○○○恋をした

三毛栗

第1話 ヴァイオリンに恋をした

 

 私と君との出逢いは、あの良く晴れた青空の美しい日だったね。


 私はその日、いつもより早く退社してフラフラと近場の通りを歩いていた。


 いつもなら赤く染まっている筈の景色が青空の下キラキラと日に照らされているのが新鮮で、何かしら買おうとその通りの店を一店一店巡っていた時だった。


 ふと、いつもは見ない楽器店が目に留まったんだ。


 店先には様々な可愛らしい雑貨や花が並べられ、それらに埋もれるように看板が掛けられていて。


 その不思議で可愛らしい雰囲気に惹かれた私は、自然とその店内に足を踏み入れた。


 正に圧巻、その一言。


 店内には所狭しと楽器が並べられ、そのどれもこれもが何か不思議でとても強い、明らかに只の楽器ではないというような雰囲気を醸し出していた。


 しかし、そんな楽器達がショーケースにも入れられずに晒されているこの状況、この店は大丈夫なのか?


 そんなことを考えた私が感じた視線。


 店の奥のカウンター、大きな椅子に腰掛ける老人の鋭い目付き。


 私はその目を見てやっと気が付いた。


 ここは普通の店ではないのだ、と。


 そしてだからこそ、ここにはきっと私の求めるものがあるのだ、と。


 沢山の楽器を掻き分けて進む。


 どれも立派で、博物館に飾られていても不思議でないような逸品ばかり。


 しかし、違う。


 私が求めるものはもっと、これらよりももっともっと、私の心に訴え掛けてくるような…。


 ふと、目が合う。


 瞬間、目が逸らせなくなる。


 私は走った、礼儀も楽器も何も気にせず、外から見るより遥かに広い店内で、君を求めて走り出した。


 たくさんの楽器が只の木材、金属にしか見えない。


 君だけが唯一、その店内で輝いていた。


 パッと、そこにだけスポットライトが当たったかのような錯覚がした。

 

 私は、君を抱き締めた。



 紅く輝く珠玉のボディ。


 滑らかな曲線を描く麗しいフォルム。


 艶々と、それでいてピンと張る真っ直ぐな弦。



 一目惚れ、それ以外に言い表しようのない、雷のような刺激が私を襲った。


 胸が強く強く鐘を打ち、これまで感じたことがないほどの幸悦が私の体を染める。



 『愛しています』



 私は君に心からの愛を告げた。


 その時、君のボディがさっきよりも、ずっと強く明るく美しく輝いた気がして。


 私は嬉しくて、一段ときつく君を抱き締めた。



 『ほう…。魅入られたか、中々やるなぁ』



 君に夢中になっていた私の後ろから声がする。


 振り向くと、先程の老人が口角を高く上げて私のほうを見ていた。



 『連れて行きな、兄ちゃん。そいつもあんたが気に入ったようだよ』



 その言葉を聞き、私はこれ以上ないほどに喜んだ。


 そして改めて思った。


 やっぱり、この店は普通じゃない、と。


 店を出ると、不思議なことに日はもうすっかり落ちていて。


 空はいつものように赤く赤く染まっていて。


 けれどその色が、私にはいつもの色には見えなかった。


 君の美しく紅い、ボディの色にしか見えなかった。


 ああ、この時に私は、君の名前を決めたんだったね。


 私が知り得る中で最も美しい紅…。


 いや、間違えたな。


 君の次に美しい紅色の名前。


 君の名前はーーーー……。



















 

 



 


 


 


 









□◼️□◼️□◼️□




 晴れ渡った青い空が美しい日、ある大学の1コマで、ある教授が音楽史の授業を行っていた。



「この手記は、かの有名なヴァイオリニスト、ドイットが遺したものです。彼は愛を題材とした様々な楽曲を残した作曲家としても有名ですね。この手記からも分かるように、彼は1挺…いえ、1人のヴァイオリンに恋をしていました。彼は有名な音楽一家の三男でしたが音楽の道を選ばず、家を出た後は大きな商店に勤めていたようです。しかしそのヴァイオリンに出逢ってからは自らヴァイオリニストの道を選び、その腕前で瞬く間に偉大なヴァイオリニストの1人として名を広めたのです」



