第5話

『面白い爺さんだな。』

 徳利とっくりを持った真舌ましたが笑い転げ、その隣で菊が口元を

 隠して笑う。

 今朝は調子が良いからと小鹿の運転手を免れて、夕方から真舌の家に転がり

 込んでいてる。

 先ほど弁当を持ってきた菊が合流した形だ。


『ああ、そうだ。紹介がまだだった。』

 真舌は菊の肩をそっと抱き寄せる。

『晴れて俺の恋人になった上斑菊うえむらきくさんだ。こないだ会ったろ?』

 菊は微笑を浮かべて頭を軽く下げる。


 よく見ると色が白く綺麗にまとめられた髪が一筋はらりと首元に落ちている。

 いかにも真舌好みで、今までの女と少し違うのは纏った雰囲気だろうか。

『よろしくお願いしますね、続木さん。』

 彼女は雪久に酒を注ぎにこりと笑う。


 商売柄なのか男の扱いには手馴れているようにも見える。

『ああ、よろしく。それで、本当にこいつで良いのか?』

 雪久が酒を飲み笑うと、菊は口元に手を当ててうーん、と首をかしげた。


『どうでしょうね…真舌さんは女たらしですから。私以外にもちょっかいかけては

 振られてますし。』

『ちょっ!そんなことないよ!菊ちゃん一筋なんだって。』

 慌てて真舌が声を上げると菊は少し顎を上げて視線を下ろした。


『あらあら…慌てて。』

 その顔が好きなのか真舌の顔色が変わりごくりと唾を飲んだ。

『菊ちゃん…勘弁してよ。本当に…駄目。』

 菊は真舌の敗北宣言を聞き、フフフと笑う。


『そうね、さあ、軽いお食事でもなさって。』

 机に置かれた重箱を開いて小皿に取り分けると二人の前に置いた。

 重箱には色とりどりのおかずや小さめの握り飯が詰められている。

『凄いな、一人で作ったのか?』


 雪久の問いに菊はフフと笑い頷く。

『お料理は好きなの。それに真舌さんは食が細いわりには美味しそうに食べてくれるから作りがいがあります。』

『そうか…なんだかすでに尻に敷かれているがお前大丈夫なのか?』


 真舌に視線を移すとまんざらでもなさそうに苦笑した。

『まあね。菊ちゃんならいいさ。』

 確かに真舌の言うとおりだ。


 甲斐甲斐しい様子はどこか母親のようでもあり姉のようでもあり不快感はない。

 そして匂い立つような姿は初対面の男からすればドキリとしてしまうだろう。

 珍しいなとも思う、昔から知っているがこのような人を選ぶような男ではなかったが、心境の変化だろうか?


 重箱の底が顔を出し、酒が空になると真舌は幸せそうに菊の膝に寝転んだ。

 雪久は胡坐をかき膝に頬杖をつくと酒を飲む。

 膝の上に置いた真舌の頭を優しく撫でて菊は顔を上げた。


『ねえ、続木さんは恋人はいらっしゃらないの?』

『うん?』

『いえね…この人、雪久には良い人がいるはずなんじゃないか?なんて

 言ってたから。』

 菊は真舌の髪を弄ぶとまた戻しそっと撫でた。


『で、いらっしゃるの?』

 雪久は酒を飲み、手酌で酒を注いだ。

『そうだな…今はいないな。』

『もったいないわね。こんなに素敵な方なのにね。皆見る目がないのかしら。』

 菊はフフと笑う。


『うーん、どうだろうなあ。今は仕事も忙しいってのもあるんだけどね。』

『そうなの?なら尚更ね。さっき話してらした縁談もお考えになっては?』

 そう言われてふと月島花蓮つきしまかれんが頭に浮かんで即答する。

『いや…ないかなあ。』


『そう、でも今思った人ではなくても幾つかと先生は仰ってたんでしょ?

