第12話 廃墟の街に行こう
秋が深まったイドリーブ市の市場には、収穫された果実や穀物が並び始めた。
テラノヴァはオーブンの前にしゃがんで、目を閉じていた。
暖かな熱量が心地よい。
オーブンのなかではデニスが買ってきてくれた蜜栗がじりじりと焼けている。
甘い香りが室内に漂っていた。
「まだかな……?」
焼けた栗の香りが鼻腔をくすぐる。いかにもおいしそうだった。
テラノヴァは手のひらの火傷をなでた。
1時間ほどまえ、栗をそのままオーブンに入れて焼いた。
蜜栗は内部ではじけて小さい爆発が起こり、オーブンの扉が勢いよく開き、オーブン自体が10センチほど浮かんだ。
その時飛び出した栗のかけらが、散弾のごとき勢いでテラノヴァにぶつかり、顔をかばった手にくっついて、しばらく悶絶するはめになった。
テラノヴァは知らなかったが、栗の殻に切れ目を入れないと破裂するらしい。駆けつけたニコラスとノエルにたっぷり小言を頂いた。
今度は短剣でひとさししてから焼いているので安心だ。ほこほこした身を想像すると、口腔によだれがわいた。
十分に焼けたので、いざとりだそうとしたとき、台所にニコラスがやってきた。
「まだここにいたか。ちょっと話があるから来てくれ」
「……はい。今が食べごろです」
台所の机で勉強していた子供たちは、焼き栗に取り掛かった。
テラノヴァは後ろ髪を引かれる思いで応接間に行った。
「実はあんたに展示用のポーションを作ってほしいんだ。来月ある幻酔祭に出品する予定だ」
「展示品、ですか?」
「ああ。今日から一か月間、あんたにはその仕事に専念してもらう。給料は今まで通り払うから、心配しないでくれ」
「どうして私なのでしょうか。ニコラスさんのほうが、熟練しています」
「いや、あんたの技術は信頼できる。あんたは祭りにきたことがあるか?」
「ありません」
「そうか。展示会場には各工房から一品出すんだが、市民の前に出すから、どこも力を入れている。この時だけ外部から協力してもらって、品物を作るやつもいる。みっともない品物をだしたら、笑いものになっちまうからな。うちにはあんたがいるから安心だ」
「は、はい……」
テラノヴァは信頼されて嬉しかったが、それ以上に責任を感じた。無意識にローブのすそを握りしめていた。
「あの、何を作るか、もう決まっていますか?」
「そうだな。おれが考えているのは、透明のポーション、言語障害薬、媚薬、回想のポーション、夢想学習ポーション、このあたりだ。いくつかは説明書を詳しく書かないと、危険物だと疑われるな」
「……」
テラノヴァは何か言いたそうな顔をしたが、黙っていた。
半分以上が、法律に触れる可能性がある品物だ。そういうものは作らない方がいいのではないか、そう言いたかった。
「ただ、ライバル店も似たようなポーションを出してくるだろうからな。ここはひとつ、お貴族様の目に留まる媚薬にしてやるか」
(よくない……死んじゃう……)
顔が青くなり始めた。
大抵の法律は明文化されておらず、いくら珍しい品物を作っても、治安維持機関に目をつけられたらおしまいである。
反社会性を疑われるかもしれない。
そうなると罪の有無がどうであろうが、裁きが下るまで長いあいだ投獄されたり、たとえ冤罪でも、捜査の間違いを認めない衛兵たちが、メンツを保つために有罪にして、縛り首になる可能性があった。
テラノヴァは師匠が殺されてから、権力に対して不信感を持っていた。
(危ない品物は嫌だ。絶対いや)
心臓がいたくなるような不安がやってきた。身体が寒い。
迷妄の杖で不安を消したくなったが、今は頭を回転させる時、連座されては困る。
「……私は夢想学習ポーションが良いと思います。これだったら危ない効果もありません。色もキラキラして綺麗です」
「うむ、目立つのはいい。あんたの作品を見せつけてやれば、頭の固いギルド参事会の連中も、目が覚めるだろうよ」
「はい」
内心、喜んでいた。
何とか合法的なポーションに決まった。
もし透明のポーションなどに決まっていたら、かなり危なかっただろう。
あれは空き巣や怪盗御用達の品物だ。
フーミューに作り方を教わったとき、テラノヴァは愉快な効能に喜んだが、きつい警告も受けた。
透明のポーションは高価ゆえに、これを盗みに使うときは、狙う品物も高価である。その場合、相手は貴族や豪商など、たいていが上流階級で力を持っているターゲットである。
彼らは盗まれでもしたら、メンツのために何でもする。さらに悪い使用方法は、殺人に使われる場合だ。
極力、作成にかかわるべきではないとテラノヴァは教わっていた。
同様に、言語障害や媚薬も危険だ。いずれも相手が力をもった魔導士や婦人だ。もし使われた場合、復讐もすさまじくなるだろう。
