第6話 転生令嬢と山間の村


 山の斜面に作られた申し訳程度の山道を、アステールさんの後ろについていく形でどれほど登っただろうか。

 リトスだけでなく、私も息が上がって足の進みが遅くなり、空の太陽も傾き始めた頃、一気に視界が開けた。


「お疲れ様、2人共。ここが俺の住んでいる村、ザルツ村だ」


「うわあ……!」


 アステールさんが笑って指差す先を見たリトスが、目を見開きながら声を上げる。

 ザルツ村は、手前から奥に行くほど高台になっている村だった。

 こういう村は、かつての日本ではそう珍しいものじゃなかったが、今世で見るのは初めてだ。本の中でも見た事がない。


 多分、開墾途中で労力や資金面で問題が出て、山の斜面を開墾した後は土地を均す事をせず、斜面をそっくりそのまま生かして造ったのだろう。


 村の中にはログハウス風の住居がまばらに並び、建造物が建っていない空いた土地の隙間を埋めるように、いびつな形をした大小様々な畑が点在している。これも初めて見る光景だ。

 本によると、農民達が管理する畑というのは、どれも正方形か長方形に整えられているのが普通らしいから。


 物珍しさからか、リトスはちょっと興奮したような様子であちこちキョロキョロ見回してるけど、私はあんまりそういう気にはなれなかった。

 こういう場所に造られた村ってのは、大抵どこもかしこも階段と坂だらけで、生活するには体力と根性が要るんだよねえ。


 そんでもって、村長さんとか長老とかそういう偉い人が住んでる家は、防災や諸々の防備、防犯上の理由から、高確率で村一番の高台にあったりするんだ。これが。


 ぶっちゃけ、今からそこまで行くのしんどい。

 まあ、村長さんに会うって決めたのは私だし、今更文句は言わんけど。



 案の定、幾つもの坂と階段を上った先の、一番高い場所に村長さんの家はあった。

 うう、しんどかったよぅ……。


「おーい、トーマスさん! いるかい? トーマスさん!」


「はいはい、そんな大きな声を出さなくても聞こえてますよ」


 軽く息切れしている私とリトスをよそに、涼しい顔のアステールさんが屋内に向かって呼びかけつつドアを叩くと、ややあってからドアが開き、グレイヘアをシニヨンにまとめたおばあさんが出て来た。


 ドアを開けてくれたおばあさんは、すぐにアステールさんの傍にいる私とリトスに気付き、ちょっと垂れ目気味の、焦げ茶色した双眸を優しく細める。なんだか、おっとりした雰囲気の人だ。


「あらまあ。可愛らしいお客さんだこと。一体どこのお坊ちゃんとお嬢さんなの?」


「ああ、俺の命の恩人だ。ただ、このお2人さんの出自に関しては、少しばかり込み入った話になる。それもあってここに来たのさ。トーマスさんの知恵を借りたい事もあるし、中に入らせてもらっていいかい?」


「ええ。勿論いいわよ。さあ、お入りなさい。今うちの人を呼んで来るわ。今丁度お湯を沸かしていた所だから、暖かいハーブティーも淹れましょうね」


「あ、はい。ありがとうございます。お邪魔します」


「お、お邪魔します……」


 私達は、笑顔のおばあさんに促されるまま家の中に足を踏み入れ、通されたリビングのテーブルに腰を落ち着けた。おばあさんが出してくれた、ほんのり甘くて爽やかな香りがするミックスハーブティーを頂きつつ、待つ事しばし。


「やあ、アス。直に会うのはいつ振りの事だろうなあ。元気そうで何よりだ。そちらのお客人も。待たせてしまってすまんね」


 リビングに、おばあさんと同じグレイヘアで焦げ茶色の目をしたおじいさんが、ひょっこり顔を出した。

 軽い足取りでリビングに入って来たおじいさんは、挨拶の為に椅子から立とうとした私とリトスに、「ああ、立たなくて構わんよ」と優しく声をかけてくる。


「さて、話の前に自己紹介をしておこう。私はトーマス。20年と少し前から、このザルツ村の村長をやらせてもらっている者だ。そして、こっちにいる別嬪べっぴんが私の妻のライラ。村でも評判の、気立てのいい料理上手さ」


