第42話 やっと二俣に帰ってこれた

 評定を終え、宴会を終え、やっとこの一連の戦役から五郎八郎は解放される事になった。


 お館様に帰城の挨拶に伺うと雪斎禅師が来ており、少し話があると密談を持ちかけられた。


「五郎八郎、単刀直入に言う。堀越家、井伊家、両家とは手を切れ。今後も奴らは必ずやそなたの足を引っ張り続ける事になる。そなたを重用したくとも、今回のような事が続けば難しくなってしまうのだ」


 お館様は懇願するような顔で五郎八郎に訴えかけた。忠告ではない。訴えかけであった。


「ですが、井伊宮内少輔は私の烏帽子親でして、縁を切るわけには……」


 五郎八郎の反論にお館様は鼻から息を漏らし、少し諦めのような表情を浮かべる。それを受けて雪斎禅師が、よく聞けと言って忠告をしてきた。


「このままでは、その烏帽子親たちと共に謀略を持ってそなたを排除せねばならなくなる。できればそれはしたくない。そなたは堀越家と井伊家を切り離せると考えているだろうが、現状でそれが極めて難しいという事は家人の小野和泉守からの報告で明らかなのだよ」


 実は雪斎禅師も最初に井伊家をこちらの陣営に引き込もうと工作を行ったらしい。井伊家が落ちれば西遠は一気にこちらになびき、戦況は圧倒的に優位になると考えたからである。

 そこでかねてから井伊家の内情を報告させていた小野和泉守に家中の説得を試みさせた。


 当主の宮内少輔は賛同であったのだが、隠居の兵部少輔が頑として譲らず、宮内少輔の次弟の彦次郎、四弟の平次郎が父に同調。結果として井伊家は駿河守陣営で参戦し最後まで旗色を変えなかった。

 五郎八郎からの手紙を受け取った宮内少輔が再度父と弟の説得を試みたのだが残念ながら無駄であった。


「それでも! 井伊家の方々はきっとわかってくれるはずです!」


 五郎八郎の必死の訴えに、お館様と雪斎禅師は顔を見合わせため息をついた。


「説得と言っても具体的にどうするつもりか。ただ口で服従だと言っても、そんなものは何の約定にもならんぞ」


 雪斎禅師は冷徹にそう指摘した。


「何かしら血縁となりそうな……そうだ! お館様はまだ還俗されたばかり。側室を井伊家に出していただくというのはいかがでしょうか?」


 五郎八郎の提案にお館様は「とても承諾するとは思えん」と首を横に振った。「もし本当にそんな事が叶うのなら、確かに忠誠の証にはなるかもしれん」と言った雪斎禅師の口調も諦めの口調であった。


****


 随分と長い間留守にしていたように感じる。遠くの山に二俣城が見えてくると、何だか懐かしさが込み上げてくる。


 「五郎八郎様だ!」と言って畑仕事をしていた領民が手を止めて挨拶しようと沿道にやって来る。今年の稲の出来栄えはどうかとたずねると、領民は誇らしげな顔で青々とした田を指差した。

 「奥方様と食べてくだせえ」と言って領民の一人が唐黍とうきびを何本が差し出すと、「うちの茄子も食べてくだせえ」と言う者、「うちの胡瓜を」と言って差し出す者が現れる。


 二俣に帰って来たのだ。領民の笑顔を見るとそう強く実感する。


 領民たちに囲まれている所をどうやら城から見られていたらしい。家人たちが何人か迎えにやってきた。両手に唐黍やら茄子やらを抱えて嬉しそうにする五郎八郎を見て、家人たちは領民たちに礼を言った。



 城に入ると、城代を務めている千寿丸が代表しておかえりなさいと挨拶をした。その隣にはかやを抱いたすずなが。花月院が大役ご苦労様でしたと労いの言葉をかけてくれた。


 菘が萱の手を持って五郎八郎に向かって振っていると、萱は急に嫌がって、はいはいをして五郎八郎の元に向かって来る。抱き上げると萱は大喜びした。


****


 そこから一月ほどしたある日の事だった。珍しい客人が二俣城を訪れた。懸川城の朝比奈備中守である。


 備中守は先日の礼だと言って酒を一樽荷車で引かせて持ってきた。さらに新茶が採れたと言って茶葉も一箱積んでいる。

 せっかく持ってきたのだから一献かわそうと備中守は嬉しそうに五郎八郎に言うのだった。

 ならば、先日領民からいただいた唐黍に醤油を付けて焼き、それを肴に酒を呑もうという事になった。


「しかしあれだな、二俣は天竜川が流れておるせいか、盛夏だというに実に涼しいな。懸川も川は流れておるのだが暑くてかなわん。これから度々避暑に来させていただこうかな」


