第56話 誰が鈴を付ける

 お互い言い張ってる場合ではない。此の観光ホテルもそんなに安くない。しかも年が明ければ予約が一杯で空いてる部屋はないだろう。このまま兄妹に任しておけば話が進まない。そこで先ずは今度の動機になったお父さんに焦点を絞ってみた。これは整理のしようがないとバッサリ菜摘未に言われ、十和瀬に向いた不満の風向きが一気にこっちへ流れた。いらんことを言ったと後悔しても遅い。

「もっともだけど、今更どうしょうもないでしょう」

「ならどうして何も言わずに家を勝手に飛び出したんだ。境田さんと事前に何か話し合っているのならどうして言わないんだ」

 思わず菜摘未と交際していた頃の不満がそのまま飛び出した。

「そんなもん有るわけないでしょう。誰が家出しますと宣言して飛び出すもんですかッ」

 それではこっちで要点をまとめるにも小谷と菜摘未に関しては、気持ちの整理をしないと纏めようがない。

「小谷さん、貴方は大学を出るまではあたし達の家に来たのに、社会人になれば全く来なくなって寂しい思いをしていたのも知らないでしょう」

 これには目の前の境田が目を剥きそうだ。そんな目で見ないでくれ、これは単なる菜摘未が年頃だった少女時代の思い過ごしだ。現に今はそんな面影は何処どこにも存在しない。

「しかし良いこともあっただろう。新しいお姉さんが出来て」

「そうね、香奈子姉さんは内の兄二人と比べて女性として扱ってくれて、少しは無茶をしなくなったけれど……」

 今はしゃくだと顔をしかめた。

「最後の無茶があの自転車事故か」

 十和瀬はいきなり声を張り上げて水を差した。これには他に深い意味がありそうだ。十和瀬に言わせれば、アレでお前が入院して君枝さんが急遽きゅうきょ駆け込み全てがばれて、逆におやじは羽目を外すようになった。

「浮気は早めに世間に晒した方が回復も早いはずだったが、父はどう解釈したのか今度はおおっぴらに不倫の相手の店に出入して、まったくの逆効果になった。その張本人が何を話したがってるんだ」

 と顰め面で暗に妹に自制をうながした。

 こんな父を持ったのが間違いだ。それを追認する兄二人もだ。兄だけではない。会長のひと言で小谷も営業成績に影響する。兄は生まれる子供で苦労する希実世さんの為にも会長には引き立ててもらいたい。そんな思いを引き摺ってる二人に菜摘未は何も言われたくない。

「あんな会長の想いなんか何で振り切ってしまわへんの」

 と菜摘未には、十和瀬と小谷が歯痒い。

「会長あっての十和瀬酒造なんだ」

「お父さんのいびつな女性関係はじゃあ、どう思ってんのよ」

 とこれに菜摘未は兄に猛反発した。

「しかも父は家から駅に行く道に店を持たして。今もお母さんは気に入らんからあの店の前を避けて、別の道を通っている。何でそんな事しなあかんの!」

「鴈治郎さんとはあの『利き酒』で一度呑んだ事があるが、女性に関してはきちっとして面倒見が良い。奥さんも君枝さんも同等に扱って、一方を擁護ようごしない。どちらも大事に依怙贔屓えこひいきなくやって来られた。これに関しては文句の付けようがない」

「それがおかしい。母が居ながら他の女性に手を出す。そこが大問題なのにすり替えないでッ」

 要は愛情は一人の人に注げと言う。もっともだが、人間関係には感情のもつれが付き纏う。その時に妻以外に心の逃げ場を求めたとすれば、常に夫の愛を繋ぎ止められなかった妻の責任であり、普通は其の心は別の人に移るが、鴈治郎さんは均等の取れた愛を二人に注いだ。これを菜摘未は批判するが、どうだろう。世間も立派に二者択一でなく両立を認めている、鴈治郎さんの奥さんを除いては。いや、もう一人被害者が隣に居た。此の人が菜摘未に愛のなんたるかを授けない限り話に進展はない。とまだ発言していない境田に目を向けた。

「ところで境田さんは明日から仕事に戻るんでしょう。こんな処まで来られて、まさか早朝の始発電車で行かれるんですか?」

「それはちょっときついので、出来れば今夜の快速電車で帰りたいんですが……」

「そうでしょう」

 と菜摘未は同情した。

「また仕事に戻って正月明けには迎えに来ますと言って、今朝、駅で別れたのにそれでどうしてまた兄と一緒に来たんです?」

 あたしの説得にどうして此の人まで巻き込むの、と菜摘未は兄と小谷を睨んだ。

「私と十和瀬家の者は千夏さんがしっかり抑えてますが、ここに居る二人はそうじゃないんでしょう」

 意味ありげに小谷から菜摘未は見詰められた。

「二人って?」

「一緒に行った菜摘未と境田さん以外に誰が居るんだ」

 と小谷は直ぐに境田から菜摘未に目を向けた。

「そもそも何で急に居たたまれなくなった理由は解ったが、何で境田さんを呼び出したんだ?」

「だって一人じゃ心細い」

「ほうー、彼なら心細くないと思った訳はなんなんだ?」

「また変な人に付け回されたくないから」

「ボディガードってわけか。それじゃ彼が気の毒だよ。会社を急に休む理由付けとなれば風邪だと仮病を使って休みをこじつけるしかないのに。まあ明日元気に出社すれば弁明が大変だけど」

 そこまでの配慮は菜摘未にはないだろう。それをどこまで感じ取ってくれるかが問題だ。とにかく十和瀬酒造の会長である鴈治郎さんに変革を求めるより菜摘未、お前自身を改めろ、それが無理なら境田さんと逃避するしかない。

「二人は駆け落ちした。そう報告して幕切れにする」

 小谷は勝手に宣言して十和瀬に帰るように促した。立ち去る小谷をそのままに十和瀬はウ〜んとうなりながら暫く面と向かって二人を見詰めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る