「あらいやだ。こんなおばあちゃんを捕まえて別嬪だなんて。お客さんに呆れられるでしょう?」


「そんな事ないさ。どんなに歳を取ってもお前は綺麗だよ」


「もう。あなたったら。でも、嬉しい……」


 にこやかに笑うトーマスさんの背中を、頬を赤らめながら掌で軽く叩くライラさん。

 はい。対面早々、惚気頂きました。

 全くもう、微笑ましいんだよ。このおしどり夫婦め。末永く爆発しろ。


「ん、ゴホン。そろそろこっちの話をしてもいいかい、万年新婚夫婦さん」


 アステールさんが、わざとらしい咳払いと共に話に割って入ると、トーマスさんが「ああ、すまないね」と、欠片も申し訳ないと思ってなさそうな顔で謝る。


「……それで、一体何があったのかな? 見た所、そちらのお2人さんはお貴族様みたいだが」


「ああ、実は――」



 ハーブティーの入ったカップを両手で包み持ちながら、アステールさんが私達の事情を説明し始める。話を聞いているうちに、トーマスさんの顔から笑みが消え、その眉間にも皺が寄った。


「……なんとまあ、そんな事でこんな小さな子供達を……。胸の悪くなる話もあったものだ……」


「ええ、本当に。相変わらず王都は嫌な場所ねえ……。あなたと出会った場所でもあるから、あまり悪く言いたくないのだけど……それにしたってあんまりだわ……」


「ふん。俺に言わせれば、あそこの特権階級が腐ってるのは、今に始まった事じゃないがな」


 ライラさんまでもが頬に手を当てて嘆息を漏らし、アステールさんも嫌そうな顔で鼻を鳴らす。


「――まあそういう訳で、今までこの子達はそのスキルを活用して、山の中で生き延びてたらしい。だが、その肝心のスキルに関して、あまり詳しい事を知らないようなんだ。

 なあトーマスさん、あんたなら知ってるんじゃないのかい? 大罪系スキルの事を。もし知ってるなら、この子達に教えてやってくれないか。頼むよ」


「あのっ、私からもお願いします! これから先、そのスキルのせいで取り返しのつかない事にならないように、色々知っておきたいんです!」


「ぼ、僕からもお願いします……! 教えて下さい……!」


「ああ、勿論いいとも。私がかつて勤めていた図書館に収蔵されていた、古い文献の内容でよければ幾らでも教えよう」


 私達の頼みを快く聞き入れてくれたトーマスさんは、ハーブティーを一口含んで喉を潤してから、静かに語り始めた。



 トーマスさん曰く、大罪系スキルはこの世に7つ存在するらしい。

 その内訳は、暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、嫉妬、傲慢。

 多分、私が元いた世界のキリスト教に出てくる、7つの大罪と同じと見ていいだろう。


 その主だった権能は、『自分自身の中にある願望や欲望を現実にする』というもの。

 トーマスさんは、私の『暴食』と『強欲』、リトスの『嫉妬』が持つ権能についても、知っている限りの事を全て、分かりやすく噛み砕いて説明してくれたが、それをそっくりそのまま書くとだいぶ長くなるので、ここは箇条書きで対処させて頂こうと思う。



 暴食:食事を取ると、魔力と体力、身体の不調が回復する。

 回復量は食べた量に依存。食べるものは何でもよし。食物に含まれた毒素・毒物を全て無効化できる。また、心から「美味しい」と思った物を食べると、全ての身体能力が一時的に強化される。