消去法的に残ったのは回想と夢想学習ポーションで、どちらも夢の世界を尋ねる効果がある。
使用者に及ぶ危険度で言えば、回想ポーションが高い。
これは昔の記憶を夢のなかで追体験できる効果があるが、現実での経過時間も同じなので、強度を高めると死ぬまで寝てしまう。強度の高い回想のポーションを飲ませて、眠りながら朽ち果てさせた復讐の物語をテラノヴァは知っていた。
そうなると一般的な睡眠時間で、危険性が少なく、かつ有用な学習できる「夢想学習ポーション」が一番安全だった。
「がんばります……あの、これを作るなら、倉庫にある素材がたりません」
「なに。だいたいは揃っていたはずだが……」
「セイレーンの声帯と魔眼のレンズがないです……両方とも先月に採取依頼の書類を出しましたけど、達成の報告は来ていません」
「そうだったか。まいったな」
ニコラスは頭をかいた。祭りの一か月前となると、同業者との素材の貸し借りも困難になる。
「それじゃ別のに──」
「セッ、セイレーンの声帯は手に入るあてがあります! レンズは──レンズは、わからないです」
「レンズはおれがもう一度ギルドに確認しておく。何とか手に入るといいんだが、あんたが作りたいものを作るのが一番だ」
「ありがとうございます」
軌道修正が成功し、テラノヴァはちいさく拳を固めた。安堵のため息は隣にいたデニスが聞いて、その色っぽい吐息に、胸をどきどきさせていた。
その夜の夕食のあと、ギルドに行ったニコラスが、レンズが枯渇している理由を教えてくれた。
「レンズがとれる魔眼のいる場所に、
「
「自爆するあぶないやつだって話だ」
テラノヴァは頭の中の魔物図鑑を思い出した。たしか大型犬のような外見で、赤い爆裂瘤が全身に生えた魔物だ。そして危険な生態も。
しかしそこにいる魔物からレンズを取らないと、他のポーションを作る羽目になってしまうかもしれない。それは何としても避けたい。
「あ、あの……私、とってきましょうか?」
「何を言っている。あんたは戦闘なんてできないだろう」
「ま、魔導具を使えます。それに、コラリアもいますから、遠くから
「何を言っている。まったく、うちのウォーレンの小さいころみたいだな。あいつも
「……」
「別のポーションにするか。明日、在庫を照らし合わせてもう一度相談しよう。代替案を考えておいてくれ」
(どうしよう)
テラノヴァはうつむいてじっと考えていた。
話し終わった後で、魔眼の住む場所の情報を聞いたのだが、イドリーブ市から西の街道を行った先にある、200年前の都市遺跡がそうらしい。
今は廃墟になっており、魔物がうろついている。
(どうしよう……)
考えこみながら、ソファのうえでコラリアと戯れているウォーレンを見ていた。
少年はコラリアの膝の上にのせて、小さなブラシで殻を磨いていた。ウォーレンは片方の手に乾燥した果物を持ち、コラリアはそれに触手を伸ばして追いかけていた。
外に出るのは怖いが、官憲はもっと怖かった。
次の日、テラノヴァは早朝から工房を出た。黙って西にある廃墟に向かった。
昼過ぎには着くと想像していたが、到着したのは夕暮れだった。
廃墟を照らす太陽が、山間に沈んでゆく。夜の廃墟はいかにも危険だが、テラノヴァは手ぶらで帰るつもりはなかった。
花瓶から出たコラリアが、殻から顔を出した。テラノヴァは
誰も見ていないが、服を着せる時に自分の裸体をさらけ出している気になって、テラノヴァは居心地の悪い思いをした。
「きて」
コラリアのおでこをくっつけ合わせて、分割の魔法を唱えた。テラノヴァの眼に、青い光が浸透してゆく。
深海にすむクラーケンは、暗い海の中を見通す力があるため、夜目が効く。テラノヴァはその視界を半分もらい、代わりに自分の視力の半分を渡した。これでテラノヴァも暗がりを見通せるが、かわりに遠くがぼやけて見えなくなった。
「いいよ」
おでこを離すと、今まで視野にくっきりと見えていた四角い壁が、にじんで煮崩れした根菜のようにくだけて見えた。
「コラリア気を付けてね」
彼女の感知能力を頼りにしている。ふたりは夜の廃墟を進んだ。
視界が効くとはいえ、いつ襲われるかわからない。ただ虫の鳴き声や、かさかさと謎の移動音が聞こえるので、テラノヴァたちの足音はその雑音のひとつに紛れていた。
おそるおそる歩く。
廃棄都市の暗さは一層増していった。屋根が落ちた教会のそばを通った。
内部では崩れた石材が小山を作っている。
何もいなさそうに思えたが、コラリアが足を止め、魔法を構築し始めた。
「なにかいたの?」
ごく小さい声でテラノヴァが訪ねたが、返事はなかった。
「……う」
崩れた石材の間に、うずくまっている獣がいた。致命的な皮膚病に感染したかのように、赤い瘤が散らばっている。コラリアが撃った。
露出した背骨に水弾が穴を空けた。
ドォン!