 なら見てみるのもありよ?』

 雪久は後ろに手をつくと苦笑した。

『それは…えらくおせっかいではないのか?』


 菊は微笑むと両手をぱちりと合わせた。

『フフ、おせっかいは女の特権ですわよ。』

 そう言われて悪い気がしないのは菊だからだろうか。

『なるほど。』


『でも…聞いてもいいかしら?』

『うん?』

『続木さんはどのような方がお好きなの?色々お話を聞いていてなんだか少し…。』

 言葉を濁して菊は苦笑した。

『…少し、女をある意味で選んでいない気がして。』

 雪久は指で頭を掻くと俯いた。


『ううん…なんて答えたらいいんだろうな。確かにそのような節はあるかもな。

 以前、勧められた縁談を受け入れて結婚も考えていた。でもどこか他人事で、

 彼女が欲しいものすらみつけられずに破談になった。』

『まあ…。』

『どこか興味が持てなくて…ああ、女性としてではなくてね。人として。』


 初対面に近い菊にする話じゃないと思いつつも、口が滑る。

『勿論、肉体からだの関係を持つことだって可能だ、でもそこに感情が

 持てなくてね。』

『そう…そういうこと。続木さんはもしかしたら恋がしたいのではなくて?』

『恋…か?』


『そう、ありきたりなものではなく燃えるような恋。だから今は相手を選ばない

 のかも知れないわね。』

 菊は破顔すると両手をぷるぷると振るわせた。

『そんな気がしただけよ?どうか気を悪くしないでね。』


『フフ、菊さんは優しい人だね。少し考えてみるよ。恋について。』

『そうしてもらえると嬉しいわ。こうして出会った仲ですもの、良き友人に

 なれたら素敵だわ。』

『でもそれは…真舌は怒らないか?男と友人なんて。』


 菊は噴出すと真舌の顔を眺めた。

『そうかも。フフフ。』

 その姿に雪久の顔も緩む。

 そっと胸元に手を置くと立ち上がった。


『あら、ここでもかまいませんよ?』

『いや、二階で。そいつの面倒をみてやってくれるか?』

『ええ。勿論。』


 雪久は階段を上がった。

 二階は物がなくがらんとしている。

 窓を開けると煙草を銜え火をつけた。

 窓辺に座り静かに降りてくる夜の空を見つめる。


『恋…か。』

 ふとお嬢様に恋焦がれている天宮の顔を思い浮かべて煙を吐く。

 あんな風に体中で好きだと言われたら雪江も気付いてはいるんだろう。

 それに二人一緒の姿を見ると誰が見ても恋人にしか映らないだろうに。


 雪久は壁にもたれると煙草の火を見つめた。

 ジジジと燃えつき灰になるそれを灰皿に落として反芻する。

 ふと階下で物音がして雪久は溜息をつくと、窓の外を眺めた。



 一階、片づけを終えた菊が台所から戻ると寝転んでいた真舌に手を捕まれ、

 その場に組み敷かれた。

 大きな音がして菊は二階に視線を移す。


『聞こえちゃうわ。』

 真舌は少し苛立ったように菊の足元に手を伸ばすと着物を持ち上げた。

『菊ちゃん、俺が酔ってないってわかってて…どうして雪久を誘うかなあ?』

『あら、誘ってはないわよ。あなたがなのは続木さんも

 ご存知でしょ?』


『それはそうだけど。でも解せないな。友人だなんて。』

 白い太ももが露わになって真舌の指が食い込んだ。

『あら、やきもち?』


 菊はしれっと言葉にすると微笑んだ。

 それを真舌が鼻で笑う。

『そんな簡単なものじゃない、嫉妬だ。』


『…フフ、可愛いのね。』

 真舌は菊に顔を近づけると唇を触れさせた。

『悪い女だな、菊は。』

 菊は触れた唇にもう一度押し付けるとフフと笑う。


『違うわ、いい女なのよ。』

『ハハ、違いない。』

 真舌がシャツを脱ぎ捨てる。

『ねえ、聞こえてしまうわ。』


『そう思うなら静かにすればいい。』

 吐息が漏れる中で衣擦れの音が部屋に響き渡る。

 汗と混じった匂いがして二人の影がゆっくりと揺れた。

 快楽は人を駄目にすると祖母に言われたことを菊はふと思い出した。


 自分の上にいる男がたまらなく愛しいのは快楽のせいか、それとも愛しているからか。

 子供のようにはしゃいだり、くだらないことで嫉妬するような男は今までに

 いなかった。

 事が切れて真舌が横に寝転がると菊の頬に優しく触れる。


『…無理矢理だったね。』

『いいわよ、別に。』

 菊は起き上がると着物を直す。

 ふと足についた赤い手の痕に指を伸ばした。


『でも痛いのはあまり好きじゃないわ。』

 ぽつりと呟いて真舌を見る。

 真舌は聞こえなかったのか優しい顔をして菊をじっと見つめていた。


『なあ…菊ちゃん、俺さ。君と結婚できたらいいと思うんだ。』

『結婚?』

『嫌かな?』

 菊は苦笑すると首を横に振った。


『どうかしら…考えたことないから。』

 正直な言葉だったが真舌は真面目に受け止めたようだった。

『そっか…。』

 その顔がなんだか切なくて菊は視線を逸らす。


『でもさ、考えておいて。俺は本気だから。』