 強欲:魔力を消費して、欲しいと思った物を顕現させる。

 物質のみならず、欲しいと思った知識を得る事も可能。要らないと思った物を消す事もできる。他の大罪系スキルが持つ、コピーや模倣の権能を無効化する力も持つ。


 嫉妬:所有者が心に抱えた嫉妬の感情を、魔力ないし膂力りょりょくへと変換する。

 目の前で見た相手のスキルや技能を、コピーして使う事も可能。ただし、コピーしたスキルと技能を扱うには、多量の魔力を消費する。



 ……とまあ、私達の持つ大罪系スキルには、上記のような力があるらしい。

 だとすると、私ってだいぶ小さな頃から『暴食』のお世話になってたんだな。

 道理で、あの継母に扇子でしこたま腹や背中を打たれて痣だらけになっても、ご飯食べて寝て起きたら綺麗に治ってる訳だよ。


 ついでに言うなら、風邪も引かなきゃ熱も出さんし、お腹を壊した事もない。

 今までどんだけ私の健康に寄与してくれていたんだ、『暴食』よ。

 本当にありがとう『暴食』。これからもよろしく頼んます。


 後はアレだ。ある意味一番問題なのは『強欲』の方だ。

 まさか、物だけじゃなく知識まで手に入なんて思ってなかったよ……。使い方や、能力を明かす相手を間違えると洒落にならないぞ、これ。


 基本的にはお口チャックで通すのを徹底して、あとは、無駄にあれこれ望まないように気を付けよう。

 超便利で助かるから、これからも使い続ける気満々だけど。


 そこから比べると、リトスの『嫉妬』はどっちかというと戦闘寄りの権能だから、あの子の性格じゃ、十全には扱い切れないだろうな。

 まあ今の所、誰かと戦う予定なんて全然ないし、リトスのスキルに関しては、用を成さないくらいで丁度いいのかも知れない。なんにしたって平和が一番だもんね。


 こうして、トーマスさんから必要な知識を無事伝授してもらえた私とリトスは、そろそろ陽が沈む頃合いである事を理由にライラさんから引き留められ、トーマスさんの家に一晩お世話になる事にした。


 ライラさんの優しさと、トーマスさんの懐の深さに感謝せねば。

 山の幸をふんだんに使った、ライラさんお手製の暖かで美味しい料理に舌鼓を打ちながら、私は心からそう思った。



 縁あってプリムローズと共に訪れた、山間に埋もれるように造られた小さな集落・ザルツ村。

 そこの村長・トーマスの厚意によって、村長の家に泊まる事になった日の夜、リトスは王宮にいた頃の夢を見た。



 それは、リトスが8歳の誕生日を迎えた翌日の事。



 ――そういえば知っているか? リトス。お前の名前には、かつての公用語で『石ころ』という意味があるらしいぞ。全く、何の力も意思も、王子としての価値もないお前には、これ以上ないほど相応しい名だと思わんか。

 これからもその名に相応しく、私の道を妨げないように隅の方でうずくまっていろ。分かったな――



 石ころ。

 何の力も意思も、王子としての価値もない。


 朝食を終え、王族専用の食堂から出ようとした所で、底意地の悪い笑みを浮かべた兄王子がやおら発したその言葉は、何より鋭い棘となって幼い心を深く抉った。

 更に義母である王妃から、「まあ、本当にその通りね。シュレインは博識だこと。リトス、兄上様の言葉を忘れないようになさい」と笑顔で追い打ちをかけられる。


 父王はいつも通り見て見ぬ振りで、リトスを庇うどころか兄王子と王妃をたしなめる事さえせず、周囲の侍女や使用人者達も、ただ曖昧な薄ら笑いを浮かべて王妃と兄王子の機嫌を窺うばかり。


