第10話

 早朝から取引先に向かっている。

 車を飛ばすと海沿いの通りに向かう。

 この通りは有名な資産家が多く暮らしている。

 その中の一つ高唾たかだの屋敷の前に止まった。


 屋敷の使用人に門を開けてもらい敷地内に車を止めると中に通された。

 この屋敷の主人はまだ活動前であるらしく使用人たちは穏やかに過ごしている。

 仕事場に通されると少ししてから取引相手の高唾久司たかだひさしが現れた。


『やあ、藤田君。』

 藤田当夜ふじたとうやは立ち上がると頭を下げた。

『急な訪問で申し訳ありません。問題がありまして確認のためにこちらに。』


 状況を整理して説明し目の前の椅子に座った久司に書類を手渡した。

『わかった。確認しよう。』

 久司が書類に目を通し電話をかけている間、藤田は落ち着かなかった。

 問題が解決すればいいが、状況によっては悪化する可能性がある。


 しかしそのような心配は杞憂きゆうで終わり、電話を終えた久司は

 にこりと笑った。

『うん、もう大丈夫だ。悪かったね。』


『いえ、こちらの責任です。朝から騒がせてしまい申し訳ありませんでした。』

『うん。そちらもすぐに対応してくれていたし日にちが伸びるようだが

 なんとかなりそうだよ。少し費用が嵩むがそれは対応してもらえるのかな?』


『はい、勿論です。あの、電話をお借りしても?』

『うん、構わないよ。では少し外そう。』

 久司が部屋を出ると藤田は会社に連絡した。

 上司に取り次ぎ状況を説明すりあわせをする。


 一部問題は残っているようだがそれは社のほうでなんとかできるようだった。

 補償の件を伝えると後は暇を貰い電話を切った。

『もういいのかい?』

 久司が顔を出すと藤田は説明をした。

 補償の件も伝えると彼は頷く。


『そうか。今から朝食なんだが藤田君もどうかな?』

『あ、はい。迷惑でなければ。』

 高唾久司は藤田の父親ほどの年齢だが、お互いに気兼ねなく話している。

 仕事で出会ったのは間違いないが、時々は会って酒を飲む友人だ。


 この屋敷にも何度も足を運んだことはあるが、今回のような失態は久司の顔に

 泥を塗る行為にも等しく、損失を補填するとは言っても彼の経歴に傷を

 つけることになるだろう。


 食堂で席に着くと久司は落ち込んでいる藤田に笑いかける。

『大丈夫だ。君のせいじゃない、歯車が噛み合わなかっただけだよ。』

『そう言ってもらえると助かります。けれど何かあれば言って下さい。

 すぐに駆けつけます。』

『うん、そうしよう。』


 食事が運ばれてくると二人は手を合わせて箸を取る。

 会話をしながら食事を済ませると奥から高唾夫人が現れた。

『あなた、ちょっとよろしい?』

『うん、どうした?』


 高唾礼子は喪服に真珠のネックレスをつけている。

『実は昨日お友達が来てくださってね、級友のお葬式がこれからあるんです。』

『ああ、そうか。なら送ってやりたいが…これから出なくてはいけない。

 車を手配して送らせよう。』


『はい。』

『それで誰のお葬式なんだ?』

日奈木木綿子ひなきゆうこさんです。』

 二人の会話に藤田は声をかけた。


『あの、もしよければ僕が送迎します。日奈木さんのお宅には向かうつもり

 でしたから。』

 それに久司が驚いたような顔をした。

『知り合いか?』


『はい、まだ正式ではありませんが…日奈木の娘さんと婚約を。』

『そうか…うん、ではそうしてもらえるだろうか?さっきの約束ではないが。』

『ええ、勿論。』

 礼子は一度久司が頷くのを確認してから藤田に顔を向けた。


『それではよろしくお願いいたします。すぐに準備をいたします。』

『ゆっくりで構いませんよ。』

 礼子は会釈するとまた奥へ引っ込んでいった。

 まだ少しかかるだろうからと久司は暖かいお茶を持ってこさせると藤田の前に

 置いた。


『すまないね。私がいければいいんだが。今日はちょっと外せなくてね。』

『いいえ、お役に立てればそれで。』