『そうね。』

 会話が途切れ少しして階段を下りてくる音がした。

 台所で水音がすると菊も立ち上がりそちらへ向かった。


 台所では銜え煙草でお湯を沸かしている雪久がいた。

 菊は襟元と髪を整えて声をかける。

『あら…私がしましょうか?』

 雪久はああ、と頷くと少し離れて煙草を吸っている。


 薬缶は少ししてシュンシュンと音を立てて、急須に茶葉を入れると鳴き出した

 薬缶からお湯を注ぎ込む。

『ずっと吸ってらしたの?』

『ああ…口寂しくてね。』


 雪久はそう言うと菊が茶を入れた湯のみを持ち、また二階へと上がっていった。

 菊の傍には雪久が吸っていた煙草の香りが残っている。

 きっと気付いているのに気付かないふりをしてくれている。

 煙草も多分わざと。


 菊は微笑むと湯飲みを二つ持ち、真舌の傍に戻った。

『良い方ね、続木さん。』

 受け取った湯飲みに口をつけて真舌は笑う。


『当たり前だ、あいつはいい男だよ。俺の次にね。』

『あら、そうかしら?』

『菊ちゃん、意地悪しないの。』

 菊が笑うと真舌は破顔した。



 二階、窓辺に雪久はもたれてぼんやりと空を眺めている。

 片手に煙草を持ち、さっき入れてもらったお茶はまだ熱い。

 茶を口に運びつつ煙草を飲む。


 台所で見た菊の首についた痣は赤い花のようにぽつりと咲いていた。

 真舌は菊に惚れているようだ、しかも本気で。

 今までも雪久が泊まりに来ているにも関わらず女を抱くことがたまにあった。


 それでも女の首に痕を残すなど一度もなかったのは遊びだったからだろうか。

 聞けばいいが、多分答えをはぐらかしてしまうだろうし、雪久自身も真舌に

 そこまで執着はない。

 どのみち何かあるのだとすれば真舌が自分から話すだろう。


 煙草をくわえて煙を吐くと階下から呼ぶ声がした。

 振り返り階段を覗く。

『何だ?』

 顔だけ出した真舌は菊と何か話してからまた雪久を見上げた。


『すまんが、菊ちゃんを送ってくる。明日、用があるみたいでな。』

『わかった、留守番しておく。でも鍵はかけていけよ。』

『ああ。』

 ちらりと菊が顔を出して軽く会釈すると雪久も頷いた。


 玄関で声がしドアが閉まると一気に静かになる。

 二階の窓から二人の姿を見送ってから窓を閉めると畳に寝転んだ。

『菊ちゃんか…。』

 ぽつりと呟いて瞼を閉じる。


 今夜のように真舌が女を送るというのも珍しい。

 真舌が本気だとして、あのことを話すのかどうかは問題になるだろう。

 いずれだとしても。


 けれどこれは二人の問題で雪久の知るところではない。

 ただ良い道を選べることを願うばかりだ。

 それに雪久にも問題は山積みで、小鹿が貰ってきた見合いが待っている。


 どうにも気は進まないが小鹿の手前受けるしかない。

 選んでいいと言われたのが唯一の救いだろう。

 はあと息を吐き大の字になるとそのまま目を閉じた。


 階下で鍵を開ける音がして、はっと目を覚ました。

 眠っていたのか体を起こすと階段を上がる音がした。

 それに遅れて真舌が顔を出す。


『お、寝てたか?』

『ああ…少しな。送ってきたのか?』

『うん。雪久、少し下で飲みなおさないか?』

『ああ、わかった。』


 二人で階段を降りて居間に入る。

 机の上はすでに片付けられており真舌は熱燗の用意をし始めた。

 雪久は台所の壁に寄りかかると腕を組む。


『…真舌、お前さ、俺がいるんだから遠慮しろよ。』

『うん?ああ、でも雪久は分かってて二階に行ったんだろ?』

 真舌は背中を向けたまま鍋を見つめている。


『お前は良くても相手はそうじゃないだろ?』

『まあ、そうね。確かにな…。』

 何か思うことがあるのか真舌は指で顎を触った。

『でもさ…菊ちゃんは違うんだよ。他の女とは違う。』


『だったら大事にしてやったらどうだ?』

『そのつもりではいるんだけどな…。それに。』

『それに?』

 真舌は徳利を幾つか盆に乗せると居間に入る。


 それに続き雪久も席に着いた。

『俺はあのことも話さなくちゃいけないんだよなあ…。』

『まあ、そうなるな。遊びなら別にいいんだろうが…本気なのか?』

『本気以外に何があるのかわかんねえよ。』


 酒を注ぎぐっと飲み干すと真舌は息を吐く。

『でも結婚の話になると菊ちゃんはどっか他人事でさ…。』

 雪久は手酌で酒を注ぐと口をつけた。

『ああ…菊さんはまだ若いんだろ?そういうものじゃないのか?』


『うーん、わかんねえ。』

『じゃあ少し時間を置けよ。焦ったって仕方ないだろ?相手あってのものだし。』

『うん。…そうだな。』

 真舌は頬杖をつくとお猪口を指で傾けた。

『俺さ、かなり惚れてんだよ。』

『わかってるなら尚更だ、しっかりしろよ。』

 雪久は真舌に酒を注ぐと笑った。

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