 誰も、リトスの事を気にかけてくれない。

 そんな現実に耐えられなくなったリトスは、唇を噛んでその場から逃げ出した。


 リトスは走って走って走り続け――やがて、城の庭の隅へと転がり込んだ。

 そうして、今は花芽を付けていない薔薇の木の下にうずくまり、声を殺して泣いていると、まるで鈴を転がしたような、可愛らしい声が降ってきた。


「――ねえ。こんな所でどうしたの? 誰かにいじめられたの?」


 声に釣られて、ノロノロと顔を上げる。

 すると自分のすぐ傍に、燃えるような真紅の髪、星のような輝きを湛えた深緑色と黄金色の目を持っている、天使のように綺麗な女の子がいた。

 思わず見とれて、涙が一瞬引っ込んだ。


 ケントルム公爵家の娘で、第1王子の婚約者だと名乗ったその少女・プリムローズに、リトスは何があったかポツリポツリと話し始めた。

 兄王子から「お前の名前は石ころと同じ意味だ」と言われた事。

 見下すような目で、「王子として価値がない」と言われた事。

 そして義母の王妃に、その言葉を肯定されてしまった事を。


 するとプリムローズはため息をつき、「呆れた」と嫌そうな顔をする。

 それから不機嫌そうに口を尖らせて、「あなたのお兄様、バカなの? 仮とはいえ、そんなのが私の婚約者だなんて、本当に悪夢だわ」と吐き捨てた。


「……でも、本当だから仕方ないよ。兄上は僕にいつも辛く当たるけど、嘘の言葉で傷付けようとはしないから。兄上はいつも、僕を傷付けられそうな本当の言葉をわざわざ探して、それを僕に言うんだ……。だ、だから、僕の名前は、本当に……」


 自分で言っているうちに、また目に涙が溜まってきて、リトスはまた唇を噛んだ。

 だが、プリムローズはそんなリトスを「あなたもバカな事言わないのよ」と、やんわり叱ってくる。


「いい? よく聞きなさい。私があなたのお兄様をバカだって言ったのは、弟をいじめたからだけじゃないからね。旧公用語の訳の拾い方が甘いから、馬鹿だって言ったのよ」


 プリムローズは、ふん、と鼻を鳴らす。


「確かに、旧公用語でリトスは『石ころ』って意味もある。でもその他に、『宝石』って意味もあるのよ。

 なのに、『リトス』って単語の訳は『石ころ』だけだって思いこんで、ドヤ顔でそれを弟に言うなんてね。あー、ヤダヤダ! 本当に、兄としても王子としてもバカで恥ずかしい人だわ! シュレイン殿下は!」


「え……」


 語気荒く言い放つプリムローズに、リトスは驚いて思わず目を丸くした。

 あの見目のいい兄王子を悪く言う女の子なんて、初めて見たのだ。


「ねえ、あなたに名前を付けたのって、あなたのお母様?」


「え、あ……う、うん。そうだって、聞いてる……けど」


「そう。じゃあ間違いないわね。あなたのお母様は、自分の所に生まれて来てくれたあなたが、とっても大切な宝物だったのよ。だから、『宝石』って意味の名前を付けたんだわ。うん、ファイナルアンサーよ!」


 プリムローズは自信満々に胸を張り、そう断言する。

 最後の、ファイナルアンサー、というのが、どういう意味なのかは分からなかったが、悪い言葉でない事だけはリトスにも何となく理解できた。


「そうなんだ……。凄いね、プリムローズは。僕とあんまり歳が変わらないのに、そんな難しい事知ってるなんて……」


「え? ま、まあね! 私、邸ではいつも暇で、本を読んでばっかりいるから、いつの間にか覚えちゃったのよ! アハハハ」


 リトスに褒められて照れ臭くなったのか、プリムローズは顔を赤くしながら誤魔化すように明るく笑う。


「と、とにかく! だからね、リトス。あんな根性悪の言う事真に受けて、自分の名前を悪く思ったらダメよ? あなたの名前にはあなたのお母様の愛情が、これでもかってくらいギュッと詰まってるんだから! 分かった?」


 そう言って笑いかけてくる顔があまりに眩しくて、リトスはプリムローズになんと言って返したのか、よく憶えていない。

 憶えているのは、その日その瞬間から、プリムローズという女の子がリトスの中で、世界で一番特別な存在になった、という事。


 そして。

 いつかこの子にとっての宝石になれたらいいな、という淡い想いだけだった。

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