 久司が先に出ると少しして礼子が現れた。

 綺麗にまとめた髪に少し色をつけた唇が微笑む。


『お待たせしました。行きましょう。』

 藤田は礼子を車に乗せると日奈木の家へと向かう。

 後部座席の礼子は落ち着いた様子で窓の外を見つめている。


『ねえ、藤田さん。』

『はい?』

『今日はごめんなさいね、忙しいでしょうに。』

『いえ、今日はどちらにしろ日奈木に行く予定ではあったんです。彼女のことも

 心配だったので。』


『ああ、そうね。お母様のお葬式ですものね。』

『ええ。気丈な人ですが…。』

 礼子は口元に手を置いてフフと笑う。

『そう。…でもお通夜なしというのは何かあったのかしら。』


 藤田は知ってはいたが説明はせず首を横に振る。

『そうよね。ごめんなさい、詮索するようなことをして。』

『いいえ、大丈夫です。』

『ねえ、あなたの婚約者のことを聞いても?』


『え…ああ、はい。』

『どんな方なの?』

 礼子に聞かれて藤田は瑪瑙めのうを思い出す。


 彼女の美しい容姿、少し膨れて怪訝けげんな顔、長く美しい髪。

 どれも愛しく胸が高鳴る。

 これから会う彼女は落ち込んでいるかも知れないのに会いたくてたまらない。

 藤田が黙り込んでいると礼子が微笑んだ。


『フフ、そう。あなたの横顔を見ていたらなんとなくわかったわ。』

『ああ、すいません。でもまだ正式な婚約者ではありませんから…。』

『そうね、でもそうなるように祈ってるわ。』

『ありがとうございます。そろそろ着きます。』


 車は日奈木の家の敷地に止まると藤田は後部座席のドアを開けた。

『どうぞ、お帰りの際は声をかけてください。彼女に挨拶をしたら玄関に

 いますので。』

『ありがとう。ではそうしますね。』


 二人は日奈木の家に入ると礼子は日奈木正人の下へ。

 藤田は使用人に声をかけると瑪瑙の場所を聞き出した。

 二階の母親の部屋にいると聞き、階段を上がると教えてもらった部屋のドアを叩く。

『はい。』


 ドアが開き瑪瑙が顔を出す。

 藤田が挨拶すると彼女は驚いた顔をしたが優しく笑った。

『こんにちは。』

『こんにちは、ええと…。』


 藤田が言葉を捜していると瑪瑙は中へ入るように促した。

『どうぞ…今日も来てくださってありがとう。昨日も来てくださったんでしょ?』

『ええ、知ってたんですか?』

『父から聞きました。昨日はいろいろあって、私もさすがに気が

 回らなかったから。』


『そう…ですね。今は…一人のほうがよかったですか?』

 瑪瑙は手首を触るといいえと笑った。

 彼女の細い指先の下に古い時計が見える。


『珍しいですね。時計なんて。』

『そうなの。昨日母を運んでくれた方が遺品として渡してくれたものです。

 昔父が母に贈ったものだって。』

『ああ。良かったですね…大切にしないと。』


 瑪瑙は微笑むと時計に目を落とす。

『ええ。もう戻ってこないと思っていました…それと父から藤田さんも

 探してくださっていたと聞いて。ありがとうございます。』

 感謝の言葉と共に瑪瑙の瞳が藤田を捉えた。


 その瞳の美しさに藤田の心臓がどくりと鳴った。

『いえ。当たり前のことです。』

『あの…私、色々誤解してて…。』

『気にしていません。』


 瑪瑙は少しためらうように両手を握る。

『あの…これからはもっとお話できるでしょうか?』

『え?ああ、はい。もちろん。』

 そう言ってから藤田は瑪瑙の言葉を理解して顔を赤くした。


『あの…それは受け入れてくださったと思っていいんでしょうか?』

 顔を上げると彼女はこくりと頷いた。

 それに反応して瑪瑙の手を握り締めると彼女は握られた手をするりと外して

 胸に抱いた。


『す、すいません!あ、あの…。』

 藤田は顔を上げると瑪瑙の目とかちあった。

『あの、瑪瑙さん。結婚を前提にお付き合いをしていただけますか?』


 心臓が爆発しそうなほどで耳まで聞こえている。

 こんなに緊張するのは何時ぶりだろう?