「ひぃぃ……!」
音の壁と、飛散する破片を至近距離で感じてしまった。
心臓まで響く爆発音だった。テラノヴァは耳を塞いだが、鼓膜に激痛が走った。
ぴゅんぴゅんと石のかけらが跳んできて、隠れた壁にぶつかっている。音が落ち着いた後に顔を出すと、煙と埃の向こうでは、教会の床に直径2メートルほどのクレーターができていた。
壁には破片があちこちに突き刺さっていた。
「……! コラリア、走って!」
コラリアの手を引いて、別の区画に向けた走り出した。
索敵もほどほどに、路地裏に走りこんだ。そのまま角を曲がり、できるだけ教会から離れる。
直進距離で500メートル離れたところで、テラノヴァはようやく足を止めた。
暗い店の裏によりかかって、息を整えた。
「はぁ……はぁ……」
夜を貫く爆音が響いたため、ほかの魔物たちが集まってくる。
「すこし、安全になったかな?」
爆発音のした場所に他の
まだ胸が苦しい。
となりの区画に入るまで、テラノヴァは生きた心地がしなかった。昼間に治療した足裏の豆も、ふたたび痛んだ。
「ちょっと……待ってて……」
コラリアに支えてもらって、テラノヴァはポーションを飲んで体力を回復させた。1分も大人しくすると、やっと呼吸が落ち着いて、周囲の音も聞こえてきた。このあたりは商店街跡だった。
通りに出ると、正面が大きく開いた店舗跡がならんでいる。金属製のリンゴをもった少年の看板が、地面に半分埋もれていた。
壁に金床が突き刺さっている店もあった。
どんな騒乱が起きれば、このような事態になるのかわからなかったが、金床が通り抜けた壁の穴がぽっかりと空いていた。
貫通跡からなかを覗いてみると、テラノヴァは宙に浮かんだ白い眼球を見た。
(いた……)
目的の魔物、魔眼だ。そっと杖を構える。
子供の頭ほどもある眼球にむかって、クモの杖を振った。
無音で発生したべたつく糸が、空中から網となって覆いかぶさった。眼のまるみと、長く伸びた視神経に糸が絡まり合い、そのまま床に固着した。
「やった」
眼を合わせると危険だが、逆に背後をとってしまえば安全だ。
白く丸い後ろ側に向けて、テラノヴァは短剣を刺した。柄まであっさりとはいり、どろりとした液体があふれ出した。生臭いにおいがしたが、円を描いて切り込みを入れる。
半円を描いたところで魔眼の痙攣がとまった。絶命したと分かる。
テラノヴァは念のため、そのまま皮を取り外して、中心にあるピンク色の肉のあいいだにある魔石を引き抜いた。
これは魔眼の声明をつかさどる部分、人間でいう心臓にあたる。
万が一死んだふりをしていたとしても、これで完全に安全になった。そのままひっくり返してレンズをもいだ。直径25センチほどの透明なレンズが3枚取れた。
「ふぅ……」
幸先のいい収穫に、テラノヴァは笑顔で頷いた。
「あと7枚くらいあればいいけど……居場所はわかる?」
「……」
「もしわかるなら指をさして」
円滑な意思疎通を図るための教育により、コラリアは人差し指で方向を示した。
普段ならば触手の先端を傾けるだけだが、人間の姿はやりにくいのか、ゆっくりと腕をあげて、商店の奥に通じる廃倉庫に向かって指さした。
「いこ」
コラリアは指をまげて頷くと、歩き出した。
廃倉庫を歩く。細長い室内には崩れた箱のかけらや、棚だったものの残骸が散乱していた。カビの匂いに混ざって、腐敗臭もする。家具の残骸の中には、骨と毛皮だけになった鳥らしきものの死骸が朽ちているさまが見えた。
冷たい空気が死を予感させて、恐ろしい。
倉庫の出口でコラリアが立ち止まった。
そのまま動かないので、肩から顔を出してのぞくと、路地裏の向こうからずりずりと、這いずる音が近づいてきた。
コラリアの身体をつかんで倉庫に隠れると、入り口が、ゆっくりと赤紫色の肉塊でうめられてゆく。全身が見えないほど大きい。
(
生肉を求める悪霊が、死体の肉をつなぎ合わせて作った魔物だ。毒のブレスを吹いたり、その腐った身体を食っている蛆虫が、餌を守るためにとびかかってきたりする。生理的な嫌悪感に訴えかける魔物だった。
陰で息をひそめていると、這いずる音は倉庫のまえで止まった。
強い腐臭がはいってくる。
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