【桃生弥恵】( 3 )


※ 8月20日15時00分ごろ ※



 瑠璃は、翡翠に補助してもらい、切り取ったパンケーキをフォークで口の中に入れる。途端に瞳が輝く。


「美味しいー! ママ、これ美味しいよ!」


 客の少ない時間帯。さほど大きな声は出ていないが、瑠璃の声は店員の1人に聞こえていたようで。


「パンケーキ美味しい?」


 1人の女性が近づいてくる。

 桃生弥恵だった。


「美味しいー!」


 にこにこと返事を返す瑠璃を見て、笑顔を浮かべる桃生弥恵。

 軽く膝を折り、瑠璃に視線を合わせて、声をかけてきた。


「いっぱい食べてってね」


そう言って弥恵が立ち去ろうとした、その時だ。


「桃生弥恵さん、ですね?」


 そう声を悠里からかけられ、驚いた顔をする弥恵。


「……はい、そうですが。あの……?」


「私、こういうものです」


 悠里は席から立ち上がる。そして、上着の胸ポケットから、名刺を取り出した。


「探偵さん……ですか……」


 悠里の渡した名刺を見て、戸惑いを隠せない様子の弥恵。


「はい。三井那可子さんの件でお聞きしたい事がありまして」


 そう言われて、弥恵は少し動揺しているようだ。


「那可子の事故の件でしたら、警察にお話してありますが……」


 「三井那可子さんの事故ではなく、別件でお話を聞きたいのです」


 悠里の言葉に、弥恵は困惑の顔だ。

 そんな大人2人の様子を、瑠璃が不思議そうに見上げた。

 瑠璃の興味を逸らすため、翡翠はチョコレートパフェに乗っていた生クリームをその口に運んだ。小鳥のヒナのように口を開け、生クリームを口に入れる瑠璃。


 その様子が、弥恵の視界に入ったようで、彼女の表情が緩んだ。


「瑠璃、ワッフルのいちごも食べるだろ?」


 翡翠が差し出した、カットされたいちごの乗ったフォーク。瑠璃はご機嫌で口に入れた。


「おいしー! おいしいねぇ!」


 美味しそうにスイーツを食べる瑠璃を見て、弥恵の雰囲気が和らぐ。そして、ひとつため息の後、口を開いた。


「それで、那可子の何をお知りになりたいんでしょうか?」


 そんな質問をしながら、ちらりとまわりの様子を伺う弥恵。店内の客の様子が落ち着いているかどうか確認したようだ。


「那可子さんは、ストーカー被害に悩まされていたそうなのですが、何かご存知ありませんか?」


 その問いに、八重は心当たりがあったようだ。


「ストーカーの話は、聞いた事があります。今年に入ってから……だったはず。確か、6月くらいです」


「三井那可子さんが婚約された頃ですね」


「ええ。あの子、愚痴りはするものの、警察に行く気はなさそうな様子で……」


 ストーカー被害にあっていたのに、警察には届けない。その心理に疑問を感じる。

 瑠璃に、パフェに乗っていたバナナを食べさせながら、翡翠は子首を傾げた。


「他に、聞いた話はありますか?」


 悠里がさらに質問を重ねる。


「鬱陶しいけど、さしたる被害がないから、ほっとくって話なら……」


 弥恵の話に、翡翠は再び子首を傾げた。

 ストーカー被害にあっていた割に、随分と悠長というか、なんというか。

 三井那可子という女性の行動理念がよく分からない。悠里はわかるのだろうか。

 ……わかっている気がする。


 ふと、瑠璃が翡翠の肘をつついた。

 紺青の瞳が、何かを訴えている。

 琥珀は、パンケーキを瑠璃の食べやすい大きさに切り分け、バターとメイプルシロップをたっぷりの吸ったそれを、瑠璃の口に放り込んだ。


 もぐもぐとリスのように口を動かす瑠璃を見ながら、ちょっと甘やかし過ぎたかな……と思った翡翠だった。

 が、今はそれどころではない。


「他に、このストーカーの件を知っている人は?」


「婚約者の真吾さんが、話を聞いていたはずです」


「そうですか……。ありがとうございます」


 翡翠の前でそんな会話を交わす大人達。

 弥恵の証言に、翡翠は疑問が沸いた。佐藤真吾が、何故、那可子のストーカー被害を警察に証言しなかったのか?という疑問だ。


 殺人の可能性のある転落死。

 それならば、ストーカーによるものでは?と考え話す方が自然ではないか。

 例え、自分を裏切った婚約者であっても、その位はするのではないか?

 佐藤は、あきらかに、矛盾した行動をとっていると、翡翠は思った。

 おそらく、悠里も同じく思っているだろう。


 もしかしたら、このストーカーの件と、那可子の転落死には何か関わりがあるのではないだろうかと。



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