第35話 三つ巴の正義

〔これまでのあらすじ〕

オシリスの羊シロ、魔王の娘クロ、誘拐された妻を探すアラクネ族の末裔パウク、死を偽装して自由になった元騎士イグニス、彼を慕う元騎士ヴィトラ、そして2人目のオシリスの羊ミヅイゥ。6人の世界を救う旅は続く。

リュポクスの海にて魚人族の王の娘を救ったシロは御礼に魚人族の宮殿、水渧宮に招待されたのであった。


子供の頃から外の世界は恐ろしいものだと教えられてきました。でもそう教われば教わるほど興味が湧いたのです。窓から覗く世界は果てしなく広大だったから。

ヒナの違和感にも気づいていました。でも私は外の世界の魅力に抗えなかった。

「ごめんなさい。シロ」

アミラルネはシロの手を取った。

あなたを巻き込んでしまったのは全部妾のせいなの。

「アミラルネ…さん…」

シロはアミラルネの手をギュッと握った。

「大丈夫です。私達は世界を救うために旅をしているんですから。どこにいようと例外なんていません。私達を頼ってください」

「シロ…」

2人のいる牢が大きく揺れた。そしてガタガタと振動が続く。

「動いている?」

「この牢ごとってことですか!?」

「そういうことになる。どこに行くつもりかしら。まさか奴らの根城に?」

「アミラルネさん…奴らって?」

「私たちチニォユ族に敵対するアドフ族。遥か昔に壊滅させたはずなんだけど、やっぱり残党がいたのね」

「どうして争うんですか」

「アドフは機械との融合を拒んだ原生生物。淘汰されるべき種よ」

「そんな…」

「シロ」

アミラルネがシロの両肩をぎゅっと握る。

「さっきの世界を救うって話、私達を頼ってくれってすごく心強いと思った。お願い、世界を救うためにアドフ族を抹殺するのを手伝って」

「アミラルネさん…」

「足取りを見せた今がチャンスなの。今度こそ魚人族の禍根にケリをつける」

「でも…殺すのはダメです…」

「どうして?」

アミラルネは、さもシロが間違っているかのようなキョトンとした顔をする。

「それは…クロさんが…ダメだって」

「シロ。私はクロの言葉じゃなくて、あなたの言葉が聞きたいの。お願い、シロ。アドフ族を殺して!」

アミラルネは真っ直ぐにシロの瞳を見つめる。シロは思わず目を伏せると弱々しく頷いた。

「ありがとう…!」

「でも、とりあえずここを脱出しなきゃですよね」

シロは強引に話題を逸らした。

「そうね。だいぶ目も慣れてきたけど何もないわね。ここ」

「私は一応ポシェットがありますけど、ノートと鉛筆くらいしか」

「そう。私は何も持ってないわ。どうしましょう」

「あ」シロは鉛筆を取り出す。

「どうするつもり?」

轟斬撃剣エクセス

鉛筆が剣に変わる。

「あの時の!」アミラルネが興奮気味に言った。

――ガンッ

牢の格子に刃を叩きつけるシロだったがそれを破るには至らなかった。

突然微細な振動が止む。

「止まった?」

――ガゴン

そして格子の外側に貼り付けられていた板が剥がれる。

アミラルネの読み通り牢は移動していた。しかしそれは"移動する丘"の異名を持つアドフ族の戦車、ヴァルツェオンに搭載された状態で移動していたのであった。

シロとアミラルネの収監されている牢はコックピットの真下にあった。2人はそこで居住サイトの惨劇を眼にする。

圧縮されたガスが弾ける力に押されて、左右の砲門から射出される徹甲弾が団地の建物を次々に破壊していく。

地面に目を向けると一面にうっすらと張ってある水面にチニォユの住民の死骸が浮いていた。

崩壊の振動に広がる波紋に死骸がゆらゆらと揺れる。

「そんな…」

アミラルネの育った街が蹂躙されていった。


クロとミヅイゥそしてミヅイゥの手の上に乗るカニの姿になっているヒナの3人は水渧宮の地下通路を駆けていた。

「このまま真っ直ぐ行った先が三叉戟ネイトスの保管場所です!」

