します……! はい、はい……またきます」
何とかごまかして、店を出た。
用事が終わったので、本来の目的である普段着を買いに行った。
古着屋に行ったテラノヴァは、チュニックとローブをいくつか買った。着れさえすればなんでもいい。家からでないのだから。
ほとんど新品に見える白いローブは特に安かった。購入する前に、店主から死体が来ていた服だと説明されたが、お金がないのでそのまま購入した。ローブの腰の部分にあて布がされていたが、ちょうどこの部分から身体を両断されたらしい。
「うわぁ」
想像すると痛々しいが、背に腹は代えられない。
何着か買った後、付与された服を修理できる店の場所を聞いた。そこにゆきマントとローブを預けた。
どちらもオーダーメイドの魔導製品で、いくつも
出費は痛かったが前金を払ってお願いした。
しかしそのあとブーツとベルトと手袋を修繕に出すと、さらに金貨が50枚飛んだ。
かばんの中にある金貨の消耗に驚いたテラノヴァは、代替案を考えた。
ローブの裾を握ってしばらく左右に揺れたあと、押し込めた悲しみのすぐそばにひらめきがあった。
鞄の中から証文を取り出し、店の名前と人名を確認する。
ちょうど靴屋の職人に借金をしている人がいたので、店主に証文を差し出してみた。
「こ、これ……」
「ああ? うちのやつぁ借金なんてしてやがんのか! あんた借金取りかよ」
「ち、ちがいます。これ……2か月、払われてないです。この印、みてください」
「奴隷落ちの契約印か」
「は、はい……」
支払いがされていない場合、返済がおわるまでのあいだ、所有物になるという契約があった。
一度たりとも支払いに遅れてはダメだったが、テラノヴァが帳面を奪ってから、積極的に借金回収をしていないため、また証文の所有者がうつったと伝えていないため、二重に不履行されている。
それでも債務者自身がなんとかしなければいけない超理不尽契約印実行済みだった。
「たてかえ、してくれたら。無効にします」
「やっぱり借金取りじゃねえか。そういうことなら、あんたの修理代は帳消しだ。足りない分はそこらにある製品を持っていってくれ」
テラノヴァは頷いた。不慣れな交渉で背中に冷や汗をかいていたが、うまく進んで嬉しい。
鞄から花瓶を出して、話しかける。
(コラリアはどれがいい……?)
特に返事は帰ってこなかったが、出てきた触手が黒いサンダルをつついたので、それにした。
証文一枚で修理費が賄え、さらに代替装備も手に入って、テラノヴァは満足だった。
さらに靴屋の店主のまえで魔法の証文を灰にすると、職人の奴隷落ちをまぬがれた店主から礼を言われた。
工房に戻ると軒先にシレンとリードがいた。テラノヴァが持って帰るのを忘れていたセイレーンの声帯を届けてくれたのだ。
彼らはニコラスと話をしていた。
リードがどうしても爆発の話を聞きたいとせがんだので、ニコラス一家はリード一家を食事に招いていた。
テラノヴァは今まで黙っていたが、もう隠し事は叶わないとあきらめた。
その夜、テラノヴァの席は好奇心をあらわにする子供二人にはさまれた。
ウォーレンとリードは左右からテラノヴァの新しいローブを引っ張りながら、話をせかされた。
心配そうなノエルと、やや説教じみた雰囲気をかもしだしているニコラスと、おとなしく座りながらも目を輝かせているデニスを前に、無断で2日近く留守にしていた理由をあらためて話した。
「実は廃墟の街に、レンズを取りに行っていました」
「やっぱりな。あんたの服はぼろぼろだし、足りなかった素材が今日になったらあるんだ。そんなことだろうと思ったが、無茶をしやがる」
「一人で行ったのか?」とシレン。
「は、はい……」
「あんたの命だ、自由に使えばいい。だがいつか死んでしまうぞ」
「そうだ。心配をかけるようなことをするときは、事前に言ってくれ。もうすこし戻ってくるのが遅かったら、衛兵に捜索願を出すところだった」
ニコラスとシレンのダブル説教が耳を叩く。おおむね正論なので頷くしかなかった。
ふたりは強い口調だが、それは心配の裏返しだ。
「……気を付けます」
「まあいいじゃない。無事に帰ってきたんだし。次からあなたも気を付けるでしょ?」とノエル。
「はい」
「ねえ、何と戦ったの? 強かった? どんな敵だった?」
大人が話している最中だったが、ウォーレンが我慢できずに話しかけた。
「自爆って何なの?」
リードも便乗する。
うつむいてただ頷いていたテラノヴァは、ようやく話が逸れそうなので、弾んだ声で返事をする。
「身体が爆発する魔物がいました。あとは大きな目玉も、大きなフクロウもいました」
