第3話

 このクロウがジーク様にとって最大の政敵でもあった。貴族主義を推し進めるジーク様に対し、クロウは『国民主権』を掲げ、改革に乗り出してる。

 大戦の影響あって、今や世界中で民主化の機運も高まっていた。それを、ほかでもない王子様が主張するものだから、社交界は荒れてる。

 ジーク様の侍女として、私もクロウと仲良しごっこはまずいわね。

「お前はいつまでジークに従うつもりだ?」

「この命が尽きるまでです」

「そんな献身的な女には思えんが、な……まあ好きにしろ」

 クロウは肩を竦め、踵を返そうとした。

 ところが小さなレディーに甲高い声で呼び止められる。

「お兄様っ!」

 旧カレードウルフ王国のお姫様、テレーズ様ね。クロウにとっては腹違いの妹で、下にもうひとり弟がいるのよ。当然、後妻の一派はそっちの弟を推してる。

 いずれ共和国議会にも介入する腹積もりなんでしょうね。

 クロウを見上げ、テレーズは頬を膨らませた。

「プールもカジノも、ちゃあんと約束したはずよ? 私と一緒に遊ぶって」

 さしものクロウも視線を泳がせる。

「あ、ああ……今日の会合が一段落したらな」

「お仕事はないって、言ってたじゃない」

 この子も自分の立場が理解できる歳になったら、クロウを煙たがるわ。それは兄とて百も承知、だからこそ、今のうちから距離を取ろうとしてるの。

 でも、幼いテレーズ様はそんなのお構いなし。

「黙ってないで、あなたも何か言ってやりなさいよ? オディール」

「では僭越ながら……」

 もちろんクロウはジーク様の政敵であって、私はジーク様の忠実なるメイド。そんな私がクローディス王子にま・さ・か、味方するはずもなかった。

「プールは運動に最適ですし、カジノも社交のお勉強に役立つことでしょう。テレーズ様もゆくゆくは共和国を担っていかれるおかた……兄でいらっしゃるクローディス様がご指導して『差しあげる』のが、よろしいかと存じます」

 テレーズ様は小躍りもして、あどけない笑みを振りまく。

「うんうん! さすがオディール、あなたは本当にデキる女だわ」

 一方でクロウは不愉快そうに舌打ちしてくれた。テレーズ姫にお前が『差しあげろ』っていう言いまわしも、癪に障っちゃったのかしら?

「……よく口のまわる侍女だ。ジークフリートの影響だな」

「お褒めいただき、光栄でございます」

 クロウは逃げるに逃げられず、テレーズ様にずるずると引っ張られていった。

 ふふん、いい気味ね。

「っと、遊んでる場合じゃないわ」

 その後も私は『メイドのオディール』として振る舞いつつ、職務に励む。

 アンティノラ号の乗客は大半がジーク様から招待を受けていた。誰にとっても今回のクルーズは、社交界で自分を売り込むチャンス。

 人数が空いた分は、水面下で争奪戦が繰り広げられたほど。本日の『ターゲット』であるリッチモンド子爵もあの手この手を尽くし、ぎりぎりで席を確保してる。

実はね……アンティノラ号では今夜、ジーク様にも内緒で、ある密会が開催される予定だった。オークションよ。秘密の会員様だけがご参加って類のね。

 大戦による大混乱の中で、数多の美術品が横流しされてしまったの。表向きは『紛失』したものとして、こっそり競売に掛けるなんてのは、常套手段。

 アンティノラ号には今、実に十点を超える名画が運び込まれてるはず。

 巨匠レオニードの『アレスの審判』もあったかしら?

 場所の見当はついていた。忍び込むのも簡単よ。

 でも、どうせなら一網打尽にするべきでしょ? それを見越して、ジーク様も今回の作戦を立てた。子爵たちはそうとも知らずに開催を待っている。

 それまでは息を潜めて、虎視眈々と……。

 ところが、船内では何やら騒ぎが始まっていた。

 声を荒らげてるのは、リッチモンド子爵だわ。血相を変え、船員に要求してる。

「港に寄ってくれと言っとるんだ! なあ、いいだろうっ?」

「も、申し訳ございません……私に決定権はございませんので、船長のほうに」

「だったら、船長を呼んできたまえ!」

 空は青々と晴れ、波は穏やか。アンティノラ号の旅は順調だった。にもかかわらず、リッチモンド子爵は『港へ行け』と縋りつく。

 それもおかしな話よね? このクルーズには誰もが人脈の開拓や強化を目当てにして、参加してるんだもの。途中で降りたがる客なんて、いるわけがない。

 最悪、この件がジーク様のお耳に入ったら、子爵も立場がないでしょうに。

(しょうがないわね……)

 私はメイドらしく会釈を踏まえて、やんわりと割り込む。

「失礼致します。ジークフリート様より本日の運航スケジュールを確認するよう、承ったのですが……港のほうにお寄りになるのでしょうか?」

 リッチモンド子爵は青ざめ、口を噤んだ。船員はほっと胸を撫でおろす。

「いいえ、まさか。ジークフリート様には順風満帆とお伝えください」

「了解しました」

 勝手に船の行き先を変更しては、それこそジーク様のお怒りを買うものね。船員はここぞとばかりにジーク様の名前を出して、子爵は黙るほかなかった。

 その隙に私は彼のポケットから一枚のカードをくすね、わざと落とす。

「……あら? これは」

「なっ? い、いかんぞ、それを読んでは!」

 子爵の慌てふためく理由がわかった。

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