「この廊下以外に保管場所への行き方は?」

「ありません!ここだけです」

「ならどこかでフェイクとすれ違ってもいいはずだけど…まだ部屋の中にいるのかしら」

「三叉戟をケースから抜くのと扱うのとじゃ訳が違います。抜いたはいいものの扱えなくてその場に留まっている可能性も。もしくは…無限にエネルギーを発散する戟の方に逆にエネルギーを吸い取られている可能性も」

「なるほどね」

「とにかくいそげばいいってことだろ!」

「お願いします!」

そしてようやく3人は保管場所の扉の前に到達した。

「行くわよ」

ミヅイゥを下げてクロが扉のノブに手を掛ける。

「動かないで!」

部屋に入るなりクロが叫ぶ。しかし…

「ほう。これは一本取られたわね」

続いてミヅイゥも部屋に入る。そして見上げると腕を伸ばしてヒナを頭上に掲げた。

「そんな…」ヒナが声を漏らす。

「まさか天井ごとくり抜いて外に出るなんて」

くり抜かれた穴からは耐水シールドの上端が見えた。

「ここから上がる術はないですかね」

「はい。戻ってから外に出るしか」

クロは頷いた。

「急ぎましょう」


パウク、イグニス、ヴィトラはタスクフォース用装備を身に纏い水渧宮の裏から外に出た。目下には厳密に高さの統一された建物群が並んでいた。

水渧宮が水中に沈むという最悪の事態は免れた為、3人は背中の酸素ボンベに繋がれた呼吸用マスクを外した。

――ドンッ

遠くで何かが炸裂した音と振動が伝わってきた。

「おいあれ」

3人はヴァルツェオンがサイトを蹂躙する様を目にした。

急いで階段を降りると地面には水が張っており歩くとピチャピチャとはねた。

「これ…漏れてきた水ってことよね」

「そうじゃないか」

「もう全域が浸水したってこと?」

「うむ。かもしれないな」

「とっととケリをつけないとな。水の中じゃ俺は無力だ」

「拙者が先に行く。出来るだけ足止めをしてみる」

「分かった。すぐに追いつく」

「頼む」

パウクは建物に糸を伸ばすとそれを瞬時に巻き取ることで左右に飛び移りながら大通りの上を進んでいった。

「俺たちも行こう」

「ええ」

イグニスとヴィトラは水がはねるのも気にせずに駆け出した。

――バキバキバキバキ

2人の背後で轟音が響く。振り返ると水渧宮の中から三叉の戟を手にした女がゆっくりと浮かんできた。

「フェイクか!」

女は戟を右から左に斜めに振り下ろすとその軌道に沿って飛び出した波動の軌跡が建物を切断していった。斜めに切れ込みの入った建物は滑り落ちるようにして崩れる。

「おいおいおいおいあんなのどうやって戦えって言うんだよ」

「私がやってみる」

ヴィトラは背負っていた弓を取り出す。そしてフェイクの手を狙い弦を引絞る。

ヴィトラの矢は狙い通りに飛んだが、戟の前で何かに阻まれた。

「遠距離でもダメなの?…魔術解析サピテリア

ヴィトラがフェイクを凝視する。フェイクは矢の飛んできた方向を一瞥すると戟を振った。

「ヴィトラ!」

イグニスはヴィトラを抱きかかえながら波動の軌跡の外へと飛び込んだ。

「大丈夫か?」

「ええ。…ごめん」

「いやいい。あ、パウクならどうにかできるんじゃないか?」

「確かに。でも連絡はできないし…」

「俺たちでパウクのもとまで誘導しよう」

「分かった」

しかしフェイクは一振りしただけでその後は目もくれずに団地の方向に進み始めた。

「アイツ…!」

「先回りしてパウクに仕掛けさせましょう」

「そうだな。走るぞヴィトラ」

「元からそのつもりだったでしょ!」

2人は目の前の大通りを駆け出した。


すごい。チニォユの連中とは違って私の体に機械のパーツはないはずなのに、それでも三叉戟に支配されているよう。目を閉じれば眠りに落ちてしまう瞬間と同じ、気を抜けば私は完全に意識を失ってしまう。