「へぇー!」
「ウォーレン、いまはまじめな話をしているんだ」
「でもー」
「父さん、私も聞きたい!」
「リード、静かにしてろ」
「えー!」
「聞きたい!」
「しょうがねえな。一から話してくれ」
ニコラスの言葉に、子供たちは目を輝かせる。
ノエルもまた、シレンと談笑しつつ飲み物を手に、聞く体勢にはいった。
テラノヴァの話はたどたどしかったが、ニコラスが適度に質問をしてくれるので、かなりわかりやすくなった。
コラリアの活躍になると、ウォーレンはテーブルの上で転がっているクラーケンをみて、なんどもすごいといった。
杖を両手に構えて戦い続けた場面になると、大人たちは無謀さに引き、デニスは信奉者の目でテラノヴァを見た。
至近距離の爆発で腕がちぎれかけた傷をポーションで無理やり癒し、その空瓶を一匹の
都市で活動している市民の彼らにとって、正気とは思えない行動だった。
「よく生きてるなあんた。それにしても、あんたの杖はどうなってるんだ。一晩中使うなんて、使用回数を強化しているのか?」
「はい……普通の強度なら150回は振れます」
「そんなにか! 上限があるだろうに、どうやったんだ?」
「ただ重ねただけです」
入れ子構造になった杖を持ってくる。
いくつもの杖が重なって、一つの大きな杖を構成している。
魔法が封じ込められた杖は、どんなに多くても10回程度で壊れてしまう。それ以上の回数は素材に対する魔力効率の点でよくない。
そこに限界以上の魔法を閉じ込めると破損してしまう。
テラノヴァはその問題を入れ子構造で解決した。
小さな杖をいくつも組み合わせて、その杖をさらに大きな空洞の杖で覆った。さらに横に凹凸を作って組み合わせた。
魔法紋様の充填に耐えられる素材の厳選と、杖の変質的な組み合わせ加工は、まさに大いなる無駄、一般的な実用品とは違うカスタムメイドの専用魔道具になっていた。
「こうなってます」
「おぉ……」
テーブルの上には10本の、大小いびつな杖に分けられていた。それら全てをパズルのように組み合わせると、一本の杖に結合される。
「これで150回の効果です」
「なんとも……なんでこんな奇妙な杖を作ろうと思ったんだ」
「暇だったので……」
「すごい!」
リードは精密な加工に感心していた。彼女は手先が器用なので、この構造に興味があった。
それから話は続いた。
デニスは命知らずな立ち回りを聞くたび目を輝かせ、コラリアの水弾が活躍するとウォーレンは喜び、両手に抱いたクラーケンの幼生に尊敬の目を向けた。
ノエルは血なまぐさい戦闘に目を白黒させて、恐ろしがっていた。
しかしチェストを見つけてなかに宝物が入っていた話をすると、見せてほしいと興味を示した。
テラノヴァは鞄から、小さな宝石がちりばめられた、銀のペンダントを出した。迷妄の副作用か、帰ってきてから存在をすっかり忘れていた。
ノエルはそのアンティークなデザインの重厚さに驚いていた。
装飾過多で、一時間もつけていれば、重みで肩と首が凝りそうだと素直な感想を言う。
古い金貨もめずらしい絵柄が好評だった。
森、神殿、王の横顔、愛の天秤、勇気の雫など、硬貨として量産するには不便であろう多様性があった。
デニスは名誉の魔法文字が刻まれた絵柄をじっとみていたので、全員に1枚ずつプレゼントした。
「ありがとうございます」
デニスはテラノヴァに対する尊敬が、崇拝に近くなっていた。
彼にとって、2か月前にやってきた同居人は、魔法に詳しく、知識があっても控えめで、しかし魔物を倒しに行く勇敢さを持っている。
彼は両親が好きで、尊敬しているが、それとは別の勇者に対するようなあこがれをもってしまっていた。
テラノヴァの話が終わり、アルコールの入った大人たちの雑談が終わったころには、すっかり深夜になっていた。
シレンは宿泊を進めるニコラスに、酔っ払い特有の大袈裟な笑顔で感謝を示し、眠ってしまったリードを背負って帰っていった。
子供たちは眠り、大人たちも片づけを終えて寝床に入った。ニコラスは寝所に入る前に、くれぐれも危ないことはするなと言った。
テラノヴァは素直に頷き、ようやく良くなかったかもしれないと思い至った。
しかし死にまみれた戦いは、命を奪う行為は、よくないからこそ悲しみを隠してくれる。
テラノヴァは別のことを考えた。
「これ、どうしよう」
鞄の中にある骨とう品は、どこに持っていけば買い取ってくれるのだろう。
交渉は苦手である。
そのまま鞄に入れて、先送りした。
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