 藤田は息を吐くと俯き、瑪瑙を上目遣いで見る。

 彼女は何も言わず藤田をじっと見つめたままだ。


 沈黙の中で部屋の置時計がカチカチと音を立てている。

 やけにうるさく感じられて藤田は目を閉じた。

『当夜さん…。』

 名前を呼ばれて藤田は顔を上げる。


 目の前にいる瑪瑙は今まで見たことのない顔で微笑んだ。

『よろしくお願いします。』

『はい!』

 藤田が勢いよく返事すると瑪瑙は驚いてから破顔した。



 日奈木木綿子の葬式には弔問客が絶え間なく続いている。

 けれど彼女のために来た人間はどれくらいいるだろうか?自分はその一人だが、

 級友に会ったのは今のところ二人ほどだ。


 通夜もなく葬式だけというのが興味をそそるのか皆、声を潜めて聞き合っているが

 真相は分からずじまいだ。

 高唾礼子たかだれいこは壁際のソファに座ると奥にいる日奈木正人ひなきまさとの姿を見た。

 正人とは初めて会ったが年齢差のある結婚だったようだ。


 学生の頃、木綿子は見合いに関しては乗り気でなかった覚えがある。

 木綿子は物静かで優しい性格の女性だった。

 礼子とはそこまで仲が良いというわけではなかったが印象は良い。


『あれ?』

 焼香を済ませた列の中から声があがってこちらに歩いてくる。

 彼女は級友の美也子みやこで礼子とは仲が良かった人だ。

『美也子さん?』


 美也子は当時と変わらない雰囲気だったが少し年を取ったのか顔に疲れが

 見えていた。

『礼子さん!お久しぶり。』

 二人は挨拶を交わすと美也子の後ろから来た彼女の夫が頭を下げる。


 紹介された白岡しらおかは品の良い男性で喪服も上等なものを着ている。

 その背中を見送ってから美也子は礼子に耳打ちした。

『ねえ、聞いた?』

『なあに?』

『木綿子さん、って。』


『え?』

『あのね…。』

 美也子が続けようとした時、玄関で白岡が美也子を呼んだ。

『あ、もう行かないと。じゃあね、さよなら。』


『…さよなら。』

 彼女は話も途中で白岡と帰って行った。

 礼子はソファに座り俯く。

 どういうことかしら?お骨で帰ってきたって…。


 そこに日奈木正人がいるがこんな失礼なことを聞くわけにもいかないし。

 悶々としていると藤田が女性と階段を降りてきた。

 いかにも初々しい恋人同士のように見える。

 愛らしいと思いつつもなんだか癪に障って礼子は膝の上で手を握る。


 藤田は礼子に気付くと彼女を連れてやってきた。

『礼子さん、こちら婚約者の日奈木瑪瑙さんです。』

 紹介された瑪瑙は美しく可愛らしい女性だ。

 木綿子の面影がある彼女はどこか懐かしく感じられた。


『どうも。高唾礼子です。お母様とは級友だったんですよ。』

 瑪瑙はパッと顔を明るくして頭を下げる。

『今日は来ていただきありがとうございます。』

『いえ、けれど…お通夜に参加できなくてごめんなさいね。』


 礼子はさらりと口に出てしまったことに手を握ったが瑪瑙の顔をうかがった。

 瑪瑙は少し困った様子で藤田を見てから首を横に振った。

『申し訳ありません…母はもう亡くなっていたので…。』

『え?』


 礼子の驚く声に藤田が声を潜めた。

『病気で亡くなられたんです。瑪瑙さん?あとは僕に任せてくれますか?

 礼子さん、今日はもう送りますから。』

 瑪瑙に断り藤田は礼子を連れて日奈木を出ると車に押し込む。


 礼子はわけもわからずに車に乗せられて少し不機嫌になっていた。

 運転席に座ると藤田は落ち着いて礼子に謝罪した。

『あなたはご存知なの?』

 そう聞かれて藤田は困ったように笑うと車を発進させる。


 彼は仕方ないような顔をすると日奈木木綿子について話をしてくれた。

 藤田によると木綿子は病気で療養していたが亡くなった。

 しかし彼女は車の事故で行方不明になっていたために今になってしまったと。


『でも…どうして?病院なら家に連絡もできるはずでしょう?』

『はい…事故の後遺症で記憶喪失だったんです。』

『まあ…そんな。』

 藤田の横顔が悲しげに笑う。


『悲しいことです。けれど戻られたことも事実ですから。』

『そうね…。』

『礼子さん、あの、どなたかからお聞きになられたんですね?』

 礼子は少し恥ずかしくなって俯いた。


『ええ、ごめんなさい。失礼よね。』

『仕方がありません。あの、このことは内密にしておいて貰えませんか?

 いずれ明るみに出るでしょうが、今はそっとしておきたいんです。』

『そうね。私ったら配慮が足りなくてごめんなさい。』


 藤田はにこりと笑うと背筋を伸ばす。

『いえ、とんでもない。今日はありがとうございました。日奈木の身内になる

 人間として感謝申し上げます。』

『こちらこそ…送り迎えしていただいてありがとう。お家までお願いしますね。』

『はい。』

 二人が会話を終わらせるとエンジン音だけが響いていた。

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