 かわらけの酒をくいと呑むと、備中守は上機嫌で笑い出した。

 秋になれば目の前の山は一面の紅葉となる。それもまた良いものと言うと、酒が進みそうと備中守はさらに笑い出した。


 そんな取り留めの無い世間話をしていた中での突然の話題であった。備中守は急に膝を近づけ、声を絞って話し始めた。


「福島の残党をどうなさるつもりなのだ? 当然存じておるのだろ? 見附館におる事は」


 先の戦いで土方城と方の上城を守っていた将は全員城と運命を共にした。

 だが花倉城だけは敵の本城であり、中々落城せず、一部を脱出させて落城させるという手法を取っている。嫡男の常陸介が自刃した事を知らせると、上総介は戦意を失って開城交渉に応じて来たと雪斎禅師は言っていた。


 ただその時、福島上総介の四人の息子の内、孫二郎、孫九郎、伊賀守の三人は花倉城を落ち延びた事がわかっている。

 雪斎禅師は行く先知れずと言っていたのだが彼らの行先など知れている。

見附館か井伊谷城かであろう。さらに言えば、お館様が堀越家、井伊家と手を切れと言って来た以上、恐らくはお館様たちもその事に気付いているだろう。


「父に似て、いずれも剛の者たちだと聞き及びます。できれば当家に迎えられればと考えているのですが……」


 「やはりそうか」と備中守は呆れ顔をしてかわらけを傾けた。五郎八郎の顔を見て少し考え込み、静かな口調で「止めておけ」と勧告した。


「あの黒衣の坊主にいらぬ疑念を抱かれるだけだ。せっかくお館様の片腕にまでのし上がったのだ、いや、のし上がったからこそ、行動も言動も慎重になさるべきだ」


 ここからは今川家中の権力闘争に否応無しに巻き込まれる事になる。そうなればくだらない事で揚げ足を取られる事もある。最悪の場合、政敵と見なされ討伐を受ける事すらありえる。


 五郎八郎もその事は十分に理解できているつもりではいる。その上で福島兄弟を配下に組み込みたいと思っているのだ。あの土方城で見た精強なる兵たち、二俣城の兵をあのような精強なものに鍛えてもらいたいと考えているのだ。


 渋り続ける五郎八郎に備中守は肩を掴み、「目を覚ませ」とさらに勧告した。


「彼らにとってそなたは父と兄を殺し家を潰した仇敵ぞ? その仇敵になにゆえ彼らが従うと思うのだ」


 備中守のその一言は五郎八郎に響いた。確かに彼らにしてみれば自分は仇敵、不俱戴天ふぐたいてんの仇と言ってもいいだろう。


「交渉はしてみます。その上で断られたら、その時はやむを得ぬと諦めます。事は全て潰えたりと諦めて降ってくれるのであれば、お館様と雪斎禅師に理解を求めようと思います」


 「中々に頑固な御仁だ」と言って備中守は笑い出した。笑いながら銚子を持ち、かわらけを空けるように促し酒を注いだ。


「当家は松井家には大きな借りができてしまったからな。困った時にはなんなりと頼ってくれ」


 備中守は笑いながらかわらけを空けると、そろそろお暇させてもらうと言って席を立とうとした。立とうとして、大事な話を忘れておったと言って再度座り込んだ。


「福島豊後守の娘の仙な、当家に押し付けられても困るよ。あの娘は駿河守の従妹だぞ? せめて岡部殿くらいお館様の信頼の篤い家に送ってもらわねば。先ほどの話ではないが、当家とてあらぬ詮索をされたら困るのだよ。それと……」


 そこから備中守は何とも言い出しにくいという態度でかわらけを手にし、少し残った酒を口に含んだ。


「……すまぬが静を何とかしてはもらえぬか? あれも当家に帰されても困るのだよ。今となっては貰ってくれる家など見つかるわけも無いし、いくら落飾らくしょく(=尼になる事)しろと言ってもいう事をきかん。母やうちの内儀と喧嘩ばかりするし」


 備中守も城では相当苦労していると見える。この世の終わりかのような特大のため息をつき、「懸川に帰りたくない」とぼそっと心の声を漏らしてしまった。


 ……もしかして、今日訪ねて来た本題はこれだったのではないのだろうか?

 何だか非常に嫌な予感がする。


「それがしなりに考えたのだよ。なあ五郎八郎殿、静を妾にしてやってはくれぬか? 仙は静の侍女という事にすれば三方丸く収まるとは思わぬか?」


 そう言って微笑みかける備中守の笑顔は、どこからどう見ても作り笑顔。


 三方って……それ備中守と、母と内儀、静と仙の三方じゃないか。こっちが計算に入ってないじゃないか!

 中々うんと言わない五郎八郎に備中守は最後の手札を切ってきた。


「……静から聞いたぞ? 仙と幸せになる道を考えろと五郎八郎殿に言われたとな。それがしが思うに二人が幸せになる道はこれだと思うのだがいかがかな?」


 顔を引きつらせている五郎八郎の表情を見て、備中守は勝負あったと感じたらしい。

 五郎八郎は最後までうんとは言わなかったのだが、「後日しかと送り届けるゆえ頼んだ」と言い残し、高笑いして去って行った。

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