だから今はただ進むことだけを考えればいいの。兄さんにこの戟を預けるだけでいい。それさえ叶えば…あとはにいさんがぜんぶやってくれる。

フェイクの前進する意思により辛うじて方向だけは間違えていないものの、戟を振る腕にもはやフェイクの意思はない。ただ溢れるエネルギーを発散するだけの行為。

それだけではあるのに、その結果街は瓦解する。


クロ、ミヅイゥ、ヒナの3人も水渧宮の裏から外に出た。

「あれを…!」

クロが街の上空を指差す。

「これを全部一人でやったの?」

「クロさん、お願いしてもいいですか?」

「分かりました」

クロは自らの右腕を引っ掻いて血を流す。そしてその腕を空に掲げる。

「我が名はクロ・サタナス。三叉戟よ、王のもとに戻りたまえ」

しかし何も起こらない。

「本当に王はあの戟を呼び寄せられるんですか!?」

「そう言われていますが…」

「まぁ、ダメなら直接取り返しましょう。急がないと」

「ですね。ミヅイゥさん、お願いします」

「うむ!」

クロとミヅイゥも階段を駆け降りて大通りを進み出した。


パウクは建物の屋上に登った。

通りではアドフ族と思われる兵士がチニォユの住民を殺して進んでいた。

「糸が足りるといいんだが…」

パウクは身を反転させながら後方に飛ぶと頭から落下しつつ目についた兵士を糸でその場に固定していく。

「誰だお前は!」

パウクは再び体を上下に反転させて着地すると口を開いた。

「チニォユ族の未来を守る流離の旅人、パウク・メテニユ」

「チニォユに味方する奴は誰であれ敵だ。殺せ!」

数多の銃口がパウクに向けられる。

――ドンッドンッドンッ

パウクは糸で飛び、頭上から糸のカーテンを射出する。

「命を軽視する者はそのまま地面に張り付いていろ」

やがて散らばっていた兵士たちが集まってパウクを狙い始める。建物から建物へと飛び移るパウクだが、避けるべき弾道が増えたことにより屋上に着地した。

パウクはヴァルツェオンの様子を伺った。

「とにかくあれを止めなければ。どうするか…」


イグニスとヴィトラはアドフ族の侵攻の最前線を目視できる距離までやってきた。2人は瞬時に建物の間の隙間に身を隠した。

「街の人達が」

「ええ。でもパウクの糸がところどころに見える。きっと戦ったんだわ」

「この量じゃどうにもならないよな。さてパウクはどこにいるんだろうか」

「あ、あれ。あのデカい移動物体の近くの建物の屋上に」

「でも待てよ。あそこは通りの反対側だ。敵の目の前を突っ切らないと」

「そんなこと言ったって、うかうかしていたらフェイクが来るわよ」

「ああ分かった。俺が奴らの気を引くからヴィトラはパウクのもとに行ってくれ」

「了解。気をつけてよね」

「もしもの時はよろしく」

イグニスはそう言って大通りへと飛び出した。

「やあやあアドフ族の皆様。どうかお引き取り願えないだろうか」

「誰だ貴様は」

「蜘蛛の仲間か」

「囲め囲め」

「全く人気者は辛いねぇ。俺はイグニス・ヴォクユ。騎士団最強の男だ!」

イグニスは引き抜いたヨモツとマガツの刃先をを地面に突き立てた。

烈炎双剣デュアルフレイム

イグニスと周囲のアドフの兵士を取り囲むように円形の炎の壁が立ち昇る。

「俺にだってこれくらいできるんだぜ。シロッ!」

「かかれー!」

飛び交う弾丸を炎で焼き切るとそのままの勢いで斬りかかる。兵士も咄嗟に銃を縦に持ち剣を防ぐ。