 教授はここで一息を吐き、意を決したようにその言葉を口にする。



 「ーー"ルビー"。それが、彼を変えたヴァイオリンの名前です。ルビーは彼の死後、なんの跡形もなくこの世から姿を消しました。不思議なことに、ドイットが絶賛した美しい紅を見た人はドイット以外にいなかったようで、彼の演奏を絶賛した人々の記録でもそのヴァイオリンについては少しだって記載されていませんでした。本当にルビーは、彼の手記の中にしかいない、幻のヴァイオリンである、ということですね。ここまで徹底的に存在が謎ながら、ドイットの手記にのみ存在を明かしたルビー…。ルビーも、愛する人の手記や記憶には残り続けていたかったのかもしれませんね。また、そんな謎多きルビーとドイットの豹変ぶりから、彼のヴァイオリンの音色は彼の腕前だったのか、はたまたルビーの力、魔力のようなものだったのか。という議論が、ドイットの死後から現代まで続いています」



「ちなみに、ルビーが売られていたと言う楽器店だと思われる場所には老舗のベーカリーがあり、そんな楽器店を見た人は一人もいなかったそうですよ。本当に、謎多き存在ですね…」



 〜♪〜〜♪♪〜



 区切り良く、チャイムが鳴る。



 「あら、時間になりましたか。では、これで今日の講義を終わろうと思います」



 生徒達がいそいそと立ち上がり、おしゃべりの声が増え始める。


 そんな中、教授の元に向かう人影があった。



 「あの、今回の講義でお聞きしたいことがありまして…」



 「はい、何ですか?」



 わざわざ質問するような内容、今回の講義にあったかしら?


 なんて、ちょっとだけ失礼なことを思う教授。



 「ドイットって、若い時は相当な遊び人だったと言うじゃないですか。本人もかなりの美男子でモテたとも記されていますし…。それなのに、たくさんの女性を見てきたであろう彼がヴァイオリンに恋してしまったのは、何か要因があるのでしょうか?こう、幼少期のエピソード…とか」



 「うーん…。難しい質問ですね。まず、彼にはルビー以前に恋をしたという記録は残っていません。加えて彼が交際していたという記録もありません。遊び人とは言いながら、彼が生涯で恋したのは、ルビー只1人だったとも言われていますから。恋は理屈じゃない、なんてことも言いますしね」



 先程の手記にも、情熱的な一目惚れが綴られていましたし。


 教授はそう言葉を締めると、他に質問は?と、生徒に問う。



 「そういうもの…ですか」



 「はい、そういうものです」



 生徒は、少し納得がいかないような顔をしながらも質問を終える。


 

 「ありがとうございました」



 次の授業があるのか、すぐに踵を返し扉に急ぐその生徒の背中に向けて、教授は呟いた。



 「…だから正確には、ヴァイオリンに恋をして""しまった""、ではないのでしょうね。彼にとってきっとその恋は、唯一で最高の物だったのでしょうから」



 その声は、生徒には聞こえていなかったのだろう。


 振り向きもしない生徒を見て、教授は思う。


 こういうのにキュンと来ちゃうのって、おかしいのかしら?


 一途な恋、一目惚れ、というのは、相手や環境に関わらず胸に来るものがあるのよね…と、夫と大恋愛の末にゴールインした教授は密かに教科書に書かれたドイットに親近感を覚えていた。


 けれど…確かに、そう思っちゃうのも無理無いわよねぇ。


 この後はもう帰るだけの教授は、次の授業のない空の教室で物思いに更ける。


 ヴァイオリンに限らず、楽器に恋なんて、想像もつかないもの。


 楽器とは、奏者にとっては恋人というよりも子供のような感覚に近い。


 勿論恋人のように扱う奏者もいるにはいるが、本気の恋には程遠い。


 「そんなもの、とは言っておきながら、私だって彼の気持ちは分からないわ~。本当に、偉人って不思議な人達ばかりねぇ」


 ポツリ、思考が頭の外へ漏れる。


 静かな教室に自分の声が響くのを聞いた教授は、やっと荷物を纏めだした。


 「私もまだまだお子様ってことかしら?」


 巡らせに巡らせた思考に何とか終止符を打った教授は、愛しの人が待つ我が家へと帰っていった。


 


 


 



 

 


 



 

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