第59話 眩しさ

 十和瀬酒造に新たな年を迎えた。新酒が出来たのだ。さっそく新酒のサンプルを持って、いの一番に君枝のスナックを訪れた。しかし小谷は、香奈子を呼び出して伏見の酒蔵が建ち並ぶ疎水縁を散策した。

 年が明けてから目も離せない忙しい状態が続いた。寒波と暖冬が交互に押し寄せて天候が不安定だったのだ。こんな時は樽の中で発酵が進む醸造過程では常に一定に保つのに一苦労も二苦労もさせられる。その甲斐あってやっと出来上がった。君との仲もこんな風に熟成されて来たと思える日々が続いているのは幸いだ。

「菜摘未さんと境田さんは上手く行ってるのかしら」

「便りがないのがその証しだろう」

 菜摘未に関しては何か有れば黙っているはずがない。気に入らなければ怒鳴りつける女だ。

「それじゃあ境田さんは大変ね」

「そうでもないだろう。気に入られれば尽くしてくれるタイプだから。でも気に入らなければテコでも動かないどころか石でも投げられ兼ねない」

「まあー、大変」

 と言いながらも目は笑っている。菜摘未もそうだが、此の人も大袈裟なんだと小谷にすればそう言うところが似ている。

 千夏さんは幸弘さんよりあなたが適任と睨んでいた。それであなたは境田さんの実家で彼女の説得にひと役駆り出された。しかしあんな突拍子な家出がどこにある。境田さんには嬉しいに違いないが、いきなり仕事帰りに呼び出し、そのまま実家まで行った。菜摘未さんも突然呼び出して喫茶店かレストランならまだしも、そのまま夜汽車で行くなんて。境田さんも銀行も行けずに翌日には妹さんから前借りまでした。

「それならわざわざあんな高い観光ホテルなんかどうして予約したんだ」

「本当は彼と一緒に泊まりたかったんじゃないの」

「でも予約は一人だ」

「早朝、彼だけがこっそりとそこから出勤する」

「どうしてそんな行動を」

「確かめたかったのかしら」

「何を」

「菜摘未さんは、あたしを裏切るとどう言う仕打ちが待っているか」

「それでも境田は、そんな菜摘未の烈しさを愛してるんだ」

「だから道連れにしたのね」

「彼女の取り留めのない想いを担保にして、境田は一緒に成ったようなものか」

「人それぞれ相手に依って想ってもらう事は様々なのよね」

「香奈子さんはどうなんですか」

「どうって、どう言うこと?」

「人それぞれ愛し方が違うってさっき云ったばかりなのに」

「あら、そうかしら」

 此の人は自分にとって都合悪くなると、見事に惚けるから掴みにくい。お母さんの君枝さんに似て、シャキシャキした処も持ち合わせているが、そう言う雰囲気作りには、まだお目に掛かったことがない。それでも気丈な性格の中にも、お茶目に振る舞うかと思えば、節々に小粋な仕草がひょっこり覗かせる。これに小谷が身構えても、いつも取り越し苦労に終ってしまう。そんな小谷を、香奈子さんはいつも穏やかな瞳で笑って見てくれる。しかし本格的に付き合いだすと、そんな性格はスッカリ抜け落ちて、忘れかけていた頃にまた意地悪っぽくそんな仕草をされる。おそらく境田さんから、あの無人駅での菜摘未のパフォーマンスを聞いた時に、香奈子さんにも似た突拍子もない可愛い悪戯いたずらをされそうだ。

 それを話すと「あたしは菜摘未さんみたいにそんな勝手な行動は取らないわよ」と言われた。どうも心の奥底の怪しげな瞳には、そんなたくらみが見え隠れする。ただ菜摘未に先を越されただけだ。

「それで菜摘未さんは、あれからこっちへは顔を出さないのかしら?」

「境田もあの会社を辞めてしまって、会う機会がスッカリ失せてしまって、こちらから連絡の取りようがないんだ」

 年が明けて仕事が落ち着いた処で、自己都合に依る退社の報せがあった。

「あらー、それじゃあ菜摘未さんしかないのか……。まさか実家の十和瀬酒造には連絡はあるの?」

「それも結構ご無沙汰のようなんだ」

 あら、そう、と香奈子さんは特に驚かなかった。

「まあ、それはそれで目くじら立てるものでも無いわね」

「まあね、香奈子さんも、そろそろ、そうなんでしょう」

「何がそうなんですか、ハッキリおっしゃい!」 

「二人の駆け落ちの後を私たちが追いかけても不思議じゃあないでしょう」

「あたしは夜汽車では行きませんから、白昼堂々と行きますからその時は宜しくね」

 ウ〜んとうなりたくなったが、この対応に小谷はつい、意地悪な質問が出てしまった。

「香奈子さん」

「はいィ?」

「お父さんをどう思いますか」

「ハア?」

「正しい行いだったと思いますか」

「それを否定すれば、あたしの存在そのものを否定することになるわね……」

 彼女は返事に困った。

 鴈治郎さんが浮気をしなければ、菜摘未も真面な生き方が出来たか。それを香奈子さんに問うのは間違いだろう。小谷が十和瀬家に出入りして、初めて妻と共に君枝を純粋に愛した鴈治郎の眩しさを知らされた。此の父の生き方をそのまま遺伝しているのが菜摘未だ。

「どうあれ、その時々が真実であればいんでしょう」

 と言われても、遺伝しているのは菜摘未だけでなく父親が同じ香奈子さんもだ。と眉を寄せた。

 愛は眩しければ眩しいほど、情念を失わせてしまうものなのだ。 


               了

 

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愛を語る眩しさを知れ 和之 @shoz7

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