その攻防の裏でヴィトラはパウクのもとに駆け出していた。裏口の扉を蹴破って中に入ると脇にあった階段で屋上まで登る。

「パウク!」

「ム、ヴィトラ殿か。助かる。援護を…」

「待って。あれを見て」

パウクは振り向いてヴィトラの指差す先を見る。

「人が浮いている」

「そう。例の三叉戟の力。パウクならあの戟を奪えない?」

「なるほど。心得た」

パウクはそう言うと糸を使ってフェイクの真下の建物へと飛び移っていった。

「ああもう、なんで男ってみんなこうなのよ」

――ドンッ

背後でヴァルツェオンの砲撃。ヴィトラは瞬時に身を屈めて振り返った。

「魔術解析。ん…?あれは」

ヴィトラはヴァルツェオンの中にシロの名前を見つけた。

ヴィトラが開花させた魔術解析の能力に記憶の情報反映作用がある。これは使用者の記憶に残された魔術解析の対象者の情報がスキル発動中に解析された情報に加算されて脳内で処理されるという作用である。つまり簡単に言うならば、一度魔術解析の対象になった人物(生物全般)はその時認識した情報に加えて脳内に保存されている情報も浮かび上がって見えるということである。

実際、シロ特有のスキルのもやから遡ってシロの名前を認識したのである。

――あそこにいたのね。みんなに知らせなくちゃ。

ヴィトラは屋上から階段を降り始めた。


パウクはフェイクの真下の建物に辿り着いた。

「蜘蛛綾取」

真っ直ぐな糸を三叉戟目掛けて放出する。しかし…

「透明の盾か!」

パウクの糸も阻まれてしまった。パウクは糸の量を増やす。何本で小突いても効果はなかった。

フェイクが戟を振る。パウクは後ろの建物に避けつつさらに糸を放つ。するとその糸は戟の柄に絡みついた。

――そうか。盾があると攻撃もできないのか。

パウクは絡みついた一本の糸を太くする。そして力いっぱい引き寄せると同時に糸を体内に巻き取る。

しかしその巻き取りもすぐに停止する。

――くっ…!逆に引っ張られるぞ。

反対の左手から放つ糸を建物の一部に巻きつける。

――これでも…ダメか…!

「「パウク!」」

フェイクの背後、通りの上にクロとミヅイゥがいた。パウクはその時全てを理解した。

「心得…ッたア!」

全体重を乗せて戟をクロの方向に投げる。

クロが血に塗れた右腕を突き上げる。三叉戟がクロを認識すると手元へと落ち着く。

瞬間、クロの全身に電流が走る。

――何これ…!抑えられない!

クロは戟先を地面に突き刺す。柄を握る腕は痙攣を続ける。

「クロさん、どうかお願いします」

背後からヒナが声をかける。

「分かって…ます。ただ…」

――これは…ただエネルギーが溢れているんじゃない。どこかに行こうとしている?

させまいとクロは両手で柄を握る。全身の痺れが増す。

――あたまが…いたい!

ビクンとクロが体をのけぞらせる。足を広げて片手で三叉戟を引き抜く。

「クロさん?」

ついに三叉戟が周囲に空中放電した。ミヅイゥとヒナは近づこうにも近づかない。

その間にクロは投擲態勢に入る。そして正面に対して真一文字に握ると、そのまま力一杯投げ飛ばした。

三叉戟は物凄い勢いで前進する。まるで何かに引きつけられるかのように。

三叉戟の進む先にはヴァルツェオン。そのコックピットの真下に造られた牢の格子の間からアミラルネが手を伸ばした。

かくして三叉戟は格子を突き破り王女アミラルネの手に辿り着いた。

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