第18話 十和瀬の憂い2

 十和瀬の新しいマンショは京阪電車出町柳駅近くに在る。以前の小谷の住まいは伏見でも近鉄沿線だった。大学も近くの龍谷大学で小谷と十和瀬は、今でも遠からず近からずで傍から見ると不思議な交友を深めていた。

 大学を出ると小谷は実家を出て狭いながらも自由に暮らせるアパートに移った。小谷の今の住まいは、天王町から奥に入った鹿ヶ谷通りと白川通りを結ぶ、車線のない車道に面した二階建ての木造アパートだ。実家を出たのは両親は自由奔放に育てながら、細かい仕来りに飽き飽きしただけだ。自室と屋外では何をしても謂われないが、それ以外の屋内では事細かく丁寧に扱うように云われた。年の離れた弟は実に上手く両親の目を盗んで、要領よく此の仕来りを潜り抜けて今も実家に居る。小谷はそれが鬱陶うっとうしかったが、弟はそうでもないらしい。大学を出て社会人になってからは殆ど伏見の実家には帰っていない。そう謂う地理的な関係で十和瀬と会うときは中間地点ではないが、交通の便利な四条河原町にしていた。小谷は白川通りに出てバスで来る。十和瀬は京阪電車だから、出町柳駅に行くにはまた四条大橋を引き返すことになる。いつもそれは苦にならないようだ。

 この日もまた小谷と喫茶店で話し込んでから、今日は珍しく十和瀬の新居へ案内してもらう事になった。さっそく喫茶店を出ると四条大橋を渡った。先ほどまでユリカモメにパンくずを投げている女は、パンくずがなくなっても寄ってくるユリカモメとたわむれていた。さっきは川向こうだったが、橋の近くから見ると穏やかな顔をした歳のいったおばさんだった。確かに十和瀬が言うように、母親にも君枝にも全く違う雰囲気を漂わせていた。

「どうだ、こうして近くであのおばさんを眺めているとお袋でもない君枝でもない何処にでも居そうな人に見えるが、何か別な特別な雰囲気を感じないか」

「特別な雰囲気って?」

 橋の欄干から河川敷のおばさんを眺めてみた。

「だから具体的に云えないからそう言ってるんだ」 

 いつもそうだ、此の男はハッキリしたことは言わない。そう謂う癖なのかそれとも元々ぼんやりとしたものしか言わないのか。一体希実世さんに何て言ってプロポーズしたのか気になるが、案外これから訪ねる彼女の顔にその答えが描いてあるのだろうか。と馬鹿馬鹿しい物思いに耽ってしまった。

 十和瀬はサッサと歩いて橋の袂に在る地下階段を下りて行った。地下は京阪電車のホームへ降りる通路になっている。彼奴あいつはそこから先にある、中央改札をそのまま通り抜けてしまった。定期券を持たない小谷は、切符を買って慌ててあとを追って、ホームへ降りる階段で追いついた。

「なあー、十和瀬、お前の披露宴は紋付き袴と彼女は打ち掛け姿だったなあ」

「うん、まあなあー、それがどうしたんだ」

「中央ひな壇の高砂席に居る新郎新婦しか見てないからなあ、普段の顔はどうなんだ」

「変わるわけないだろう」

「あの特別な花嫁化粧から半値八掛け二割引きとか言う事は無いか」

「女房は商品じゃない、ましてまだ新婚だ」

 商品ならまだお試し期間てことか。

「ならもっと悦んでいてもいいだろう」

「まあなあ」

 丁度言葉が詰まったタイミングで列車がホームに滑り込んできた。

「さっきの話だが希実世さんは慎ましくあのひな壇に座っていたぞ」

 列車の席に着くなり続きを訊ねる。それが何か煩わしそうに頷くだけだ。

「俺が言いたいのは、あの披露宴の雰囲気から今のお前が想像できないんだ」

 仲人の話では彼女の大学の文化祭で知り合ってから二人は意気投合したそうだが、それは作り話だろう。その前のお膳立てはお前のおやじと取り引き会社の営業関係の娘さんだそうだ。向こうはかなり無理して私立のミッション系の大学へ入れたが、あそこは花嫁修業に慎ましく育てたいと入れたが、要は本人の自覚の問題だ。

「お前、何が言いたいんだ」

「お前に説明してもいつも曖昧にしてしまうから言っても張り合いがない。それより希実世さんは俺のことどう説明してるんだ」

「高校時代からの友達だ」

「それだけか」

「他に何がある」

「そうじゃあねえんだ、向こうが何も知らなきゃあ話が進まないだろう。俺もお前の奥さんは披露宴で仲人から聞いた範囲でしか知らねえのに、何を喋れば良いんだ」 

「話してみるかと言ったのはお前だろう」

 肝心な時はいつもこうだ。呆れた奴だがいつものことだ。

「アッ、一つ想い出した、十和瀬、妹の菜摘未とあの花嫁、えらく高砂の席で話が弾んでいたが傍に居て何を聞いたんだ」

「あの時は俺の席の周りにもおかしな連中に取り巻かれて騒いでいたから知る訳ないだろう」

「希実世さんと話すのはいいが、話の切っ掛けがなければ何から喋っていいのかわからんだろう」

「そうだなあ、新婚旅行に付いて聞け」

 新婚旅行は美術館巡りをやって、その後でパリのモンマルトルの丘で画家崩れの喰えない似顔絵描きに希実世は描いてもらった。それが気に入っているからその話なら乗って来るとアドバイスを貰った。

「エヘー、希実世さんフランス語が喋れるの」

「喋れる訳ないだろう、英語もろくに分からないのに」

「ハア? じゃあどうして似顔絵を頼めたのだ」

「その絵描き日本人だったんだ」

 それを先に言えと笑った。

「こう言う切り出しだと内の奴も乗って気やすいだろう。あとは小谷の話し方次第だ」

 いつもなあなあで済ます十和瀬にすれば、珍しく込み入った解説をしてくれた。電車も出町柳駅に着いた。


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