第33話 菜摘未の思惑2
菜摘未の暴言には驚いたが、その顔は阿修羅にはほど遠い。もう成りきれないと読んだ境田は、怯むなと言い聞かせて、焦る気持ちに鞭を入れた。
「どうしたんですか突然怒鳴るなんて、ここ最近は見かけなかったのに……」
「だからそれがウザいのよ」
その顔はまるで仏師が途中から「俺は何をしてたんだ」と気付いて阿修羅像に入れていたノミを当てる場所が微妙に彫り違えて、とがった面に交錯して丸みを帯びてゆく。菜摘未の顔も丁度そんな具合だ。
「でも、はやる気持ちとは裏腹に此の話はやはり千夏さんに持って行った方が得策でしょう」
本当に菜摘未は、会社の売り上げに貢献したいのなら、そうすべきだと忠告した。それでも此の話に彼女は中々乗ってこない。それどころか、何で小谷とそんな突っ込んで話を進めるのか。そればかりを追求された。
「でも話をしてこいと言ったのは菜摘未さんですよ」
「
「でも、外堀を埋めてと言われたけど……」
それは次の話に乗り易くするためで、埋めて地ならしまでするなんて。揚げ句の果てにあなたは社会への適応能力が高すぎると言われた。それって褒められているんだろう。じゃあどうして、もっと優しい言葉を掛けてくれないのか。それとも社会に馴染めないアウトローが好みって訳ではないのか、と訊いてみた。
「だって小谷さんはそのどっちにも当てはまらない。我存り
それって社会に背を向けてるんだ。
「それはわがままじゃないのか」
「わがままじゃない、信念を持って意見を通す人よ」
恋するとものも言いようで、相手の人格が変わって見える。その線引きは菜摘未さんの心の何処かに引かれている。その人に
「そこまで言われるのでしたら菜摘未さんが小谷さんに直接交渉すべきでしょう」
「それはさっも言ったように
「どんな?」
「あなたには訊く権利はないわよ」
「好きなら聞く権利はある」
ハア? 誰が? と言う顔をされた。ちょっと
「今、あなたと付き合っているのは此の僕でしょう」
「もう〜、うぬぼれないで、いつ言ったのよ」
「いま」
またハア? と謂う顔をされた。今度の一撃は仏師のノミが手元でさらに大きく狂ったのか、さきほど出来た
「いつまでもあなたの冗談には付き合いきれないわよ」
それでも境田は、無人駅で演じられた菜摘未の、演目を静かに鑑賞したと述べた。
「アラ、そんなことあったかしら?」
と憎めない顔付きで上手く惚けられた。躱された境田は、ぐっと噛み締めて残る次の一手を考えた。だがこの人には何を語ればいいのか、悶々として言葉が見つからない。ふとテーブルを見ると珈琲は空になってる。もう切り上げるのかと、境田は試しに珈琲の追加を頼むと彼女も同調した。これで千夏さんとの話はまだ残っていると解釈した。
「それじゃあ今一度聞きますが、本当に十和瀬酒造の売り上げに貢献したいんですか?」
今さらながら愚直な質問だと思いながらも試してみた。
「もうどうでもよくなった」
ウッ、とつばを飲み込んだまま、暫く思い巡らせたが何も出て来ない。
「何が、今回の景品付き限定販売の件ですか」
菜摘未がハア? と今度は素っ頓狂に張り上げた。
「アラ、そう、今、その話をしてたんだったのね」
何を聞いているんだ。呼び出しておいて。ひょっとして頭の中はごちゃ混ぜになっていれば話が続かない。
「あたしはあたし、あなたはあなた、小谷さんは小谷さんだよね。それぞれに利害関係があったとしても誰も心は曲げられないわよね。お互いの本心がゴールインするまでは」
急に何を言い出すんだ彼女は。
「それがどうかしたんですか」
「それぞれの思いは別々ってことよ」
「それは景品付き限定販売のことです、か」
菜摘未は暫く気持ちを中空に浮かせて、焦点の定まらない瞳を漂わせた。此の人はそれなりの誇りを保ったまま、自分の人生を駆け抜けられる人なのか? そう想えば嫌でも、境田は此の人の置かれている立場に眼を向けた。
此の人は十和瀬酒造の娘さんだ。造ったお酒を売るのが
「人生は競争だけが全てじゃない。それに依って付けられた順位は勲章でも何でもない。ただあなたは今、此の位置に居ますよと謂う自己満足に過ぎない。それに相応しい人生を見付けなければ意味がないでしょう」
「随分な余裕だこと。それってあなた、あたしを見下しているのね」
ーー今まで見下した事はあっても、あなたに追い抜かれた気分を味わったことは一度もなかった。それがあたしのプライドならあたしの人生は何だったと言うの。
ーー頂点に立つちゅうのは、それまでの追う立場から追われる立場になる。これは今よりプレッシャーが倍増する。守る人が出来てしまった者と、
「でも愛は別よ。もうその時から
「だが今度は『死が二人を分かち合うまで』このプレッシャーに
振れ幅がない僕には、在るとハッキリ言い切れるけれど……。
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